星占い相談室の予言(4)
木曜日。また一つ貸し出された日に、星占い相談室が開店した。
開店というのは、こういうことだ。看板がドアの外に掛かっていて、ドアが開いていて、東雲が入口の折りたたみ椅子に座っていて、前に机が一つあって、机には遥が家から持ってきた紺色のテーブルクロスがかかっている。テーブルクロスは昔うちでお正月に使っていたもので、金色の松竹梅がぐるりとプリントしてあって、星とは何の関係もない。
遥はその隣に座って、助手を名乗っていた。
星乃は部室のいちばん奥に、ドアに背を向けて座って、古いノートパソコンに向かったまま、ぴくりとも動かなかった。今日は先月の観測記録を整理するので「いかなる非科学的活動」にも参加しない、と言っていた。整理を始めて一時間たつけれど、画面はずっと同じページのままだ。
僕は真ん中に座って、お湯をわかす担当をしていた。
部室には電気ポットが一つある。星乃が入部した日に家から持ってきたものだ。先に来た人がお湯をわかす、という決まりがある。この決まりは今日の午後にできたばかりで、決めたのは遥で、最初に破ったのも遥だった。彼女は僕より先に来ていたけれど、この決まりは明日から有効なのだと言った。
「自分で決めたんだろ」
「だから、いつから有効かわかってるの」
「家じゃ毎日自分でお茶いれてるだろ」
「だから家ではあたし」遥は言った。「ここではお兄ちゃんの番。これをシフト制っていうの」
部室の奥で星乃が言った。「シフト表、わたしが作ってもいいです」
それで僕はお湯をわかした。
開店して一時間、客は一人も来なかった。
北校舎の四階には、もともとほとんど人が来ない。ときどき誰かが階段の上から顔を出して、看板を見て、また引っこんだ。一度だけ顔を出したのは音楽準備室の先生で、看板をしばらく見て、それから東雲をしばらく見て、「若いっていいわね」と言って行ってしまった。
「灯里さん」遥が小声で言った。「ほら、はやらないお店って、こういう感じなんだよ」
「商売する気はないもん」
「じゃあなんでそんなにきちんと座ってるの」
東雲は自分を見下ろした。たしかにすごくきちんと座っていた。両手を膝にのせて、背すじをまっすぐ伸ばして、とても大事な人を待っているみたいに。
彼女は手を持ち上げて、頬づえをつく姿勢に変えた。がんばって気楽そうに見せようとしていた。
「占い師、緊張中」遥が小声で言った。
開店して二時間がたとうとするころ、廊下から足音が聞こえてきた。顔だけ出して帰っていく足音じゃなかった。走る足音で、ぱたぱたとだんだん近づいてきて、最後に入口でブレーキがかかった。
「さっくん!?」
入口に女子が一人立っていた。陸上部のジャージを着て、ショートカットで、よく日に焼けていて、額にはまだ汗が光っていた。片手でドア枠をつかんで息を切らしていて、目を大きく見開いて、真ん中でお湯をわかしている僕を見ていた。ここにあるはずのないものでも見るみたいに。
水無瀬一花。隣のクラスで、陸上部で、小学校のころからの知り合いだ。
「ほんとにさっくんだ!」彼女は入ってきて、僕のまわりを半周した。本物かどうか確かめるみたいに。「陸上部の子が、さっくんが北校舎の四階で看板掛けてるの見たって言うから、見まちがいだと思ってた!」
「掛けたのは僕じゃない」
「じゃあここで何してんの」
「お湯わかし」
「お湯わかし?」一花は電気ポットを見て、それから僕を見た。「さっくん、入ったの? その……」彼女はドアの看板を振り返った。「星占い? 相談室?」
「天文部です」奥で星乃が訂正した。振り向かなかった。
「天文部!」一花の声がまた一段高くなった。「さっくんが! 天文部!」
「なんだよ」
「さっくん、小学校のとき、学級委員決めるときはいっつも一番に手を挙げてたよね」一花は言った。「運動会の種目決めも一番に挙げてた。学芸会の出し物決めも一番に挙げてた。それから――」
彼女は少し止まった。
「それから、挙げなくなった」彼女は言った。「中学の三年間、一回も挙げなかった」
「中学は忙しかったんだ」
「忙しかったのは知ってる」一花は言った。「だからびっくりしたの。さっくんが自分で部活を選ぶなんて」
「選んだんじゃない」と僕は言った。「貸し出されたんだ」
「誰に?」
僕は入口のほうを見た。東雲はまだあの折りたたみ椅子に座って、頬づえをついて、一花を見ていた。
一花を見る彼女の様子は、変だった。
知り合ったばかりの人を見る目じゃなかった。恋敵を見る目でもなかった。その二つ以外にどんな見方があるのか、僕には思いつかなかった。彼女の目はすごく静かで、静かすぎるくらいで、ずっと昔の写真でも見ているみたいだった。
ほんの一瞬だけ。それから彼女は頬づえをやめて、座りなおした。
「はじめまして」彼女は言った。「東雲です。朝凪くんは、わたしが借りてるの」
一花は彼女を見て、彼女は一花を見た。僕はそのあいだで、わいたばかりのポットを持ったまま、どのカップに注げばいいのかわからなかった。
「お兄ちゃん」遥が小声で言った。「これ、修羅場だよ」
「……」
「ゲームだとね、幼なじみルートと隠しキャラルートが交差したってことだよ」遥は言った。「だいたいこの時点で、幼なじみルートはもう選択肢を逃してるの」
「遥」
「助手は解説担当なの」
一花は遥の言ったことが聞こえなかったのか、聞こえて聞こえないふりをしたのか、東雲から目をそらして、僕を見て、昔の話をむし返すときの口調で言った。
「さっくん、小二のとき、うちの写真館で写真撮ったの覚えてる? お父さんのスーツ着るって言い張って、袖が床まで引きずってて、結局袖ふんで転んで、背景の布を引きずり下ろしたの」
「覚えてない」
「あたしは覚えてる」一花は言った。「写真、まだ持ってるし」
言い終わると、彼女は東雲のほうを向いた。これがあたしたちのあいだにあるもので、あなたにはないでしょ、と言うみたいに。
東雲は少し考えた。
「彼、三十歳ではげるよ」彼女は言った。
部室がしばらく静かになった。
「……は?」一花が言った。
「三十歳」東雲はすごく真剣に言った。「頭のてっぺんから、どんどん大きくなる丸い形で」
「なんでわかるの」
「占い」東雲はドアの看板を指さした。「ここ、星占い相談室だから」
一花は彼女を見て、口を開けたまま、しばらくしてやっと言った。「うそでしょ」
「うん、うそ」東雲は言った。「でも証明はできないよ。十三年待たないと」
僕はポットを置いて、自分の頭のてっぺんにさわった。
遥はテーブルクロスに突っぷして笑っていて、松竹梅が一部しわくちゃになった。奥の星乃は肩を一度ふるわせたけれど、やっぱり振り向かなかった。
一花はもう少し東雲を見て、それから僕を少し見て、それからドアの看板を見た。表情が何回か変わって、最後に、僕のよく知っている顔で止まった。小さいころ、じゃんけんに負けて、負けを認めたくなくて、でもごねる理由も見つからないときの顔だ。
「練習戻る」彼女は言った。
「うん」
ドアのところまで行って、彼女はまた振り返った。
「さっくん」
「なんだ」
「天文部?」彼女は言った。「オリオン座もわかんないくせに」
彼女は走っていった。ぱたぱたと、だんだん遠くなった。
僕はその場に立って、オリオン座がどんな形だったか考えた。思い出せなかった。城山の朝五時の空は撮ったことがある。でもあのとき向けていたのは空で、星じゃなかった。
「星が三つ並んでるやつだよ」東雲が言った。僕が何を考えているのかわかったみたいに。
「知ってる」
「知らないでしょ」
「……知らない」
「今度の観測会で教えます」奥で星乃が言って、やっとこちらを振り向いた。顔が少し赤かった。さっきまで笑いをこらえるのに苦労していたみたいに。「オリオン座は冬の星座です。四月の夜は、日が沈むとすぐ西の空の低いところにいて、すぐに沈んでしまいます。見るなら、早めに」
「じゃあ早めに」と僕は言った。
*
土曜の午後、僕は「週末、一時間」を果たしに行った。
新聞部の部室は南校舎の一階、階段の下にある。もとは掃除道具をしまう小部屋だった。ドアには「汐見新聞編集部」と書いた紙が貼ってあって、紙の四隅には四色のテープが使ってあった。たぶん、はがれるたびに違う色にしているんだと思う。
中には机が一つと椅子が二つと、すごく古いプリンターが一台入るだけだった。壁には過去の『汐見新聞』がびっしり貼ってあって、最新号が真ん中に貼ってあった。見出しは大きかった。
焼きそばパンの予言
08:12 → 12:25 → 12:41 時系列を完全再現
その下に写真が一枚あった。焼きそばの入っていないあの焼きそばパンで、ひと口かじられていて、断面がカメラのほうを向いていて、犯行現場の証拠写真みたいだった。写真の下には透真の考察が一つずつ並んでいて、最後はこうだった。
同じクラスのAくんの見解:「パン工場に知り合いがいる」
編集部コメント:つまらない。
「本当に書いたんだな」と僕は言った。
「新聞部は嘘をつかない」透真はプリンターのそばに座っていた。「次号のテーマ、星占い相談室にしようと思ってる」
「だめだ」
「なんで」
「部長が怒る」
「部長が怒るのは」透真は言った。「天文部と占星術の対立だからだろ。いいテーマじゃん! 科学対オカルト! 観測対予言!」
「そこで怒るんじゃない」と僕は言った。「見られたくないんだよ」
透真のペンが止まった。
「誰が?」
「部長が」と僕は言った。「入学した日に一人であの部室のドアを開けたら、中に誰もいなかったんだ。新聞に載せたら、みんなに知られる。あそこにはずっと一人しかいなかったって」
透真はしばらく僕を見て、それからノートの「科学対オカルト」に線を引いて消した。
その一時間、僕らは実際にはレイアウトなんてしなかった。新聞部にはレイアウトするものがなかった。次号はまだ書いていないし、プリンターは白黒しか刷れない。透真は相関図の第三版を見せてくれて、「汐見七不思議」の五番目を見せてくれて(真夜中に屋上から女の子の歌声が聞こえる。これは本当で、自分の耳で聞いたと言っていた)、先月お兄さんからかかってきた電話の話をしてくれて、途中まで話して、やっぱりいいや、と言ってやめた。
「そうだ」五十分たったころ、彼がふいに言った。「朔、考察を一つしたんだ」
「何について」
「おまえについて」彼はノートを開いて、最後のページをめくった。「最近、目の下のくまが三月より少し薄くなってる。俺の目測によれば、睡眠時間が三十分くらい増えた」
「睡眠時間は変わってない」
「じゃあ別の原因だな」透真は言った。「考察対象:朝凪朔。最近の変化:くまが薄くなった。火曜と木曜に北校舎へ行く。週末に新聞部へ一時間来ることを承諾した。結論――」
彼は止まって、僕を見た。
「結論は」
「結論はまだ出てない」彼はノートを閉じた。「考察には時間がかかるんだよ」
一時間たった。僕が立ち上がると、彼も立ち上がって、ドアまで見送ってくれた。ドアの紙の角がまた一つはがれていて、彼はポケットから新しいテープを出した。五色目だった。それで貼りなおした。
「朔」
「なんだ」
「来週末も」彼は言った。「一時間?」
「一時間」
彼はそれ以上何も言わずに、うなずいて、あの小部屋に戻っていった。プリンターが動きだす音がした。何を刷っているのかはわからなかった。




