7-2 相模編集長
「よく転ぶというのは、実際に事故が多いということですか?」
栞が尋ねる。
「そこが、まだはっきりしていません」
相模は助手席へ向き直った。
「始まりは、読者から届いた一通の投稿です。潮塊神社では祭りが近づくと、あの石段で転ぶ人が増える。中には、何者かに足を引かれたと話す人もいる、と」
「足を引かれた?」
「ええ。足首をつかまれたような感覚があったそうです」
栞は自分の足元へ目を落とした。
わずかに間を置いてから、桂一が口を開く。
「転びかけた時に、そう感じただけじゃないですか?」
「その可能性は高いと思います」
相模はあっさり認めた。
「石段で足を滑らせれば、踏ん張ろうとして普段とは違う力が掛かります。それを、何かにつかまれたように感じても不思議ではありません」
「それなら、わざわざ東京から調べに来るほどの話ですか?」
「投稿を調べてみると、似た話が以前からあることが分かりました。時期も、祭りの前に集中しています」
「同じ人が書いているとか?」
「発信者は別々です。ですが、先に出た話を読んで、同じように表現している可能性はあります」
「噂を知ってるから、転んだ時に足を引かれたと思ったのかもしれない?」
桂一が言うと、相模はうなずいた。
「ですから、まずは現場を見たいのです。石段の状態や、祭りの前にだけ変わるものがないか。人の出入りも含めて」
「祭りはいつなんですか?」
「今週末です」
「ああ。そういえば、潮塊祭りは今週末か。すっかり抜けてた」
「私は覚えてましたよ。サイトでも宣伝しておきましたから」
栞が楽しげに言う。
「ちなみに、井浦さん――あ、以前の取材で知り合った女子高生にも連絡していたんですけど、『調査に同行したかった』って返事が来てました」
「それは残念ですね。地元の学生の意見も聞いてみたかったです」
「学校を休ませてまで連れてくるわけにはいかないですからね」
桂一が言う。
「祭り前なら、人も荷物も増える。普段と同じ階段でも、この時期だけ転ぶ人が増える理由にはなりますね」
「私もそう考えています」
「じゃあ今回は、怪異を探すというより、転ぶ原因を探すんですか?」
栞が尋ねる。
「どちらかを先に決める必要はありません」
相模が答えた。
「調べた結果、ただ石段が傷んでいただけなら、それで構いません。何もなかったことを確かめるのも、調査ですから」
栞は、少し意外に思った。
『月刊超自然大陸』は、怨霊や呪物、未確認生物まで扱う雑誌だ。もっと初めから怪異が存在するものとして、話を進める人物を想像していた。
「相模さんは、何でも心霊現象にしたがる人だと思ってました」
「相沢」
桂一が止めるより先に、相模が笑った。
「よく言われます。ですが、何でも心霊現象にしてしまえば、すぐに雑誌の中身がなくなってしまいます」
「反対じゃないんですか?」
「正体の分からないものだけを扱うには、正体の分かるものを一つずつ除いていかなければなりません」
「面倒な方を残してるだけですけどね」
桂一が言う。
「水野さんも、同じではありませんか?」
「俺は面倒な方も、できれば片づけたいんですよ」
三人を乗せたノアは、駅前の古い商店街を抜けた。
住宅の間から、色づき始めた山が見える。道路脇に立つ潮塊神社の案内標識を過ぎると、前方に大きな石造りの鳥居が姿を現した。
鳥居の奥には、山の斜面へ向かって石段が延びている。
「あれです」
栞が前方を指した。
近づくにつれ、石段の長さがはっきりと見えてくる。下からでは上部まで見通せず、途中から木々の間へ吸い込まれるように続いていた。
桂一は鳥居の手前で脇道へ入り、石段下の駐車場へノアを進めた。
祭りを数日後に控え、境内ではすでに準備が始まっている。
法被を着た男性たちが木箱を運び、社務所の前では幟旗を広げていた。駐車場の隅には軽トラックが数台停まり、荷台には折り畳まれた長机や紅白幕が積まれている。
その中に、地元テレビ局の名前が入った白いワゴン車があった。
近くでは、マイクを持った女性とカメラマンが、運び込まれる祭り道具を撮影している。
「テレビが来てますね」
栞が言った。
「祭り前の情報番組だろ」
桂一は撮影の邪魔にならない場所を選び、車を停めた。
相模が助手席のサンバイザーを下ろし、鏡でハンチング帽の位置を確かめる。
「相模さん。その帽子で隠せているものは何もありませんよ」
「曲がっていないか確認しただけです」
三人が車を降りる。
桂一が荷室を開け、カメラバッグを取り出している間に、相模は石段の全体を見上げた。
「写真で見るより、傾斜がありますね」
「上の方は、もう少し急ですよ」
栞が答える。
その声に反応したわけではないだろう。
撮影を終えた女性リポーターが、次の取材相手を探すように駐車場へ顔を向けた。
視線が相模のところで止まる。
全身黒ずくめの服装に、濃いサングラス。ベージュのハンチング帽。
リポーターは相模を二度見したあと、何かに気づいた様子で目を見開いた。傍らのスタッフへ声を掛け、マイクを手にこちらへ近づいてくる。
あ、と思い、栞が桂一を見る。
桂一は、ちょうど呆れたようにため息をつくところだった。
「突然すみません」
相模の前で足を止めると、顔を確かめるように少しのぞき込んだ。
「なんでしょうか?」
「もしかして、『月刊超自然大陸』の相模編集長ですか?」
車を降りてから、わずか三十秒。
相模の変装は、一分も持たなかった。




