第76話
「5月12日 火曜日
杉原由貴様。
以前にこの日記で、私の夢の話は書いたかと思います。
夢に一人の女性が現れるようになったこと。その女性のこともその名前も思い出すことはできなくても、過去にその女性とどこかで出会ったことがあるという感覚が私の中に強く残ったこと。
それは、自分は忘れてはいけないものを忘れてしまっているのではないのか、といった感覚でした。
そして、渋谷の小さな公園でその女性と会う夢を見て、実際に渋谷に行ってみたこと。渋谷のスクランブル交差点で、その女性の姿を見たこと。
この話には続きがあるのです。
そしてその続きこそが、現在、私が陥っている問題なのです。おそらくその問題に、この現象を説明する手がかりが隠れていると考えています。
渋谷のスクランブル交差点でその女性を見かけてから、しばらく私は彼女の夢を見ることはありませんでした。何事も起こらずに、いつもどおりの日常に戻りました。
次に彼女の夢を見たのは、二週間ほど経っていました。ですが、今回の夢は、それまでの夢と全く違っていました。それまでの夢は、私が彼女と会う、という夢でした。だけど今回の夢は、私自身が彼女の姿になっていました。夢の中で私は、彼女として街を歩き、彼女として世界を見ていました。
そしてそれは夢だけにとどまらなかったのです。
本当の『問題』は、その夢を見た日の朝に起こりました。
朝起きて、私が顔を洗うために洗面所に行くと、その鏡には私の顔ではなくて、夢の中の女性の顔が映っていたのです。私は驚いてその鏡の中の顔を見つめました。それと同時に、鏡の向こう側でも驚愕の表情のまま私のことを見つめている彼女がいたのです。
私は混乱しました。
夢は覚めているはずなのに、なぜ鏡の中に彼女がいるのか。
いや、鏡の中に彼女がいるのではなくて、私自身が彼女になってしまっているのだ。そのことに気付くと、その事実に耐えきれずに私は家を飛び出しました。
といっても、どこにも行くあてはありません。
駅まで来て、私は立ち止まりました。駅には鏡が設けられていました。私は意を決して、その鏡を見ました。そこには彼女の姿ではなく、青ざめた私自身の顔が映っていました。
さきほどの洗面所で見た彼女の顔は何だったのか。私が見間違えただけだったのか。だけど、決して見間違いではないと私の直感は叫んでいました。私は確かに鏡の向こう側に、驚いた表情の彼女の顔を見たのです。
私はマンションの自室に戻りました。
机の上にはこの青いノートが置かれていました。そしてノートの中に君の日記を見つけたのです。
今になって思い出してみると、何かの境界線が揺らいでいるような感覚でした。夢と現実の間の境界線。私と君の間の境界線。そして私の生きる世界と君の生きる世界の境界線。その境界線が揺らぎ始めている。私はそう感じています。
鏡の中に君の顔を見た日に、私は青いノートに君の日記を見つけました。
全てはつながっている。
そう思えてならないのです。
君も問題を抱えていると書いていましたね。
その問題に、何か解決の手がかりが隠れているかも知れません。
君が抱えている問題についても、詳しく教えていただけませんか。
上原祐樹より」




