早朝からの特訓
翌朝、午前五時。
枕元に立つ「非日常」に叩き起こされた。
「……秀馬。起きてください」
「……あと、五分」
「五時です。鍛錬の時間です」
無慈悲に布団を引き剥がされた。
そこには、すでに完璧に身支度を整え、愛刀を携えた桜花が立っていた。
「……五時は早いって。昨日、そんな約束したっけ」
「しました。夕食の際、『強くなりたい』と仰いました」
昨夜の光景がフラッシュバックする。
初めて食べた「唐揚げ定食」のジューシーさに目を輝かせ、珍しく上機嫌だった彼女に、俺が勢いで口走った言葉。
……まさか本気で、しかもこの時間から始まるとは。
「源之助様も、最初は同じ文句を口にしました。ですが、良い習慣は変えないものです」
英雄も朝寝坊だったのか。
二百年経っても変わらない「地獄のモーニングコール」に、俺は諦めて体を起こした。
朝靄が立ち込める河原。
湿った土の匂いと、川のせせらぎ、人影はない。
「まず、確認します。秀馬、あなたは戦場でどう動くつもりですか?」
「……桜花の後ろ、だろ」
「具体的に、です」
「考えてなかった。……俺には魔力がないし、できることもないと思ってたから」
「正直でよろしい。では、今日はそこからです」
桜花が、鞘に収まったままの刀を俺に差し出した。
「持ってください。……そして、構えて」
「重いな、これ」
「慣れます。……重心が後ろに逃げている。足を肩幅に、膝を緩めて。切っ先で相手の喉元を貫く意識を」
言われるがまま、形を作る。
桜花が俺の周囲をゆっくりと歩き、品定めするように観察する。
「……良い構えです。筋は悪くない」
「本当かよ」
「源之助様は、この形ができるまで三ヶ月かかりました。秀馬は、……もっと早いかもしれない」
「なんで?」
桜花が、ふと足を止めた。金色の瞳が、朝靄の向こうを見つめる。
「……感覚が、似ている気がします。あの方と」
俺は何も言えなかった。
二百年前の英雄と、落ちこぼれの俺。
その間に流れる沈黙を、川の音だけが埋めていた。
一時間の素振り。
腕の感覚はとうに消え、鉛のような重さだけが残った。
「腕が、……死ぬ」
「慣れます。慣れるまでが鍛錬です」
「鬼かよ、お前」
「鬼ではありません。源之助様は、日没まで続けました」
「……あいつも、そんなにやったのか」
「ええ。強くなりたいと言ったのは、あの方ご自身でしたから」
俺は震える腕で、もう一度刀を握り直した。
「……俺も、あいつみたいに強くなれるかな。魔力ゼロでも」
「なれます。即答した私に、不満がありますか?」
「……いや。信じるよ」
「よろしい。では、あと百回」
五日目。
桜花が二本の木刀を持ってきた。
「今日は動きを見ます。……下がらないでください。速さに怯えず、横に捌く」
桜花が踏み込んでくる。
速い。反射的に後ろに飛び退こうとする足を、意識で止めた。
一歩、右へ。
桜花の木刀が、俺の鼻先をかすめて空を切った。
「……今のは?」
「……よくできました」
桜花が動きを止めた。
「今のは、源之助様が一ヶ月かけて会得した身のこなしです。それを、わずか五日で」
「……一ヶ月を、五日で?」
「素質があります。……いえ、それ以上の『何か』が」
桜花が木刀を下ろした。
朝日が川面に反射し、彼女の金色の瞳を眩しく照らす。
「秀馬。あなたは強くなります。……この私が、保証します」
その言葉には、二百年の重みがあった。
俺は何も言わず、ただ木刀を握り締めた。
自分の胸の鼓動が、昨日よりもずっと力強く響いていた。
一週間後。
俺たちは再び、探索者協会のカウンターにいた。
「第二層への潜入許可を」
受付の担当者が、俺の登録証と、隣に立つ桜花を交互に見た。
「現在Fランク……ですが、特例登録ドールの同行。……許可します。ただし、第二層からはモンスターの性質が変わります。油断は禁物です」
ダンジョン入り口。
一週間前と同じゲートの前に立つ。
「緊張していますか?」
「……少しな」
「良いことです。緊張しない者は、死にます。少し怖いくらいが、生存には丁度いい」
桜花がゲートにカードをかざす。
電子音が鳴り、異界への扉が開く。
一週間前とは、何かが違っていた。
足の踏み出し方。空気の吸い方。
自分の中に、小さな、だが確かな「軸」が通ったような感覚。
桜花は何も言わず、俺の隣を歩く。
その歩幅は、昨日よりもほんの少しだけ、俺の成長を認めるように力強かった。




