桜の下旅館
タクシーは30分ほど走ると目的地へと到着した。トランクからたくさんの荷物を出し、運転手のおじさんにお礼を言うと僕たちは今回お邪魔する宿の正門を前にする。タクシーに乗っている時から宿に近づくにつれその大きさに驚いたが、近くで見るとより一層大きな旅館である。
『桜の下旅館』
門の横にはこの宿の名前を示す看板が立てられていた。大層立派な門構えで、そこそこ古そうな見た目である。古そうといっても汚いということはなく、きれいに管理された門は、厳かな雰囲気をまとっているようだ。だからこそ見た目から年代を推測するのが困難である。
最近はあえて古く見せるような作り方をする建物もあるから、僕のような素人目には古そうというありきたりな感想しか出てこないのだ。開かれた門から中を覗くと宿の玄関まで、玉砂利の敷かれた小道が続き、その両脇には桜の木が並んでいる。ちょうど満開の時期のようで桜がトンネルをつくっているように美しい薄ピンクの桜が風に靡いている。
「すごいですね。」
僕はその美しさに思わず声を上げる。先生の方を見ると先生も満足そうな顔をしている。僕は早速カバンからカメラを取り出し、桜のトンネルをフレームに収める。手をめいっぱい伸ばせば桜の枝に触れることができそうなほど枝の位置が低い。美しいトンネルを抜けると宿の玄関が見える。
先生を先頭に宿に入ると、玄関のところには和服を着た女性が正座をしていた。僕たちが来るタイミングがわかっていたのだろうか。それともずっと正座して待機しているのだろうか。そんなわけないか、と正座して出迎えた女性を観察する。
「いらっしゃいませ。」
その女性は僕たちに対して深々と頭を下げる。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ああ、私ちゃんは紡。言葉紡で予約しているはずだ。」
「紡様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。遠路はるばるようこそお越しくださいました。早速お部屋へご案内いたします。」
女性の案内に従って僕たちは後をついていく。外から見た時はとても広い旅館だと思ったが、どうやら大きさに対して部屋の数は少ないようだ。一部屋一部屋が大きいのだろう。
「こちらでございます。」
女性が案内してくれた部屋の扉には『ソメイヨシノ』と書かれた札が下げられている。おそらくこの部屋の名前なのであろう。
部屋は予想通り広い作りで、和室であった。踏込のスペースからして広く、靴を何足置けるんだよと思わずつっこみたくなるほどである。前室を開けるとそこには10畳以上あるであろう客室が広がる。部屋の真ん中には、平机と座椅子。床の間もしっかりとあり、よくわからない掛け軸(黒い鯉が水面から飛び上がっている?)ときれいな生花が飾られている。
素人目の僕が見ても美しいと思う。客室と外をつなげるスペースには、広縁があり小さなテーブルと椅子があった。床の間の反対側には襖があり、開けると客室よりは少し狭いが、大の大人が横並びで5人は眠れるであろう十分な広さの寝室があった。そこには僕たち二人分の浴衣やタオルなどが既に準備されていた。僕は促されるまま寝室に荷物をおき、先生が既に座っている反対側の座椅子に座る。女性は一旦部屋を出ると、お盆をもってすぐにまた入って来た。
「失礼致します。」
女性は僕たちの前に抹茶を入れた茶のみを出し、それに合わせたお茶菓子も一緒に提供してくれる。
すごいな。わざわざ抹茶を立てて淹れたてを出してくれるなんて。これが高級な旅館のおもてなしなのか。
僕は初めてのサービスに少し緊張した態度をとってしまう。そんな僕の緊張した様子を見て先生はニヤニヤ笑っている。人が悪い。一学生の僕がこんな高級旅館に泊まったことなんてあるはずがないのに。
「改めて、本日は当宿、『桜の下旅館』をご利用いただきましてありがとうございます。私、当宿の女将をしております。桜花と申します。」
桜花さんが再び僕たちに向けて礼をする。その様子に僕もつられて頭を下げる。そんな僕を見て桜花さんがにっこりと優しい笑みを向けてくれる。
桜花さんは、見た目30代前半ほどだろうか、ピシッと着こなした美しい着物と柔らかな笑顔を身に纏っている。女将の風格とでも言おうか、若そうな見た目に対して凛とした雰囲気も持っている女性だ。スラリとした身長で髪の毛を後ろで束ねている。僕が想像するような高級旅館の女将というイメージそのままの人である。
「本日のお食事は、夕方6時ごろを目安とさせていただいております。よろしいですか?」
僕は先生の方を見ると、先生は軽く頷いていたので、僕が桜花さんに大丈夫です、と返事を返す。
「お食事の際、お飲み物の用意はいかが致しますか?もしよろしければ、この桜水泉自慢の地酒も取り揃えておりますので、気軽にお申しくけください。」
桜花さんは笑顔で先生の顔を見ている。先生は待ってましたとばかりの顔を見せながらも、僕の方を伺い顔色を見てくる。その顔は、子供が欲しいおもちゃをねだってくる時のような小動物のようななんとも言えない庇護欲をそそってくる顔だ。
はあ、と一つため息を吐き、僕は先生に対して頷く。
「よし!是非お願いしたい。」
先生は笑顔で桜花さんに対して注文をする。桜花さんが地酒の種類の説明を細かく行い、それに対して先生が注文していくという形だ。何度かの掛け合いの後、先生のファーストドリンクは決まったようで、
「そちらのお客様はいかが致しますか?お客様は未成年でいらっしゃいますよね。各ソフトドリンクも取り揃えておりますよ。」
僕は軽く頷き、桜花さんが示してくれたソフトドリンクの一覧表に目を移す。
それにしても、よく初見で先生が成人しているとわかったな。あの見た目だと未成年と疑われてもしょうがないのに。ああ、そっか。宿泊の予約の際に個人情報を入力しなければならないので知っていたのか。最初に先生が自分の名前を名乗ったから、あっちが予約者っていうのがわかったんだな。さすがプロの接客だ。
そんなくだらないことを考えながら、メニューをひとしきり確認して、僕はリンゴジュースを注文した。
「それでは、お時間までごゆっくりお休みください。」
桜花さんは僕たちの飲み終わったお茶とお菓子のゴミを下げ、ゆっくりとお辞儀をし、静かに部屋を後にした。あまりにも洗練された動作で、余計な音など微塵も立てない。
これがプロの技か、または忍者の末裔か。
僕がくだらないことを考えると、
「忍者みたいだね。」
先生が関心したような声色でボソッと呟く。
おっと、先生と同じ思考になってしまったか。大作家先生と同じ思考というのなら名誉なことなのかもしれないが、どうも僕には幼い子供と同じ思考回路だと言われているような気分になってしまう。




