星占い相談室の予言(5)
最初のお客さんは、遥が連れてきた。
次の火曜、四時四十分、部室のドアが二回ノックされた。すごく小さく。ノックしたあとで後悔したみたいに、ドアの外の人は一歩下がった。
遥が跳びあがってドアを開けに行った。開けながら東雲を振り返って、手で合図をした。たぶん「座って、来たよ」という意味だった。
ドアの外には一年の女子が立っていた。遥より頭半分背が高くて、髪を低い位置でふたつに結んでいて、スマホを握りしめていた。指の関節が白くなるくらいに。
「小林さん」遥が言った。「入って入って。うちのクラスの子」
「朝凪さんが……」小林さんの視線は遥を越えて、ドアの前の松竹梅のテーブルクロスがかかった机へ、それから机の向こうの東雲へ向かった。「ここなら、その……」
「占ってもらえるって」遥は彼女を引っぱりこんで、机の向かいの椅子に座らせた。「こちらが占い師の東雲先輩。あたしは助手。あっちでお湯わかしてるのはお兄ちゃんだから、気にしなくていいよ。奥でこっちに背中向けてるのは部長で、占いを信じてないから、これも気にしなくていい」
「聞こえてます」星乃が言った。
「だから、気にしなくていいの」
小林さんは椅子に座って、背すじをぴんと伸ばして、スマホを膝の上に画面を下にして置いた。
東雲は彼女を見た。
彼女は人を見るとき、あまりまばたきをしない。ピントを合わせているみたいに。小林さんはそうやって見られて、少し後ろに引いた。
「何が聞きたいの?」東雲が聞いた。
「あの……」小林さんは膝の上のスマホを見下ろした。「先輩にメッセージを送ったんです」
「いつ?」
「先週の水曜日です」
「返事が来ない?」
「既読はついたんです」小林さんの声がどんどん小さくなった。「返事が来なくて」
「先週の水曜から今日まで」遥が指を折って数えた。「六日。既読スルー六日」
「遥」と僕は言った。
「助手だもん」
小林さんの目が赤くなった。スマホを握る指の関節が、もう少し白くなった。
「知りたいんです」彼女は言った。「返事が来るかどうか」
東雲はすぐには答えなかった。
彼女はテーブルクロスの金色の松竹梅の輪を見下ろして、少し見ていた。それから顔を上げて、窓の外を見た。窓の外は屋上で、屋上の向こうは四月の夕方の空で、星はまだ一つも見えなかった。
「……星によると」彼女は言った。
「星はなんて言ってるんですか」小林さんが身を乗り出した。
「水星が逆行中なの」遥がすばやく横から言った。「水星が逆行してると、メッセージが迷子になるんだよ」
「水星は今、順行です」星乃が奥で言った。
「じゃあ金星」遥は言った。「金星の逆行。恋愛担当」
「金星も順行です」
「じゃあ土星!」
「土星は恋愛と関係ありません」
「土星は」遥は机をばんと叩いた。「既読スルー担当なの!」
小林さんはぽかんとして、遥を見て、背中を向けた星乃を見て、それから東雲を見た。
東雲はずっと黙っていた。遥と星乃の言い合いが終わるのを待ってから、口を開いた。
「星によると」彼女は言った。「もう一回送ったほうがいいって」
「もう一回?」
「先週の水曜のメッセージ、なんて書いたの?」
小林さんは少しためらってから、スマホをひっくり返して、ロックを解除して、彼女に見せた。東雲は受け取らずに、画面をちらっと見ただけだった。
僕は彼女の肩越しにのぞいた。画面にはすごく長いメッセージがあって、すごくていねいに書いてあった。部活の話から始まって、先週の試合の話、天気の話になって、最後の一文は「もし先輩のお時間があれば、今度いっしょに試合を見に行きませんか? お忙しかったら大丈夫です!」だった。
「このメッセージは」東雲が言った。「本当に言いたいことじゃないよね」
小林さんの顔がぱっと赤くなった。
「今度は、本当に言いたいことを書いて」東雲は言った。「短く。書いたらすぐ送って、直さないで」
「もし……」小林さんはスマホを握りしめた。「それでも返事が来なかったら?」
「そしたら、わかるでしょ」東雲は言った。「わかったら、もう待たなくていいんだよ」
小林さんは彼女を見た。長いあいだ。それからうつむいて、打ちはじめた。すごくゆっくり。何文字か打っては止まって、消して、また打った。
僕らは誰も何も言わなかった。遥は頬づえをついて彼女を見ていて、奥の星乃はキーボードを叩く手を止めていた。手もとで電気ポットがぐつぐつ鳴っていたので、僕はスイッチを切った。
小林さんは打ち終わった。送信ボタンの上で指が長いこと止まって、それから押した。
「送りました」彼女は言った。声が震えていた。
「うん」東雲は言った。「おつかれさま」
小林さんは立ち上がって、深々とおじぎをして、走って出ていった。廊下まで行って、また走って戻ってきて、ドアのところでもう一回おじぎをして、今度こそ本当に走っていった。
「最初のお客さん」遥が長々と息を吐いた。「土星、大手柄」
僕は東雲に聞いた。
「なんであんなふうに言えばいいってわかったんだ」
「ん?」
「もう一回送れ、本当に言いたいことを書け」と僕は言った。「なんでそれが効くってわかったんだ」
東雲はうつむいてテーブルクロスを見て、金色の竹の一本を指でなぞった。
「わからないよ」彼女は言った。「ただ、待ちぼうけにさせたくなかっただけ」
僕は彼女を見た。彼女は顔を上げなかった。指はまだその竹の上で止まっていた。
その日の午後、彼女は少し疲れているように見えた。
*
その夜の九時四十分、小林さんが遥にLINEを送ってきた。次の朝、遥はドアのすきまからパルスオキシメーターを出すついでに、スマホの画面も出してきた。
「九十六。脈は八十四。あとこれ」
画面には小林さんのメッセージがあった。
「先輩から返事来た。『ありがとう、でもごめん』だって。ちょっと泣いた。今はだいぶ平気。東雲先輩にありがとうって伝えて」
うしろに、泣き笑いの絵文字がついていた。
「これって占い成功?」遥が聞いた。
「先輩はごめんって言ったんだぞ」
「でも、今はだいぶ平気って」遥はスマホを引っこめた。「お兄ちゃん、知ってる? 『返事が来ない』と『ごめん』は、別のものなんだよ」
「どこが違う」
「『返事が来ない』だと、ずっと待っちゃうの」遥は言った。「『ごめん』なら、もう待たなくていいの」
ドアが閉まった。僕はノートに九十六と八十四を書いた。備考欄は空のままだった。
*
小林さんの件は、すぐに広まった。
一年の女子のあいだには、『汐見新聞』よりはるかに速い伝達網がある。その週の木曜には、北校舎四階の階段の上から顔を出す人が出はじめた。顔を出しても引っこまないで、上がってきて、ドアの前の看板の前にしばらく立って、それからノックした。
二人目のお客さんは二年の男子で、来週の追試に受かるかどうかを聞きに来た。
東雲は少し彼を見てから言った。「星によると、今夜、第四章の練習問題を二回やるといいって」
「なんで第四章なんですか」
「星がそう言ってるから」
男子が帰ったあと、星乃が奥で言った。「追試の範囲は第三章から第五章までです。第四章が配点の半分を占めています。それは星が言ったんじゃなくて、シラバスに書いてあることです」
「うん」東雲は言った。「星もシラバスを見るんだよ」
三人目のお客さんは三年の女子で、猫がいつ帰ってくるかを聞きに来た。猫がいなくなって四日たっていた。
東雲は星の話をしなかった。たくさん質問をした。猫は何色か、ふだんどこで寝るのが好きか、いなくなった日の天気はどうだったか、家の近くで工事をしているところはないか。聞き終わると、言った。「工事をしているところに行って。夕方、その子がいつも食べてるおやつを持って、囲いの外で袋を振ってみて」
三年の女子は帰っていった。次の日、彼女はまた来た。茶トラの猫を抱いていた。猫はすごく太っていて、薄汚れていて、すごく不機嫌な顔をしていた。
「囲いの中にいたの」彼女は言った。「閉じこめられて、出られなくなってた」
奥の星乃は、長いあいだ何も言わなかった。それから言った。
「工事現場の囲いは、小動物を閉じこめてしまうことがあります。常識です」
「うん」東雲は言った。「常識だね」
「これは占いではありません」
「占いだなんて言ってないよ」東雲は言った。「わたしがたくさん質問して、あの人がたくさん答えて、答えはあの人の答えの中にあったの」
星乃がこちらを振り向いて、彼女を見た。長いあいだ。見つけたばかりの星の明るさを測るみたいな目で。
「東雲先輩」彼女は言った。「今、先輩がしたことは、観測といいます」
「そうなの?」
「そうです」星乃は言った。「データを集めて、仮説を消していって、結論を出す。これは観測です」
東雲は少し考えた。
「じゃあ星占い相談室って」彼女は言った。「観測相談室に名前変えてもいい?」
「だめです」星乃はまた背中を向けた。「たまたま一回当たっただけです」
彼女の観測記録の表紙には、東雲の名前のあとに「信頼度:観測中」と書いてあった。そのうしろに、すごく小さな字で一言書き足していた。
(五等星?)
僕は見たけれど、何も言わなかった。




