焼きそばパンの予言(5)
サンライズマート早川店は国道一号沿いにあって、海のすぐ近くだ。ドアが開くと入口のセンサーがピンポンと鳴る。夏は少し海のにおいがして、冬は少し海の音がする。春は何もない。トラックの運転手がいるだけだ。
ここでバイトを始めて一年になる。店長はめったに顔を出さない中年の人で、シフト表には僕の名前のあとに括弧がついている。「(十八歳未満、22:00まで)」。この括弧を見るたびに、自分が賞味期限の書いてある牛乳パックになった気がする。
五時から九時までは、店に僕ともう一人の大学生だけ。大学生はレジ、僕は品出しと掃除とからあげ。九時になると大学生が上がって、宵宮真昼が来る。
真昼はこの店でいちばん古株だ。小田原の工業高校の三年生で、髪をきつく結んでいて、きつすぎて頭皮が息をしているのか心配になる。爪は短く切ってある。毎日検品をするからだ。スマホケースの裏には付箋がびっしり貼ってあって、ぜんぶ二人の弟のことが書いてある。
彼女は僕を名前で呼んだことがない。
「新人くん」店に入るなり彼女は言った。エプロンのひもを結びながらレジの奥へ向かう。「今日のからあげ、何回揚げた?」
「四回」
「何回分売れた?」
「二回半」
「じゃあ一回半残ってるね。九時半前に値引き、十時に廃棄」彼女は言った。「廃棄のときは新人くんはもう上がってるから、廃棄するのはあたし。つまり新人くんが揚げすぎたせいで、あたしが廃棄しなきゃいけない。つまり新人くんはあたしにからあげ一回半の借りがある」
「毎日その計算してるだろ」と僕は言った。「その計算だと、ここで一年働いた僕は、一年分のからあげを借りてることになる」
「そう」真昼は言った。「一生かけて返しなさい」
彼女はしゃべるのが速くて、正確で、コンビニの店内放送みたいだ。どの言葉にも値札がついている。僕らが重なるのは一日に一時間だけ、九時から十時まで。その一時間、彼女はレジを担当して、僕は彼女にこき使われるのを担当する。
「新人くん」彼女は小銭を数えながら言った。「明日、卵が特売。十個百九十八円、お一人様一パック限り」
「うちは二パックほしい」
「お一人様一パック」彼女は言った。「新人くんは一人」
「僕は店員だ」
「店員も一人」
「うちは二人いる」
「じゃあもう一人にも並んでもらいなよ」
「その人は九時に寝る」
「九時?」真昼の手が一瞬止まった。「小学生?」
「医者に言われてる」
彼女は僕をちらっと見て、理由は聞かなかった。
「明日、シフトの前に一回寄って」彼女は言った。「二パック、レジの下に置いとくから」
「ありがとう」
「お礼とかいいから」彼女は言った。「一人一パックは店長が決めたことで、あたしが決めたんじゃない。あたしは二人分を取っておいて、二人が買いに来るのを待つだけ。新人くんが買いに来るときは、もう一人のことも想像しながら来なよ」
その夜、店はひまだった。九時すぎにトラックの運転手が何人か来て、コーヒーとたばこを買っていった。一人は雑誌の棚の前に長いこと立っていて、結局何も買わなかった。ジャージ姿のおじさんがプロテインバーを四本買っていった。そのジャージには見覚えがあった。透真が十何回も写真を撮った、朝ランのおじさんだ。夜も運動しているらしい。
九時二十分ごろ、やせた女の子が入ってきた。古びたカーディガンを着て、梅のおにぎりを一つ取って、お金を払って、出ていった。
「新人くん」真昼がレジの奥から言った。「今日どうしたの」
「どうしたって」
「品出し、二回やったでしょ」彼女はあごで飲み物の棚をさした。「あそこのほうじ茶の列、あたしが九時に来たとき新人くんがちょうど補充し終わったところだったのに、さっきまた並べなおしてた。すごくきれいに。誰かを待ってるみたいにきれいに」
「練習してた」
「なんの」
「きれいに並べる練習」
真昼はすごく静かな目で僕を見た。その目は病院で見たことがある。「こっそり何も食べてません」と言う患者を見る看護師長の目だ。
僕は何も言わなかった。どうしてほうじ茶をもう一回並べたのか、本当に自分でもわからなかった。
九時五十何分かに、入口がピンポンと鳴った。
「新人くん」真昼は顔も上げなかった。「ホットのとこ、あと二本補充」
東雲が入ってきた。まだ制服で、首からカメラを提げていた。僕のほうは見ないで、まっすぐ飲み物の棚の前へ行って、ホットの段を開けて、ほうじ茶を一本取り出した。一度見て、戻して、隣の一本を取った。一度見て、今度は戻さなかった。
彼女はそのお茶をレジに置いた。
真昼がバーコードを読んだ。「百四十円です。袋いりますか」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
彼女はお金を払って、お茶を持って、出口へ向かった。入口のところで少し止まって、振り返って、飲み物の棚の横に立っている僕を見た。
「おつかれさま」彼女は言った。「新人くん」
入口がピンポンと鳴って、彼女は行ってしまった。
僕はその場に立っていた。飲み物の棚のほうじ茶の列から一本なくなって、小さなすきまができていた。抜けた歯みたいに。
「新人くん」真昼が言った。
「なに」
「今の誰」
「同じクラスの」
「同じクラスの女子が」真昼はレジの小銭を一枚ずつ引き出しにしまった。「九時五十何分に、制服のまま、わざわざ国道のほうまで回ってきて、お茶を一本買っていった」
「家が近いんじゃないか」
「家が近いなら、制服のままじゃないでしょ」
僕は何も言わなかった。その言葉に穴はなかった。言い返せるところが見つからなかった。
真昼がレジの引き出しを閉めた。
「それと」彼女は言った。「あの子が取った一本、新人くんがさっきいちばん前に並べたやつだよ」
「……そんなとこまで見てたのか」
「高一からここにいるんだからね、新人くん。誰がどのお茶をさわったかくらい、ぜんぶわかる」彼女は壁の時計を見た。「はい、十時。シンデレラは帰る時間」
「シンデレラじゃない」
「十時を過ぎたら、新人くんは労働基準法違反の高校生になるの」彼女は僕の上着を裏のフックから外して、投げてよこした。「かぼちゃの馬車より面倒くさい。はい帰って帰って」
着替えて、裏口から出た。
外は雨だった。強くはなくて、細かくて、空で誰かがじょうろを持っているみたいだった。
僕は裏口に立って、トートバッグからあの水色の折りたたみ傘を出して、開いた。傘にも星がプリントしてあった。小さな星が一つずつ、街灯の下で白く光っていた。
降水確率十パーセント。その十パーセントが、どうやら今夜だったらしい。
国道には車が少なくて、街灯が一つずつ灯っていた。海のほうまでずっと。
コンビニの前のベンチには誰もいなかった。ベンチのほうに目をやって、それから自分が見ていたことに気づいた。
僕はトートバッグを背負いなおして、家に向かった。




