episode2 黒い才能
目を覚ました時。
ユン・セアは、自分がどこにいるのか分からなかった。
天井が白い。
見覚えのない古びた部屋。
湿った木の臭い。
窓の外では雨が降り続いている。
「……っ」
起き上がろうとして、
全身に激痛が走った。
血管が焼けるように熱い。
喉も渇いていた。
「起きたかい」
声。
部屋の隅。
あの老婆が座っていた。
片腕のない身体。
黒い韓服。
相変わらず気味が悪いほど静かな笑み。
「……ここ、どこ」
「山小屋だよ」
老婆は鍋をかき混ぜながら答える。
「三日寝てた」
「三日……?」
ユン・セアは自分の身体を見た。
腕に黒い痣のような模様が浮かんでいる。
血管みたいに、
皮膚の下を何かが動いていた。
「何よ、これ……」
「馴染んでる最中さ」
「馴染む?」
「力がね」
老婆は笑った。
「お前さん、運が良かったよ」
「……」
「普通の人間なら、もう死んでる」
ユン・セアの背筋に寒気が走る。
「あなた……何者なの」
「契約屋さ」
「そんなこと聞いてない」
老婆は答えなかった。
代わりに、
濁った瞳を細める。
「どうだい?」
「……何が」
「世界が違って見えるだろ」
その瞬間だった。
ユン・セアの耳に、
大量の声が流れ込んできた。
『殺したい』
『愛されたい』
『あの女、消えろ』
『お願い、見捨てないで』
「っ……!」
頭を押さえる。
声が聞こえる。
知らない人間達の感情。
欲望。
悪意。
全部。
「な、に……これ……」
「聞こえるのかい」
老婆は嬉しそうだった。
「才能あるねぇ」
「やめて……っ」
「それが人間の本音さ」
老婆の声が低くなる。
「お前さんはもう、人の心の“闇”が見える」
ユン・セアは息を呑んだ。
すると突然。
部屋の外から音がした。
「……誰かいるぞ!」
男の声。
複数。
ユン・セアの身体が硬直する。
「記者……!?」
「違うねぇ」
老婆は立ち上がる。
「借金取りさ」
扉が乱暴に開かれた。
入ってきたのは、
柄の悪い男が三人。
「やっと見つけたぞクソババア」
「金払えっつったよな?」
「今日こそ臓器でも売ってもらうか?」
男達が笑う。
ユン・セアは息を呑む。
だが老婆は、
まるで怯えていなかった。
「悪いけどねぇ」
老婆が呟く。
「今日は客がいるんだよ」
「あぁ?」
男の一人が、
ユン・セアを見てニヤついた。
「……おいおい」
「この女、結構上玉じゃねぇか」
「ババア、お前まさか売春でも——」
その瞬間だった。
ユン・セアの頭の中へ、
“何か”が流れ込んできた。
分かる。
自然に。
どうすればいいのか。
男を見る。
目を見る。
そして。
「——跪いて」
口から言葉が零れた。
次の瞬間。
ドサッ。
男が膝をついた。
「……は?」
他の二人が固まる。
男は震えていた。
汗を流しながら。
「な、なんだ……これ……」
「おい、何やってんだよ!」
だが男は動けない。
まるで見えない何かに押さえつけられているみたいに。
ユン・セア自身が、
一番驚いていた。
「……え」
「ほら」
老婆が笑う。
「使えるじゃないか」
ユン・セアの呼吸が乱れる。
怖い。
なのに。
気持ちいい。
圧倒的だった。
今まで、
人生で一度も感じたことがないほど。
「お、お前……何した……」
別の男がナイフを取り出す。
だが。
ユン・セアが視線を向けた瞬間。
男の動きが止まる。
目が合う。
その瞬間だった。
男の顔が、
赤く染まった。
「……綺麗だ……」
「は?」
「綺麗だ……」
男が呆然と呟く。
瞳が蕩けていた。
完全に魅了されている。
老婆が笑った。
「魅了と精神操作」
「それがお前さんの才能だ」
ユン・セアの背筋が震える。
「芸能界向きだろ?」
その言葉に。
彼女の中で、
何かが弾けた。
芸能界。
ライト。
歓声。
頂点。
全部、
まだ終わっていない。
戻れる。
この力があれば。
「……私は」
ユン・セアが呟く。
「戻れるの?」
「もちろん」
老婆は笑う。
「お前さんは、また世界に愛される」
その瞬間。
ユン・セアの脳裏に、
ある男の顔が浮かんだ。
韓国最大手芸能事務所、
ミレエンターテインメント代表。
カン・ドユン。
かつて彼女を切り捨てた男。
『商品価値が落ちた』
そう言って、
電話一本で見捨てた。
ユン・セアの唇が歪む。
「……会いたい人がいる」
老婆は何も言わない。
ただ、
静かに笑っていた。
まるで。
その未来を、
最初から知っていたみたいに。




