桜の下の名探偵?
「さて。」
先生は一息つくと、徐に立ち上がる。
「どこかへ出かけるんですか?」
「ああ、実はこの宿を選んだ理由があってね。この宿の庭にある一本の紅桜。それが名物らしいんだよ。他の桜と比べて、赤の色素が強く出ていて、それはもう、血を吸っているかのような鮮やかな赤い花びらを見せると。私ちゃんが一番最初に言っていた今回の旅の目的は覚えているかい?」
「桜の樹の下にはってやつですか。」
「流石の私ちゃんでも、実際に掘り起こすなんていうことは出来ないけれども、やはり実物を見ておかないとね。」
流石の先生でもやらないかという安堵の気持ちである。いや、やらないのではなく出来ないと言ったのか。つまり、先生は許可さえあれば、または出来さえすればやるということなんだろうな。それにしても『桜の樹の下には』、『紅桜』、『桜の下旅館』、先生でなくても掘ってみたい気持ちになるのは無理もないような言葉の組み合わせである。
僕はカメラだけをカバンから出して、先生と共に部屋を出る。この宿のマップを見ると、どうやら目的の庭は正面玄関と反対側の出入り口から行けるようである。僕たちの部屋とその出入り口の間には、食事をとるための大広間もあった。夜の食事もそこでいただく予定である。
庭に出ると、一つの旅館が保有している庭とは思えないほどの広さの庭に驚く。庭というよりも庭園と言った方が合っているのではないかと思う。真ん中にはひょうたん型の池(おそらく鯉なんかが泳いでいるんじゃないだろうか、いや、そうに違いない)があり、その周りを木の柵が囲んでいる。池の奥側には小さな東屋があり、池の右手には小さな丘があった。
丘の上には先生が先ほど言っていたものであろう、一本の桜の木が植えられているのが見える。僕たちは早速、丘の方へと向かった。出入り口から丘までと池の周りには舗装された道があるので歩きやすい。
「あれはなんですかね。」
僕は丘の近くにある蔵のようなものを指差す。それは日本の古い蔵そのものといった見た目をしている和風の建物である。立派な建物で、扉の上部に光が入るための窓がついている。
「見たところ蔵だろうね。なかなかに立派なものだ。おそらく物置として利用しているんだろうね。」
先生はあまり興味のない様子で一瞥するとスタスタと桜の方へと歩く。僕も置いていかれないようについていく。丘につくと、桜の樹の辺りに一人の人物がいることに気がつく。先ほどは樹の影に隠れていて見えなかったのだろう。
ん?
僕はその人の服装を見て、思わず目を丸くしてしまう。ここでいう目を丸くするは、驚きのあまり目を見開いてしまったということだと認識してほしい。もしかしたら無意識のうちに口もあんぐり開けていたかもしれない。なんで僕がそんなに驚いたのか。その人の服装がすごく特徴的だったからだ。
人の格好を見て驚いたり口を開けたりするのは失礼なことだと僕も思う。服装の自由は公共の福祉に反しない限り、保障されるべき当然の権利である。しかし、想像してほしい。自分の目の前にコテコテの探偵のコスプレをしている人が突然現れたという状況を。
これが、夏の有明であったり、ハロウィンの渋谷であったりしたら僕だって驚かなかったであろう。だがここは、旅館の庭である。それも、和風の高級旅館の庭園の中である。ここにいるということはおそらくその人物も宿泊客であろう。かのイギリスの世界的名探偵を思わせるような鹿撃ち帽とインバネスコートを身に纏い、パイプを口に咥えている(実際のコナンドイルが書いた小説内では、かの人物がそのような格好をしていたという記述はないそうだが)。そしてパイプを咥えてはいるが、そこから煙は出ていない。
先生もその人物の姿を認識したらしい、ニヤッと笑い顔の前で両手を合わせてスリスリとしている。この仕草をするときは先生が興味のあるものを見つけた時のお決まりの仕草だ。完全に目標をロックオンしたようだ。
「君、今日はいい日になりそうだよ。」
探偵のコスプレをしたその人物は、何か考え事をしているというような表情で桜の樹を下から見上げている。
「あ、先生!」
僕が声をかけると同時に先生はとことこと丘を上って、その人物の方へと向かう。先生が近づくと、その存在に気がついた探偵さんが振り向く。
「やあ、こんにちは。君もこの宿の宿泊者かな?」
先生は笑顔を向けながら、その人物に挨拶する。その人物は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに先生と僕を交互に見て、先生に笑顔を返す。
「こんにちは。そうですとも。私もこの宿に宿泊している者の一人です。この宿に泊まっているということは、あなたもこの樹を見にいらしたんですか?」
「そうだったけどね、今の私ちゃんは君という存在に心を奪われた。君、名前はなんていうんだい?」
先生はいきなり握手を求めて、左手を差し出す。その人物は、少し驚いた表情を向ける。
そりゃそうだ。急に目の前に出てきて、君に興味がある。名前はなんだい?なんて今どき不審者でもしないような質問だ。誘拐犯でももっと上手く声をかけるだろう。全く、先生は興味を持つと突っ走って暴走してしまうんだから。
僕は、先生とその人物の間に入り、その人物に僕たちが決して怪しい者ではないということを説明しようと試みる(まあ、すでに怪しいことは先生がしてしまっているが、無害であるということを伝えなくては)。しかし、僕の行動はその人物の意外な挙動によって静止される。その人物は向かってくる僕に対して右手の人差し指を立てて、僕の動きを静止させる。そして、差し出された左手を掴み握手する。
「私の名前は、写録家達と申します。写真の写に記録の録、家の達人でいえさとです。私立探偵をしております。どうぞ、私のことはホームズとお呼びください。」




