旅の目的
買い物を済ませると、僕たちはカフェでコーヒーを飲みながらひと休みをすることにした。席に座ってから先生の注文を聞き、僕はカウンターへと向かう。注文するとすぐに二人分の飲み物が作られ手渡される。
「先生、どうぞ。」
先生にアイスココアを渡しながら僕は自分のホットコーヒーをテーブルに置く。先生はコーヒーを飲むことができない。まあ、これも飲めないのではなく飲まないのであるが。なので、カフェに入ると頼むものは決まってアイスココアやフレッシュジュースなどである。
僕は無類のコーヒー好きと自負するほどのコーヒー好きなので、毎回ホットコーヒーを飲む。本格的な夏が訪れるまでは、ギリギリまでホットコーヒーを飲むのが僕のこだわりだ。ホットコーヒーの温度の変化による味わいの違いまで楽しむことをモットーとしている。こんなことを先生に言っても理解してもらえないが、最近のコーヒーはフルーツのようなジューシーなものやチョコレートのような濃厚な甘みを持つものまで様々あり、とても奥が深い。僕は行きつけのコーヒー屋さんに足繁く通い、新しい豆が仕入れられればすぐにそれを試飲して購入している。
最近の僕のイチオシのコーヒー豆の産地は、ホンジュラスだ。とは言いつつ、高校の時、日本史を専攻していた僕はホンジュラスがどこにあるのかを知らない。コーヒー豆の産地なのだから、きっと南アメリカかアフリカだろう。
「先生、この後は宿へ向かいますか?」
コーヒーを飲み終わり、休憩もしたところで僕は先生へと声をかける。
「そうだね。そろそろ向かおうか。」
先生が店の壁にかけられた古い時計へと視線を移す。現在の時刻は午後2時ごろを指していた。朝早く出発したが、ここまでの間に意外と時間が経ってしまったようだ。僕は席を立ち、先生が買ったたくさんの荷物と自分の荷物を持ち上げる。
「宿まではどれくらいですか?」
「歩いて行ける距離ではないと思うからタクシーでも捕まえて行こうか。」
「わかりました。」
先生の後をついていく形で駅の西口にあるロータリーのタクシー乗り場までやってくる。幸い並んでいる人はおらず、タクシーも待機している。
タクシーの運転手に一声かけると、トランクを開けてくれて、そこにたくさんの荷物を入れる。先生と僕は後部座席に二人で並んで座りながら、先生が運転手のおじさんに目的地を伝える。そして、そのままタクシーは出発した。
タクシーの運転手には二種類の運転手が存在する(と僕は勝手に思っている)。お客さんに対して積極的に話しかけてくるタイプの運転手と全く関心がないように一言も話さない運転手だ。前者は運転しながらもぐいぐいと話しかけてきて、僕なんかはその勢いに圧倒されてしまう。初対面の、大して興味もないであろう人に対してよくもこんなに話せるな、と毎回感心してしまう。後者は全く話さないので車内には沈黙が流れる。狭い空間に人がいるのに無言の空間が流れることに耐えられない人は苦しい時間である。でも、僕は沈黙にも耐えられるタイプなので、後者の方が嬉しい。
しかし、今回の運転手のおじさんは、そんな僕の期待とは裏腹に前者のタイプの運転手であったようだ。車が出発するとすぐに僕たちに話しかけてきた。
「お客さんたち、カップルで観光ですか?いいですね。」
どうやら運転手のおじさんには先生の性別が女性に見えているようだ。まあ、今日の服装が女性ものであるため仕方がないと思うが。
「カップルか、そう見えるかい?だってさ、君。どうする?」
先生はニヤニヤしながら僕のことを見てくる。
「勘弁してください。」
「おいおい、君はこんな美少女を目の前にしてそんなことを言うのかい?」
「美少女って・・・。先生、僕よりも年上でしょう。それに先生の本当の性別、僕も知りませんし。」
「全く、まだそんなことにこだわっているとはね。性別なんてどうでもいいんだよ。性別はあくまで属性に過ぎないのだから。気分によって変えられる方が楽しいじゃないか。」
この時代にそんなことを言うなんて。いや、ある意味では時代の最先端を行っているのがこの先生のスタイルというふうにも考えられるのか?性別という枠組みに捉われない世界・・・。僕は生物学上の男女という違いは大事であると思うんだけど・・・。
「ん?どういうことだ?そちらのお嬢ちゃんは、男なのかい?」
タクシーの運転手のおじさんは、僕と先生の会話に困惑してしまったのか、眉をへの字にしながらバックミラー越しに先生の顔を覗く。
「さあ、どちらだろうね。おじさんがどっちだと思うかで判断してもらって構わないさ。」
「はあ。」
おじさんは首を傾げながら変人に会ったとばかりの反応をしている。僕はおじさんに、「安心してください。この人と初めて会った人はみんなあなたのような反応をしますから。僕もそうでした。」と言いたかったが、やめておいた。
この時、僕が運転手のおじさんに対して尊敬の念を抱いたのは、このおじさんが人生で初めて出会うであろうタイプの変人を前にしても、すぐに次の話題を出したことである。長年タクシーの運転手をしていれば変な人を乗せるということもあったのかもしれない。それでもめげずに話題を振り続けるのはプロとしての矜持なのか、ただの話好きなのか。
「お二人は観光できたんですか?」
「そうとも、ここ桜水泉は、桜と温泉が有名だそうじゃないか。私ちゃんはそれを楽しみにしてきたんだよ。」
「そうですか。おっしゃる通り、ここ桜水泉は読んで字の如く『桜・水・温泉』が有名な街ですからね。桜が美しいのはもちろん、山からの湧水と天然の温泉が名物ですよ。お客さんたちはまだ飲めるかわからないが、美味しい湧水で作った地酒も有名ですからね。それを目当てにくる観光客も多いんですよ。」
「ん?」
おじさんの言葉の一部に引っかかって、僕は思わず声を上げる。
「お酒が有名なんですか?」
「そうですよ。山からの水とここで育てられた米から醸される日本酒は、絶品ですよ。でも、数が少なく全国に出荷されないからここでしか飲めない、日本酒好きの間では『幻の日本酒』と呼ばれているんです。この時期だと桜を見ながらの一杯なんて格別でしょう。」
僕は、僕の中で疑問に思っていたことがやっとつながった。
そして、先生の顔をじっと見る。先生は苦笑いを浮かべながら、窓の外に目線を移す。吹けもしない口笛を吹いている。
「なるほど。そのお酒が目当てというわけですか。だからこの場所を選んだんですね。おかしいと思いましたよ。桜と温泉というならほかにも候補があるはずなのに、わざわざネットにも載っていないような穴場を探して訪れるなんて。桜とか温泉ってのは、あくまで二の次で、お酒がメインだったんですね。」
僕は深くため息をつく。運転手のおじさんはまたもや何か僕たちの地雷を踏んでしまったのかと目を泳がせながら、スッと気配を消し運転に集中する。
ここで読者の皆さんに知っておいてほしいことがある。
まず第一に、先生はお酒が大好きである。特に無類の日本酒好きで、先生の家には大きな日本酒用のセラーが3つほど並んでおり、その中には全国の人気銘柄からご当地銘柄まで数多くの日本酒が並んでいる。もはや小さな酒屋さんを開けるほどである。
第二に、先生は決してお酒に強いというわけではない。調子に乗って飲み過ぎるとベロンベロンになってしまう。そして、残念なことに酔ったら話し上戸になってしまい、普段の倍以上喋り続ける。ここで全員が思ったであろうが、先生は普段からよく喋る。普段少ししか話さない人が話し上戸になったところで可愛いものであるが、先生ほど普段からよく喋る人がもっと話し続けるということを想像してほしい。そして話す内容は、よくわからない屁理屈じみた話や余談話ばかりである。正直にいうと、とってもとっても面倒なのである。僕はまだ20歳未満なのでお酒を飲むことができない。一方がお酒を飲んで饒舌になっている隣で、素面のままその話を聞き続けないといけないという状況を想像してほしい。地獄である。
そういったことが何度かあったのち、僕は先生に宣言した。
「先生、普段であれば僕が介抱しましょう。バイト代を貰っているんですからそれぐらいは当然します。ですが、旅行の時はお酒目的じゃないところに行きましょう。先生がお酒を飲むと取材どころではなくなってしまうんですから。せっかく取材旅行しているのに勿体無いですよ。」
その時の僕の発言を聞いた先生が悲しそうな表情を浮かべていたことを今でも覚えている。先生のお金で旅行しているのだから、文句を言うなという人もいるかもしれないが、僕が言いたいのはあくまで取材を第一にしましょうということだ。その場で飲まなかったとしてもお土産として買って帰ればいいのだ。荷物はもちろん僕が持つし、帰った後の家飲みでは僕がおつまみも用意して話し相手にもなる。
「あ、安心したまえ。もちろん今回の旅行の一番の目的は、桜だとも。ここの桜が美しいという話を聞いたからさ。酒が有名だということを隠したのは、それを知ってしまうと君がついてきてくれない恐れがあったからさ。」
目を泳がせながら先生は僕に訴えかける。まあ、ここまで来て帰るほど僕は狭量ではない。呆れ顔を先生に向けながらも、はいはいと軽い返事をする。
これはたくさん飲むな。
今回の旅行において、先生を介抱するという仕事が増えた瞬間であった。




