間違い?
「先生、お茶が入りましたよ。」
「ありがとう。」
あの衝撃的な事件から一ヶ月ほどが経った。僕はいつも通り先生の仕事部屋に行き、先生の家の掃除・洗濯や取材した内容の整理やまとめの手伝いという名のバイトの業務をこなしていた。桜水泉から帰ってきてからの先生は、あまり執筆の手が進んでいないようで、パソコンの前でぼーっとしている時間が増えているように感じられる。帰ってきた直後は、
「今回の取材旅行は色々なことがあったが、収穫は大きかった。君にはああ言った手前ではあるが、次の作品はいいものになりそうだ。」
とか言っていたのに。
ああ言ったとは、僕たちが虹日さん遺体を発見したときの会話のことだろう。作家である先生にとっては、現実で起きた貴重な体験の一つなのであろうから、僕が口を出せるような話ではない。それに先生なら、今回の事件を題材に作品を執筆してとしても下手な扱いはしないだろうし、書くとしたら傑作を書くのだろうという確信もある。
だが、実際は帰ってきてからというもの何かが引っかかるようで、プロットを書いては消し、書いては消しを繰り返していた。
「今回の出来事は悲劇ではあったがインパクトには欠けている。読者があっというような仕掛けを入れてこそ、作家の腕の見せ所だというのに。」
とずっと言っている。
虹日さんが実は女性であったということは驚くべき事実ではあったが、それをそのまま書くわけにはいかない。虹日さんがあのような行動を選択したのは月夜さんの今後の活動を守るためだったのだ。それを仮に物語とはいえ直接的に表現することは、あらぬ推測を巻き起こし、良からぬ展開に発展する可能性がある。
「いいアイデアは出ませんか。」
先生に茶菓子を出しながら問いかける。先生はノールックでお菓子を手に取りながら口へ運ぶ。
「うーん。浮かんでは消えると言ったところかな。私ちゃんの考えた物語だと、虹日君の死を侮辱していると捉えられる可能性もある。直接的にあの兄弟を描写することはないが、どこから飛躍的推測をされるかわからないからね。あまり現実的な物語としての完成度が高くならないんだ。大体、虹日君の行動も現実的ではない。」
「どういうことですか?」
「だって、考えてもみたまえよ。最愛の妹のためとはいえ、自らの全てを、命までを懸けるのは並大抵のものではない。あまりにもフィクションさ。いや、フィクションとしても行き過ぎている。大切なもののためには命までかけるなんていうのは、おとぎ話の中の話だ。実際は、兄弟であっても親であっても、自分以外は所詮他人だ。自分に勝るものはない。と思っていたんだがね。現実は小説よりも奇なり。まさか、そんなことが起こり得るなんてね。私ちゃんには絶対無理だね。」
先生の言わんとすることはわからなくはない。他人か……
『自分以外は所詮他人』
昔見た漫画に同じようなことを言っているキャラクターがいた気がする。幼いときの僕は、それはとても冷たい言葉だと思ったけれども、成長していくと少しだけわかる気もする。自己犠牲の精神は美しいものであるとして描かれることは多いけれども、何の見返りも求めない自己犠牲は逆に恐怖すら感じる。他とのつながりが軽薄になった現代だからこそ、よりそのように感じてしまうのかもしれない。
「気分転換にテレビでもつけましょうか。」
僕はテレビのリモコンを取り、電源のボタンを押す。大型の液晶にはお昼の情報番組が放送されている。ちょうど芸能ニュースの時間だったらしく、
『悲劇の新人女優。空色プロダクション所属の、あの綺羅星月夜がついに芸能デビュー。悲劇を乗り越えた綺羅星月夜、初主演の舞台裏に迫る!』
テロップにはそんな文字が表示されて、月夜さんの姿が映される。モデルやタレントとして活躍している綺羅星月夜さんはこれから俳優としての道を歩み始めるというような内容の特集だった。
「月夜さん、あれからしっかりと立ち直って普通に活動できているようですね。」
「そうだね。虹日君については不慮の事故にあったというような説明がなされていたし。こんなにも早く活動を再開できているのは、あの家の力が働いているんだろうね。まあ、虹日君の望み通りにはなっているといえるのかな。」
あの家とはもちろん綺羅星家のことである。あの事件はニュースや週刊誌で大々的報道されることはなく、事件後活動を小休止していた月夜さんが所属の事務所を通して軽く説明するだけとなった。もちろん、虹日さんが女性であったことなどは誰も知る由もない。虹日さんの最後の願い、月夜さんのこれからの活動は守られたというわけだ。そこだけは本当によかった。
「それにしても、彼女は大女優になるかもしれないね。」
「え?どうしてですか?」
「だって、事件の起きた日の夜、私ちゃんたちの部屋に訪ねてきた時。あのときすでに虹日君の首は切断して自分の手で蔵のあそこに置いたんだよ?虹日君の首を発見した時、まるで初めてそれを見たかのような反応を見せていたじゃないか。いや、あの叫び声は今考えれば不自然だったのか?まあ、どちらにせよ。あの時の私ちゃんは誰一人としてその不自然さに気が付かなかったんだ。あの演技力があれば、これからの俳優として活躍していけると思うね。」
「確かにそう言われればそうですね。」
「今考えれば、あの時庭を真っ先に捜索しようと提案したのも月夜君だったしね。」
確かにあの時の月夜さんは効率的だからと先に庭を探すことを提案していたが、実際は虹日さんと陰さんの遺体を僕たちと共に発見するためだったのかもしれない。
「とはいえ、演技力だけで言ったら、月夜君よりも虹日君の方が才能はあったかもしれないね。」
「ん?」
僕は先生の言葉に首を傾げる。
「虹日君は自分が女性であるということを隠して、10年以上も自分が男性であるという演技をし続けていたんだよ。それも誰にも悟られることなくね。驚異的な演技力だと言っていいだろう。君だって一緒に出店通りに行った時でさえ、全く気が付かなかったんだろ?」
「そうですね。言われてみれば生まれてからずっと、常に演技をし続けていたということですか。」
「そういうことだね。」
お茶を啜りながら先生が頷く。
テレビには引き続き月夜さんが。アナウンサーの質問に答えながら初主演ドラマの告知をしている。
「月夜さんはこれから虹日さんの夢も背負って生きていくんですね。」
「虹日君の夢?」
「はい、言っていませんでしたっけ?虹日さんの将来の夢は俳優だったそうですよ。8年前に両親が亡くなってしまった事故でその夢は絶たれてしまったそうですが。それで月夜さんに夢を託したそうです。それに月夜さんが今回、俳優業に挑戦したきっかけも虹日さんの勧めだったそうですよ。だから、月夜さんはこれから虹日さんの想いを引き継ぎながらやっていくんだと思います。」
「へー、そうだったのか。」
出店通りで月夜さんに聞いていたこと。ここまでは先生に話していなかったかと思いながら先生とテレビを眺め続ける。すると、
プルルルルルル
僕のスマホが鳴り響く。僕は急いでテーブルの上の自分のスマホへと向かう。画面に表示されている発信者は、よく知っている人物。というか、ちょうど話していたあの事件の時知り合った探偵。
写録家達さんだ。
「もしもし、どうしたんですか?」
「ワトソン君。急にすまない。君、今ミス紡のところにいるかい?」
「はい、先生も一緒にいますが。」
僕の言葉に反応して先生がこちらを見る。先生に用事があると思いすぐさまスマホの通話をスピーカーにする。
「ちょうどよかった。今からそちらに向かっても良いかな?」
先生は軽く頷く。
「ええ、大丈夫です。何かあったんですか?」
「詳しくはついてから話すが……」
ホームズさんは少し言葉を詰まらせながら、少し間をとる。
「私の推理は間違っていたのかもしれない。」
「え。」
僕はホームズさんの言葉に驚き言葉を発することができない。先生も同じように驚いた表情を見せていたが、少しの沈黙の後、顎に手を当てて何かを考えている様子を見せる。
とにかく今から向かう。とホームズさんが電話を切った後は、通話が終了したツーツーという音と、未だ流れ続けるテレビの音だけが室内を満たしていた。




