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市影譚 ―怪異を解する―  作者: 宮城 歩


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7-5 集まる声 

11/3修正


「それならよかったです」


「朝食をほとんど食べられなかったことを除けば、ですが」


「そこまでは責任を持てませんよ」


 桂一が答えると、相模は小さく笑った。


 それから腕時計を確かめ、表情を改める。


「では、取材を始めましょうか」


 相模は革の鞄から、小型の録音機と手帳を取り出した。


 栞も鞄からバインダーを出す。桂一は首からカメラを提げ、境内の写真を撮り始めた。


 社務所を出ると、祭りの準備が進められていた。


 拝殿の脇には折り畳まれた長机が重ねられ、その隣には紅白幕の入った箱が積まれている。少し離れた場所では、作業着姿の男性たちが木材を運び、地面へ打った杭の位置を確かめていた。


 相模は辺りを見回しながら、録音機のスイッチを入れた。


「動画じゃないんですね」


 栞が聞く。


「私一人ですと腕が疲れますし、気になったことをその場でメモするのも難しくなりますからね」


「勉強になります」


「それに、映り込んだ方の許可を取るのも大変です」


「それもそうですね」


 素直な返答に、相模の目元がわずかに和らいだように見えた。


「祭りの準備が始まるのは、毎年いつ頃からですか?」


「本格的に人が入るのは、一週間くらい前だそうです」


 桂一が答える。


「資材の搬入は、もう少し前からですね。氏子の方だけでなく、業者も出入りします」


「石段を使う方も増えますか?」


「増えると思います。普段とは人の流れも変わるでしょうね」


 桂一は、拝殿の前を横切る延長コードへカメラを向けた。人が通る部分には、黒いゴム製のカバーが被せられている。


「転倒が祭りの前に集中するなら、その辺りは確認しておきたいですね」


「まずは怪異より、環境の変化ですか」


「怪異は逃げないけど、準備の状況は祭りが終われば片づけられるからな」


 三人が境内の端へ移動すると、石段の脇を通る舗装路から、一人の男性が歩いてきた。


 五十代くらいだろうか。作業着姿で、片手に小さな買い物袋を提げている。祭りの作業をしている人たちとは違い、そのまま境内を横切ろうとしていた。


「すみません」


 桂一が声を掛ける。


「少しお話を伺ってもいいですか?」


「俺に?」


「地元の方ですよね。こちらの石段を普段から使われていますか?」


「ああ、地元だけど」


 男性は石段の方を見た。


「普段は車で途中まで上がるよ。わざわざ下から歩くのは、正月とか祭りくらいだな」


「荷物の搬入とかも、階段を使ったら大変ですもんね」


 栞が尋ねる。


「そういうこと。この道を上がると、小さい駐車場がある。台数は置けないけどな。年寄りや小さい子どもがいる家族は、そっちを使うことが多いよ」


 栞はバインダーへ書き込んだ。


 既存の記事では、正面の石段を参拝の中心として紹介している。脇道についても一応触れてはいるが、写真は少なく、駐車できる台数までは載せていなかった。


「石段で、滑ったり転んだりした経験はありますか?」


 桂一が尋ねると、男性は笑った。


「ありますよ。俺も地元ですが、それこそ何度も転んでます」


「何度もですか」


「若い頃は、下から走って上ってたからな。若いやつは体力が有り余ってるから、ああいう階段を見ると走ってみたくなるんだよ。部活でも使ってたし」


「走っている時以外にも転んだことは?」


 相模が録音機を手に一歩前へ出た。


「去年だったかな。祭りの少し前に、一度」


「その時の状況を録音してもよろしいですか?」


「録音? あ、いや。構わないけど……アンタ、どこかで見たことあるな」


 男性は首をかしげた。


 濃いサングラスとベージュのハンチング帽を順番に見て、何かに納得したのか、すぐにうなずく。


「俺の名前を出さないなら、別にいいですよ」


「もちろんです」


 相模が録音機を男性へ向けた。


「昨年転んだ時、荷物は持っていましたか?」


「何も持ってなかったよ。天気もよかった」


「石段は濡れていましたか?」


「いや、乾いてたと思う。落ち葉を踏んだわけでもない」


「どのように転んだのでしょうか」


「右足が、急に後ろへ滑ったんだ。誰かに足を引かれたみたいにな」


 男性は自分の右足を半歩後ろへ引いた。


「慌てて手をついたから、膝を少し擦ったくらいで済んだけど」


「場所は覚えていますか?」


「下の方だったと思うけどな。狛犬がある踊り場の近くだったかもしれない。何段目までは分からないよ」


 相模が手帳へ書き込む。


「祭りの前には、石段を使う方も増えますか?」


「増えるよ。道具を運ぶ人もいるし、若いのは階段を使うからな。それと、祭りの前には宮司さんが塩をまくんだよ」


「塩を?」


「神輿が通る道を清めるためにな。石段全部にまくのかまでは知らないけど、昔からやってるよ」


 桂一が石段へ目を向ける。


「ありがとうございます。参考になりました」


「こんな話でよかったなら」


 男性は再び相模を見る。


「雑誌、たまに読んでますよ」


「ありがとうございます」


「帽子を被ってたから、すぐには分からなかったけど」


 そう言い残し、男性は舗装路を歩いていく。


 相模は録音機を止めた。


「荷物はなく、路面も乾いていた。それでも、足だけが後ろへ滑った」


「本人の話を聞いただけでは、原因までは分かりませんね」


 桂一はカメラを構え、上から石段全体を撮影する。


「それに、地元の人でも何度も転んでいるなら、単純に古い石段だからという可能性もあります」


「若い頃の分は、走っていたそうですからね」


 栞が言う。


「ただ、祭りの前に塩をまくという話は気になります」


「塩そのものより、まく前後で誰がどこを歩くかだな。後で宮司さんにも確認しよう」


 境内を一通り見て回ったところで、相模が授与所の前で足を止めた。


 御守りや御札と並び、小さな白い袋が置かれている。


「こちらが御神塩ですね」


「ああ、有名ですよね」


 栞が言うと、相模が振り返った。


「地元でも有名なのですか?」


「はい。私も巫女のアルバイトをしていた時、一生懸命、湯呑みに塩を入れて袋へ詰めていました」


 相模の視線が、白い袋から栞へ移る。


「これは、巫女のアルバイトが詰めているのですか」


「ちゃんと御祈祷はされていますよ!」


 栞は慌てて付け加えた。


「それに、私がやっていたのは年末年始の期間限定です。普段も同じかは知りません」


「湯呑みを使うのですね」


「専用だったと思います。少なくとも、休憩中にお茶を飲んでいたものではありません」


「そこは疑っていませんよ」


 相模は白い袋を一つ手に取った。


「スタッフへの土産に、いくつか購入していこうと考えていたのですが」


「喜ばれると思います。玄関や水回りに置く方が多いそうです」


「相沢さんも買われましたか?」


「私は詰める側だったので、買うという発想がありませんでした」


 相模は興味深そうに手帳へ何かを書き込んだ。


「この辺の学生は、年末になると、郵便局で年賀状の区域分別をするか、神社で巫女をするか、という感じでしたから」


「それはそれは興味深い」


「今もそうなのかは分かりませんよ」


「分かっています。以前の地域事情として記録しているだけです」


「相模さん」


 少し離れたところから、桂一が呼ぶ。


「御神塩の記事を書くために来たわけではないでしょう」


「もちろんです。ただ、こういう話も現地へ来なければ聞けませんから」


「載せる時は、神社に確認してくださいよ」


「水野さんは、私を何だと思っているのですか」


「締切前には、使えるものを全部使う人だと思っています」


「否定はしません」


 相模は御神塩を元の位置へ戻した。


 買うのは、取材を終えてからにするらしい。


 三人が授与所を離れたところで、栞はスマートフォンが振動していることに気づいた。


 宮司へ挨拶する前にマナーモードへ切り替え、そのまま鞄へ入れていた。画面を見るのは、神社へ着いてから初めてだった。


 井浦愛華から、何通かメッセージが届いている。


「井浦さんからです」


「学生さんですね」


 相模が反応する。


「はい。潮塊神社へ行ったことがあるか、友達に聞いてみてくれたらしいです」


 栞は最初のメッセージを開いた。


『昼休みになったので、友達に聞いた結果を送ります。友達からも、それぞれの出身中学のグループで聞いてもらいました。今のところ九十六人です』


「九十六人?」


 思わず声に出すと、桂一も画面を覗き込んだ。


『潮塊神社へ行ったことがある人は九十二人、石段を上ったことがある人は八十七人でした。行った理由は、初詣が六十一人、潮塊祭りが四十八人、高校受験の願掛けが三十四人、部活の必勝祈願が二十一人です。複数回答なので合計は合いません』


 続けて、もう一通届いている。


『部活ではバレー部が九人で一番多かったです。優勝はできなかったけど、県大会には行けたと言ってました』


「そこまで聞いたんですね」


 最後に、石段についての集計が続いていた。


『石段で滑ったり転んだりしたことがある人は十四人です。そのうち五人は、足を取られたか、後ろへ引かれた感じがしたそうです。大きな怪我をした人はいませんでした。授業が始まるので、続きは放課後に聞きます』


 相模が腕時計を見る。


「お願いしたのは、いつですか?」


「駅へ向かう前なので、まだ二時間も経っていません」


「休み時間だけで、ここまで集めたのですか」


「友達の友達まで、話が回ったみたいですね」


 桂一も感心したように、もう一度集計を読む。


「井浦は思っていたより顔が広いな」


「質問を広げるだけでなく、すでに集計までしている。取材に向いている学生さんですね」


 相模の言葉に、栞は少しうれしくなった。


「あっ、そういえば」


 愛華の集計を見て、栞は思い出した。


「車を降りる前に、『と~ほくでアソボ!』のSNSにも投稿していました」


「反応は?」


「宮司さんへご挨拶するので、マナーモードにしたままで……」


 栞は観光サイトのアカウントを開いた。


「え?」


「どうした?」


「コメントが、百八十七件あります」


「百八十七?」


「返信まで含めると、二百件を超えています」


 相模が小さく唸った。


「投稿してから、まだ二時間ほどでしょう」


「祭り前とはいえ、随分集まったな」


 桂一も栞のスマートフォンを覗き込む。


 投稿したのは、潮塊神社の特集記事を作成するため、初詣や祭り、長い石段、御神塩などにまつわる思い出を募集する内容だった。今日ここにいることは書かず、写真も既存の記事に使ったものを選んでいる。


 コメントには、初詣や受験祈願、部活動で石段を走らされた話が並んでいた。


 栞は反応の多いものから目を通していく。


「……ちょっと、妙なコメントがありますね」


「妙とは?」


 相模が尋ねる。


「中学生の頃、石段の途中にある狛犬の裏を覗いたら、人形やぬいぐるみがたくさん置かれていて怖かった、と」


「狛犬の裏に?」


「いいねがかなり付いています。返信も……『自分も見た』『去年もあった』『触らない方がいいと聞いた』」


 桂一が尋ねる。


「どちらの狛犬か分かる?」


「口を開けている方だそうです」


 相模は石段の方へ顔を向けた。


「先ほどの男性が転んだという踊り場にも、狛犬がありましたね」


「ええ。石段の中ほどです」


 桂一はカメラを持ち直した。


「まずは、そこを見てみましょう」


 三人は境内の端へ移動し、麓まで延びる石段を見下ろした。


 途中の踊り場に並ぶ二体の狛犬は、木々の枝葉に半ば隠れている。


 どちらが口を開いているのか、ここからではまだ分からなかった。


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