朝
僕が先生に指定された駅前に着いたのは、6時の15分前だ。朝早くということもあり、日曜日ではあるが人通りはそこまで多くない。案の定、先生の姿はまだない。
あの人が時間前に来ることの方が怖いと言えるもんな。何かあるんじゃないかと逆に不安になる。
時計を見ながら、先生が何時に来るのかと予想を立てる。僕が身につけている時計は、今どきのスマートウォッチということはなく、高校の時から使っているアナログの腕時計だ。高校生の時に買ったので、何かブランド品であるとかということはないが、それでもシンプルながらにどこか凛とした雰囲気を持つこの時計を、僕は気に入っている。
何でもかんでもデジタルに依存する現代の社会のあり方に僕は疑問を呈する。確かに便利なのかもしれないが、アナログにはアナログの良さがあると思っている。断っておくが、決して機械化の社会が悪いと言っているわけではない。いろいろなものが簡略化され、生活しやすくなってQOLが上昇するのはいいことだと思う。ただ、アナログにもアナログの良さがある。
例えば、レコード盤。あの馬鹿でかい円盤が邪魔だとか、音が綺麗じゃないとか。そういうことではないだろう。レコードにはレコードの味というものがあるのだ。音だけではなく、その空間を占める雰囲気や不器用が故の儚さがそこにはあると思っている。言うなれば僕は、アナログなものがどんどん淘汰されるのが見るに耐えないのである。
まあ、これは平凡な僕だからこその優秀な機械に対する劣等感からくる感情なのかもしれなが、それは自分でさえもわからない。そんなことを考えると悲しくなるので考えるのはやめる。
そんなどうでもいい考え事をしていると、
「やあ、お待たせ〜。」
僕の方に手を振りながら歩いてくる人が目に入る。
その人は、少しだるそうなうつろなタレ目で、髪はロングのボサボサ、身長は僕よりも15センチほど低い、160センチ弱。第一印象は、少し小汚いような雰囲気を纏っているように感じてしまう(とても本人を前にはいえないが)。
その人はぱっと見、男性なのか女性なのかわからないし(なんなら僕でさえもわかっていない)、未成年を思わせるほど幼い。今日の服装は、白いチュニックとその下に黒いパンツを身につけている(普通に女性服を着てくる時もあれば、ジェンダーレスの服装をしてくる時もある)。
その見た目のおかげで、先ほどの小汚い印象が薄れているのだろう。実際、小汚いというのは印象であって、その人は常に石鹸のような優しい香りを体に纏っている。髪はボサボサだが、綺麗な白髪で朝日を反射して輝いている。眠そうな瞳を片手で擦りながら、もう片方の手で僕に手を振ってきている。
「今日もいつも通りですね。先生。」
時計は、約束の時間を5分ほど過ぎた時間を示している。
先生は、いつも少しだけ遅れてやってくる。毎回、毎回、約束の5分過ぎ前にはくるが、時間通りに来ることは決してない。そこには何か信念のようなものがあるのかとさえ思ってしまうほどである。
いや、少し遅れてくる信念ってなんだよ。
まあ、先生には何を言っても無駄だということはわかっているので、今更何かを言うということはない。
さて、先ほどの記述で気づいた人もいるだろうか。そう、この人。手ぶらである。
その両の手に何も持っていないという意味の手ぶらである。普通の人であれば、手ぶらって言っても背中にはリュックか何か背負っているんでしょ?と考えるだろう。安心してほしい、背中には朝日を背負っているだけで他には何もない。手ぶらを通り越して、もはや体がふらふらである。力なくヒョロヒョロと歩いている。短いあくびをしながら、先生は僕に答える。
「私ちゃんは、いつでもどこでもいつも通りだよ。いつも通りでなかったことがない。まあ、いつも通りというのがどの『いつも』を指しているのかはわからないけどね。」
僕のちょっと皮肉をこめた言葉に対して、屁理屈じみた返しをしてくる。先生は僕に、私ちゃんのいつもなんて君は知らないだろう?という意味を込めて言っているのだろう。
確かに、僕はいつもいつでも先生と一緒にいるというわけではない。先生の普段を知らない身ながら、『いつも』という言葉を使ったことに対して単語の揚げ足をとるように返したのだろう。でも、いつもというのがどのくらいの状況の繰り返しや頻度を持って、『いつも』といえるのかは僕にはわからないが、ここ一年間で数十回の待ち合わせをしてきて、その全てで5分ほど遅れてくるということを繰り返しているのであれば、『いつも』と言って差し支えないだろうと思うけど。
いや、先生の言いたいことはそういうことではないか。僕が言っているいつもというのが、待ち合わせに遅れるということだとはわかっているが、直す気がない、または悪いとは微塵も思っていないということを暗に僕に伝えているんだな。そんな勝手な解釈をし、『いつも』という単語に軽くゲシュタルト崩壊を起こしながら、僕は昨日から気になっていた質問を先生に投げかける。
「先生、今回はどこに行くんですか?」
僕が、先生が何も持っていない手ぶらの状態であることに触れないのは、それが『いつも』のことだからである。ここで言う『いつも』は、当たり前だが旅行の時という意味である。先生は旅行や取材などで外に出かけるときは、ほとんど何も持っていかない。記録や写真は僕に任せている(それが僕の仕事であるから、何も問題はない)が、着替えなども持ってこない。その理由は、全てのものを現地調達しているからだ。服でもなんでも、現地に行ってから買っている。だから、帰りは大荷物だ(もちろんそれを持っているのは、僕だけど)。
「よく聞いてくれたね。私ちゃんはその質問を待っていたのさ。なのに、君ときたら。わざわざメールに目的地を記さなかったというのに、なぜか聞いてこないんだから。どこに行くのか気にならなかったのかい?」
なんと。先生が行き先を記さなかったのはわざとだったのか。面倒が勝って、聞かなくてよかった。昨日の僕、ナイス。
「すみません。気にはなりましたが、なにぶんメールを頂いたのが、昨日の、いや、昨晩遅くだったものですから、あまり遅くに連絡するのも迷惑かなと思いまして。今日の集合時間も早かったわけですし。」
少し皮肉じみた返しをしてしまったのは、さっきのちょっとした意趣返しだ。
「私ちゃんは、君から行き先についての質問があることを見越して、寝ずに待っていたというのに。」
衝撃のカミングアウト。
眠そうな表情で来たなとは思っていたが、それはいつも通り原稿を書いていて徹夜してきたからだと思っていたのに、まさか僕からのメールを待っていたなんて。
なるほど、『いつも』とは存外あてにならないものである。それにしても、僕の返信がなかったせいで、先生が眠れなかったとすると、どこか申し訳ない気持ちに・・・。
いや、あまりならないな。毎回先生の急な計画に振り回されている僕の身からすると、少しだけやってやったぞというくだらない優越感が生じてしまう。だから僕は平凡なのだろうな。僕自身の人間としての未熟さに少し悲しくなりながら、先生に行き先を再度問う。




