第65話
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由貴がドアの前に立つと、そのドアは音もなく左右に開いた。
最寄り駅であるK駅から由貴の住むマンションまでの道の途中にあるコンビニだった。K駅からの帰り道の途中にあるということで、由貴はよく会社帰りに利用している。駅から少し離れているということもあって、夜も遅い時間になると店内では客の姿もまばらであることが多かった。
由貴は無意識に店内に視線を巡らせる。
レジの奥では、コンビニの制服を着た若い女性が何やら作業をしている。客は由貴の他には一人しかいなかった。四十歳くらいのスーツを着た中年男性が缶ビールを片手に持ちながら、おつまみ売り場の前に立って、顔を近づけるようにしてそれらの商品を見ている。その横顔は、ひどく疲れた顔をしていた。
由貴はそのまま弁当売場に向かう。
ゴールデンウィーク明け二日目。今日もミューズの広告に向けて各部署との調整業務に追われてへとへとに疲れていた。おそらく今、鏡で自分の顔を見たら、先ほどおつまみ売り場の前に立っていた中年男性と全く同じ顔をしていただろう。
家の冷蔵庫には簡単に調理をすれば食べられるような食材も入っている。例えば、冷蔵庫に入っている鶏むね肉やキャベツ、ピーマンをバターで炒めれば、肉野菜炒めを簡単に作ることもできる。だけど今の由貴には、それすらも面倒だった。それくらい疲れ切っていた。一方で、コンビニで弁当を買えば、それこそレンジに入れてボタンを一つ押すだけですぐにでも食べることができる。コンビニ弁当を食べ続けるのはコストも掛かるし体にも良くないということは十分に分かっているのだけど、一度コンビニという便利な道具を知ってしまったら、なかなかその魔力から逃れることができなかった。
こんな大変な思いをして私は働いているのだ。少しくらい楽をしても罰は当たらないだろう。
そんな心の声が、由貴の免罪符になっている。
由貴は弁当売場の隅に置かれていた「ツナと大根おろしの和風パスタ」と品書きされたパスタを手に取る。値段を見ることもなかった。そして弁当売場の横にある飲料売り場で飲むヨーグルトのパックを掴んでレジに向かった。
そのコンビニでは有人レジの横に無人の自動支払機が置かれている。専用の機器を使って自分で商品に貼られたバーコードを読み込ませ、料金の支払い、お釣りの受け取りまですべてその機器がやってくれる。店員とやり取りするのも面倒なときは由貴もその自動支払機を使う。
今日も使おうと思って支払機の方に視線を向けると、先程見た中年サラリーマンが機器にお金を入れるのに、何やら手間取っているのが見えた。財布の中を漁って小銭を必死に探している。一方で有人レジの前には客は誰もいない。仕方なく由貴は有人レジの前に進み、女性店員の前にパスタと飲むヨーグルトを置いた。店員は手際よく商品のバーコードを読み取っていく。
「721円です」
初めて聞いたその店員の言葉は、どこか舌足らずな感じがした。見た目の幼さもあって、ひどく若く感じる。学生だろうか。何気なく、店員の胸のあたりに付けられていた名札を見ると「野中」と印刷されていた。地方から都内の大学に進学してきて、親からの仕送りだけでは生活費が賄えずにこんな夜遅くまで働かないといけないのかもしれない。目の前の若い女性の身の上を勝手に想像する。
こんな深夜まで一人働いていて、淋しくなったり、虚しくなったりしないのだろうか。
由貴は財布の中から千円札を女性店員に手渡す。
女性店員は由貴のその心の問いかけに答えるかのように「お釣りは289円です」と、微かに微笑みながら小銭を丁寧に由貴に差し出してきた。




