episode3 返り咲く女
ソウル、江南区。
巨大芸能事務所。
ガラス張りの高層ビルを見上げながら、
ユン・セアは静かに笑った。
「懐かしい……」
一ヶ月前まで、
ここは彼女の城だった。
誰もが頭を下げた。
スタッフも。
記者も。
新人俳優達も。
だが今は違う。
帽子を深く被っていても、
周囲の視線が刺さる。
「あれ……ユン・セア?」
「嘘でしょ」
「まだ生きてたんだ」
聞こえる。
全部。
人間の本音が。
『気持ち悪い』
『終わった女』
『でも顔ちっさ……』
醜い。
だが、
面白かった。
昔は見えなかった。
人間は、
こんなにも汚い。
「止まりなさい」
入口で警備員に腕を掴まれる。
「関係者以外——」
だが。
ユン・セアが目を合わせた瞬間。
警備員の瞳が揺れた。
「……通して」
低く囁く。
次の瞬間。
警備員は無表情のまま頭を下げた。
「失礼しました」
自動ドアが開く。
ユン・セアは静かに中へ入った。
ロビー。
白い大理石。
高級な香水の匂い。
行き交う芸能人達。
全員が彼女を見て固まった。
「……え」
「ユン・セア!?」
「なんでここに……」
ざわめき。
スマホを向ける人間。
だが。
ユン・セアは止まらない。
エレベーターへ乗る。
最上階。
代表室。
扉の前で立ち止まる。
秘書が顔を青ざめさせた。
「だ、代表は今——」
「入るわ」
「ちょっ——」
扉を開ける。
広い部屋。
ソウルの景色。
高級酒。
そして。
「……驚いたな」
男がいた。
カン・ドユン。
四十代半ば。
韓国芸能界を支配する男。
完璧なスーツ姿。
冷たい目。
だがその視線の奥に、
一瞬だけ動揺が走った。
「生きてたのか」
「残念だった?」
「いや」
カン・ドユンは笑う。
「死んでた方が綺麗だった」
昔のユン・セアなら、
傷ついていた。
でも今は違う。
彼女は分かる。
この男の感情が。
『戻ってくるな』
『厄介だ』
『だが……まだ使える』
心が見える。
全部。
「相変わらずね」
「君こそ」
カン・ドユンがソファへ座る。
「今さら何の用だ?」
ユン・セアは黙って歩み寄る。
そして。
男の目を見つめた。
「私を、もう一度トップへ戻しなさい」
沈黙。
次の瞬間。
カン・ドユンが笑った。
「面白い冗談だ」
「冗談じゃない」
「君は終わった」
「終わってない」
「スポンサーは全部離れた」
「世間も敵だ」
「どの局も君を使わない」
男の声は冷たい。
「もう商品価値がないんだよ」
だが。
ユン・セアは微笑んだ。
「……本当に?」
その瞬間。
空気が変わった。
カン・ドユンの瞳が揺れる。
視線が絡む。
ユン・セアの黒い瞳が、
ゆっくり闇を帯びていく。
「っ……」
男の呼吸が止まる。
脳へ直接触れられる感覚。
思考が混ざる。
理性が溶ける。
ユン・セアの声が、
頭の奥へ流れ込んでくる。
『私は必要』
『私は価値がある』
『私は、特別』
カン・ドユンの額に汗が滲む。
「な、にを……」
「私を見て」
囁き。
次の瞬間。
男の瞳から、
敵意が消えた。
代わりに浮かぶのは——。
執着。
「……綺麗だ」
ユン・セアは笑った。
あぁ。
分かる。
この力は本物だ。
人間が、
こんなにも簡単に壊れる。
「ドユン代表」
ユン・セアが耳元で囁く。
「私を、もう一度スターにして」
男は無意識に頷いていた。
「……あぁ」
「私のために全部使って」
「あぁ……」
「私を愛して」
カン・ドユンの瞳が蕩ける。
「愛してる……」
その瞬間だった。
ズキン。
ユン・セアの頭に激痛が走る。
「っ……!」
視界が歪む。
鏡。
部屋の奥にあるガラスへ、
一瞬だけ自分が映った。
だが。
そこにいたのは。
自分じゃない。
黒い影。
皺だらけの老婆が、
こちらを見て笑っていた。
「——っ!?」
瞬きをした瞬間、
元に戻る。
鏡にはいつもの自分。
完璧な美貌。
だが、
背中を冷たい汗が流れた。
「セア?」
カン・ドユンが心配そうに覗き込む。
「大丈夫か?」
その顔を見た瞬間。
ユン・セアは理解した。
もう戻れない。
自分は、
普通じゃない。
それでも。
彼女は笑った。
「ええ」
ソウルの景色が広がる。
光。
高層ビル。
芸能界。
頂点。
全部、
自分のものになる。
今度こそ。
誰にも奪わせない。
その時だった。
スマホが震える。
通知。
【速報】
『ユン・セア、電撃復帰か』
記事が上がっていた。
誰も発表していない。
なのに。
まるで、
何かが動き始めたみたいに。




