ドール、登校する
朝が来た。
目を開けると、視界の端に桜花が立っていた。
窓際で、夜明けの街を静かに見下ろす後ろ姿。
「……起きてたのか」
「休眠は完了しました。おはようございます、秀馬」
振り返った桜花の顔は、朝日を浴びて透き通るように白い。
寝起きの目にこの美貌は、なかなかに毒だった。
「今日の予定を」
「学校だ。……ついてくる気か?」
「当然です。契約者の傍を離れるのは、護衛の理に反します」
断れる雰囲気ではなかった。
⸻
朝食の席で、母さんが文字通り石化した。
「……なんで、姉ちゃんの予備の制服着てるの?」
「秀馬に用意していただきました。似合っておりますか?」
サイズは驚くほどぴったりだった。
清楚なブレザー姿の桜花は、どこからどう見ても「お嬢様校のトップ」にしか見えない。
「学校行くの? ドールが?」
「秀馬の傍に控えます。石浜の血を引く方なら、この重要性はご理解いただけるかと」
桜花の真っ直ぐな視線に、母さんが折れた。
「……見た目は何歳なの」
「外装年齢は十七から変えておりません」
「中身は?」
「二百年と少し」
「……気をつけて行ってらっしゃい。秀馬、粗相のないようにね」
「俺の方がかよ」
結局、押し切られる形で登校することになった。
登校中、桜花はずっと周囲を観察していた。
「……朝から人が多いですね。皆、一様に同じ方向へ歩いている」
「通勤通学の時間だからな。習慣だよ」
「信号……あの赤い光に従わねば、制裁があるのですか?」
「制裁っていうか、車に轢かれる」
桜花がしばらく信号機を眺めて呟いた。
「現代は、小さなルールで動いているのですね。源之助様の時代は、もっと大雑把でした。強い者が、道の真ん中を歩く。……あの方はよく『歩きにくい』と溢していましたが」
歴史の英雄が、信号のない時代に文句を言っている姿。
少しだけ、その「伝説」が身近に感じられて、俺は小さく笑った。
学園の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
当然だ。
「魔力ゼロの落ちこぼれ」の隣に、見たこともない圧倒的な美少女が歩いているのだから。
廊下を通るだけで、ざわめきが波のように広がっていく。
「おい、石浜の隣……誰だ?」
「転入生? モデルか何かか?」
桜花はそんな視線を、冷徹なまでに等しく見返した。
媚びない、揺るがない。
その凛とした佇まいに、誰も近づくことができない。
教室に入ると、上野が真っ先に飛び出してきた。
「来た! 絶対連れてくると思った! おい石浜、それマジで昨日の!?」
「うるさい、声がデカい」
「だってドールだろ!? ドールが制服着て登校とか前代未聞だぞ!」
上野が恐る恐る桜花に声をかける。
「あの……昨日はどうも。上野です。石浜の学友……をやってます」
「存じております。秀馬の学友殿。礼節ある挨拶、痛み入ります」
「……喋り方が完全に武士だな」
上野が小声で戦慄していた。
ホームルーム。
担任の三浦先生は、出席簿を握りしめたまま桜花を三度見した。
「……石浜、その子は」
「俺のドールです。護衛として同行させます」
「転入手続きは……」
「今からします」
沈黙。
桜花が三浦先生を真っ直ぐに見返す。
先生は、桜花の腰に帯びた「刀」と、その型式不明の異様な威圧感に、プロとして何かを察したようだった。
「……放課後、書類を持ってこい。いいな」
「ありがとうございます」
なぜか通った。
先生の顔が少し引き攣っていたのは、見なかったことにした。
一時間目、ドール操縦実習。
いつもは見学の俺だが、今日は事情が違う。
桜花が隣に立っているだけで、クラスメイトの視線が突き刺さる。
「石浜、今日は『置物』じゃないんだろ?」
「昨日のダンジョンブレイク、石浜が解決したって噂、本当かよ」
「どのくらい強いんだ?」
茶化すような声に、桜花が静かに口を開いた。
「――試しますか?」
一瞬で、実習場が凍りついた。
冗談ではない。本物の、命を刈り取る者の眼差し。
「……あ、いや、いいです」
「そうですか。……賢明な判断です」
桜花が少しだけ残念そうに目を伏せた。
彼女にとって「戦わない時間」は、まだ少し手持ち無沙汰なようだった。
昼休み。
桜花は購買の喧騒に、本日一番の衝撃を受けていた。
「これは……術式で膨らませた供物ですか?」
「パンだよ。クリームパン。食べるか?」
桜花が慎重に袋を開け、一口食べた。
そして、フリーズした。
「……甘い」
「クリームパンだからな」
「源之助様の時代に、これほど……」
もう一口食べ、また止まる。
「……美味いです」
「よかったな」
「秀馬、これ、もう一つ買えますか。予備、いえ、備蓄が必要です」
「そんなに気に入ったのか」
「現代は、良いものもありますね」
クリームパン一つで、この世の春のような顔をする最強のドール。
ギャップが激しすぎて、俺はまた少し笑ってしまった。
放課後。教員室にて。
「……石浜。探索者協会には早急に登録しろ」
書類をまとめながら、三浦先生が深刻な顔で言った。
「この型式は、国が放っておかない可能性がある。旧世代の『遺産』だぞ」
桜花がその言葉を遮った。
「先生」
「……なんだ」
「私は、秀馬の契約ドールです。国がどう判断しようと、私が従うのは秀馬だけです」
揺るぎない、鉄のような意志。
「彼が立ち止まれと言えば止まり、斬れと言えば世界を斬りましょう。……それ以外の命令は、雑音に過ぎません」
先生がため息をつき、俺を見た。
「……愛されてるな、お前」
「愛というか、呪縛に近いですよ」
否定はしなかった。
帰り道。夕焼けの中を並んで歩く。
「……学校というのは、不思議な場所ですね。戦いではない時間が、これほど長く続くとは」
「まあ、それが平和ってことだろ」
「平和……」
桜花が街の光を見つめながら、少しだけ歩調を緩めた。
二百年、一人で暗闇の中にいた彼女にとって、この喧騒さえ愛おしいのかもしれない。
「明日も行くか?」
「参ります」
「即答だな。護衛のためか?」
「……それも、ありますが」
桜花が少しだけ目を逸らして言った。
「……クリームパンの『予備』を、確保せねばなりませんので」
「それが本音かよ」
「理由の一つ、と申し上げたはずです」
桜花は笑わなかった。
でも、その足取りは、朝よりもずっと軽やかだった。




