episode8 もう一人のユン・セア
「……なんだよ、これ」
ハン・ジフンの声が掠れた。
店内のテレビ。
生放送。
そこには確かに、
ユン・セアがいた。
白いドレス。
完璧な笑顔。
韓国中が知っている、
“国民的女優ユン・セア”。
でも。
今、
本人はここにいる。
カフェの椅子に座り、
震えている。
「……嘘……」
ユン・セアの顔色が真っ白になる。
テレビの中の“自分”が、
マイクを向けられていた。
『授賞式への意気込みは?』
記者が尋ねる。
すると。
画面の中のユン・セアが、
ゆっくり笑った。
『——皆さんに、最高の夜をお見せします』
その声。
完璧に本人。
だが。
ユン・セアには分かった。
あれは違う。
“中身”が。
「……あいつ」
唇が震える。
「もう私の身体を……」
ジフンがテレビへ近づく。
「乗っ取り始めてるのか……?」
「違う……」
ユン・セアが首を振る。
「もっと悪い」
恐怖に満ちた声。
「あれ、もう完全に動かせてる」
その瞬間。
テレビの中のユン・セアが、
こちらを見た。
カメラ越し。
なのに、
確実に目が合った。
そして。
『セア』
テレビの中の女が、
小さくそう呟いた。
ユン・セアの全身が凍る。
「っ!!」
次の瞬間。
ブツンッ。
店の電気が落ちた。
悲鳴。
停電。
真っ暗。
「ジフン!!」
「ここだ!」
男の声。
だがその時。
カツ……。
暗闇の中。
誰かが歩いてくる音。
ゆっくり。
引きずるように。
カツ……。
カツ……。
ユン・セアの呼吸が止まる。
分かる。
いる。
「あぁ……」
女の声。
耳元。
「良い身体だったよぉ……」
「っ!!」
ユン・セアが振り返る。
そこにいたのは——。
老婆。
黒い韓服。
片腕。
濁った瞳。
だが。
顔だけが、
ユン・セアになっていた。
ぐちゃぐちゃに混ざっている。
老婆と美女。
まるで壊れた人形。
「返して……」
ユン・セアが後退る。
「返してよ!!」
「嫌だねぇ」
老婆が笑う。
「もうすぐ完成なんだ」
その瞬間。
老婆の腕が伸びた。
異常なほど。
黒い影みたいに。
ユン・セアの首を掴む。
「っ……!!」
呼吸が止まる。
冷たい。
死体みたいな手。
「お前さんは、よく頑張った」
老婆が優しく囁く。
「人気を取り戻して」
「人を魅了して」
「世界に愛された」
「おかげで、この身体は最高の器になった」
ジフンがスマホのライトを点ける。
「離れろ!!」
光。
その瞬間。
老婆が嫌そうに顔を歪めた。
ジュゥゥ……。
皮膚が焼ける音。
「……っち」
老婆が手を離す。
ユン・セアが咳き込む。
ジフンが彼女を庇うように前へ出た。
「お前、なんなんだ」
老婆は笑う。
「悪魔だよ」
あまりにも自然に。
まるで、
自己紹介するみたいに。
「人間の願いを叶える」
「代わりに貰う」
濁った瞳が細まる。
「それだけさ」
「……何人喰った」
「覚えてないねぇ」
老婆が笑う。
「人間は欲深い」
「だから契約は簡単だ」
ユン・セアが震える。
「なんで私なの……」
「綺麗だったからさ」
老婆の声は優しかった。
「お前さん、自分の顔が大好きだったろ?」
沈黙。
「世界に愛されたかった」
「見下したかった」
「上に立ちたかった」
老婆が微笑む。
「だから、お前を選んだ」
ユン・セアの瞳から涙が落ちる。
否定できなかった。
全部、
本当だったから。
その時だった。
ジフンが小さく呟く。
「……光か」
「え?」
「さっき焼けた」
男がスマホライトを見る。
「お前、光嫌がったな」
老婆の笑みが少し消える。
「勘の良い記者は嫌いだよ」
空気が変わる。
次の瞬間。
店内全ての鏡へ、
老婆が映った。
無数。
笑っている。
『契約満了は明日だ』
声が響く。
『授賞式で、お前は完全に消える』
その瞬間。
バリンッ!!
鏡が一斉に割れた。
悲鳴。
停電解除。
電気が戻る。
だが。
もう老婆はいない。
残っていたのは。
床に落ちた、
一枚の招待状だけだった。
《Korean Arts Awards》
明日。
そこで全てが終わる。




