初陣
第七区。
普段は静かな住宅街だった。
だが今は、パニックの震源地へと変貌している。
逃げる人の波が、俺たちと逆方向に流れていく。
「逃げろ! ダンジョンブレイクだ!」
「ドールは!? 人形使いはまだ来ないのか!」
悲鳴と怒号。
そんな中、桜花だけは表情一つ変えず人混みをすり抜けていく。
「……規模の割に、騒がしいですね」
「一般人には小規模でも絶望なんだよ」
「そうですか」
「はい、そうです」
角を曲がった。
現場には、既に先客がいた。
クラスメイトの上野だ。
量産型の汎用ドールを展開し、必死にモンスターと対峙している。
だが、敵は三体。 上野のドールは一体。
防戦一方で、装甲が火花を散らしている。
「上野!」
「石浜!? なんでここに……早く逃げろ、死ぬぞ!」
「いや、逃げない」
「バカ言え! お前は魔力ゼロだろうが! ドールも持ってないくせに――」
「いるだろ。ここに」
俺が指差した先。 桜花が、静かに三体のモンスターの前に歩み出た。
上野が目を剥く。
「……なんだその子。旧式か? いや、型式不明……? 出力はどうなってる」
「後で。今は見てろ」
⸻
「桜花」
「はい」
「これが初陣だ、行けるか?」
桜花が、冷徹に獲物を品定めする。
「――充分です。お時間は取らせません」
鞘に、指をかけた。
モンスターの一体が、獲物を見つけたと言わんばかりに突進してくる。
四足歩行の爬虫類タイプ。
体長二メートルを超える巨体が、弾丸のように迫る。
だが、桜花は動かない。
ただの置物のように、静止している。
間合いが、ゼロになる。
怪物の爪が振り下ろされる――その瞬間。
カチン、と。
音がした。 刀を抜く音ではない。
すでに斬り終え、鞘に「納めた」音だった。
一瞬の遅延。
突進の慣性を残したまま、怪物の巨体が真っ二つに分断された。
「……っ、は?」
上野の、理解が追いつかない絶句。
居合だ。 抜いて、斬って、納める。
その一連が、速すぎて「見えない」。
残り二体。 一体が咆哮し、同時に飛びかかる。 桜花はわずか半歩、横にずれた。
紙一重。彼女の黒髪が、風に揺れる。
「貴方たちは」
静かな、透き通った声。
「少々、遅すぎる」
また、あの「音」がした。
二体目が、着地することなく空中で崩れ落ちる。
最後の一体が、本能的な恐怖に駆られたように背を向けた。
「逃がしません」
桜花が踏み込む。
今度は、俺の目にも見えた。
抜き放たれた瞬間の、閃光のような軌跡。
三体目が、断末魔すら上げられずに地面に沈んだ。
静寂が、戻る。
「……嘘だろ。なんだよ、今の」
上野が、腰を抜かしたまま固まっていた。
「汎用型の三倍……いや、十倍以上は出てるぞ。おい石浜、そいつどこで手に入れた」
「実家の納屋」
「な、納屋ぁ!?」
「ああ。石浜源之助の遺産だ」
「……ヤバいな」
「ヤバいな」
俺たちの語彙は、そこで完全に一致した。
⸻
帰り道。 日は完全に落ち、街灯が灯り始めていた。
桜花は足を止め、オレンジ色の光を見上げていた。
「……夜でも、こんなに明るいのですね」
「電気があるからな」
「電気?」
「魔力とは別の、人間が作り出したエネルギーだ」
桜花が、街の灯りを愛おしそうに見つめる。
「……源之助様が生きていた頃、夜はただ暗かった」
「そうだろうな」
「街に灯りを増やしたい、とあの方は仰っていました。……叶ったのですね、秀馬」
「……ああ、そうだな」
桜花が、ふわりと微笑んだ。 初めて見る、年相応の少女のような笑顔だった。
⸻
「遅い! 納屋はどうしたのよ……って、誰その子」
玄関先で母さんが目を丸くしている。
「桜花。地下室にいた自律型ドールだ」
「はぁ!? 地下室? 魔力もないのにどうやって……」
「説明は後。今日は疲れた」
母さんの追及を無視して、自分の部屋に逃げ込む。
桜花のために、押し入れから古い布団を出した。
「ドールって眠れるのか?」
「休眠状態に入れます。……睡眠と同じかは分かりませんが」
「正直だな」
桜花が布団の前に正座した。
「秀馬」
「なんだ?」
「今日の戦闘、私はあなたの役に立てましたか」 「当たり前だ。圧倒的だった」
「……ですが、あなたは後ろにいすぎました。契約者は、傍にいるべきです」
「いや、危ないだろ」
「私が、絶対に守ります」
断言。
その金色の瞳に、一切の迷いはなかった。
「……わかった。次はもう少し前に出るよ」
「はい。楽しみにしております」
桜花が目を閉じる。
部屋の電気を消した。
暗闇の中、彼女の輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。
二〇〇年の眠りから覚めた、伝説のドール。
それが今、俺の部屋にいる。
魔力ゼロの、落ちこぼれの俺の隣に。
「……おやすみ、桜花」
小さな独り言に、返事はなかった。
だが、窓から差し込む街灯の光が、彼女の穏やかな寝顔を静かに照らしていた。




