1-6 未公開データ
掛け直そうかと思った。
やめた。
どうせ出ても、似たようなことしか言わない。
それより、昨日の名刺だ。
「あ」
昨日の服は洗った。
慌てて立ち上がる。
洗濯物を確認した。
ズボンのポケット。
ない。
別のポケットにもない。
「やば……」
玄関へ向かう。
帰宅したときに財布や鍵を置いた棚を見る。
そこにあった。
「……よかった」
白い名刺。
灰島。
その下に、ハイフンのない数字の列。
手に取る。
改めて見ても、変な名刺だった。
会社名はない。
役職もない。
住所もない。
名前と数字だけ。
佐原は言っていた。
必要になれば、あの数字から着信がある。
それでも桂一には、普通の電話番号には見えなかった。
見慣れた番号の並びではない。
何のための数字なのか、名刺だけ見ても分からない。
ただ、何かにつながる数字であることだけは分かった。
佐原の携帯には、実際にこれが表示されたという。
名刺を眺める。
掛ければ、何か分かるのだろうか。
灰島が何者なのか。
ブルーシートに包まれていたものは何だったのか。
どうやって、何台もの車ごと消えたのか。
なぜ桂一の銀行口座を知っていたのか。
そして、
『日本国 協力費』
あの表示は何だったのか。
国が関わっているのなら、なおさら気になった。
携帯を手に取る。
名刺を見る。
数字の最初の一つを入力しようとして、
やめた。
「……やめとくか」
佐原は、知らないことを怖がっているようには見えなかった。
知ろうとすることを避けているように見えた。
その違いが、少し気になった。
それに、佐原は一度も自分から掛けていない。
何度か仕事を受けてきた人間が、それでも掛けようとしなかった。
なら、今すぐ試す必要もない。
名刺を机の上へ置く。
そのまま放っておく気にもなれなかった。
机の引き出しを開ける。
奥にある、鍵付きの小さな引き出し。
重要な書類や予備の鍵を入れている場所だった。
そこへ名刺を入れた。
鍵を掛ける。
これで終わり。
そういうことにしようと思った。
*
終わらなかった。
昼になっても。
夜になっても。
頭の中に残っている。
白い石灰。
消毒薬のような臭い。
荒れていない地面。
細長いブルーシート。
軽すぎる重さ。
白い服。
灰島の笑顔。
消えた車。
そして、六桁の入金。
忘れようとすると、逆に細かいところまで思い出した。
なら、書いてしまえばいい。
そう思った。
桂一はパソコンを開いた。
市影譚の記事を書くときと同じように、新しいファイルを作る。
ただし、公開するつもりはなかった。
覚えていることを、順番に書いた。
佐原から電話が来たこと。
五万円と言われたこと。
山へ入ったこと。
途中で複数の車を見たこと。
石灰。
ブルーシート。
周囲の地面。
持ったときの重さ。
白い服の人間たち。
灰島。
名刺。
そして、消えたこと。
振込のことも書いた。
金額。
振込人名義。
『日本国 協力費』
見たこと。
聞いたこと。
自分で考えたこと。
なるべく混ぜないようにした。
ブルーシートについて書くところで、手が止まった。
人のようだった。
そう書こうとして、消した。
中身を見たわけではない。
見たのは、包まれた形だけだ。
断定する材料はない。
だから、
『イノシシとは思えない形状だった』
それだけにした。
写真はない。
録音もない。
位置情報も残していない。
文章だけだった。
最後まで書いた。
読み返す気にはならなかった。
タイトル欄にカーソルを置く。
【猟師の荷運びバイト】
保存する。
公開はしなかった。
書き終えると、少しだけ頭の中が静かになった。
忘れたかったのだと思う。
ブルーシートの形も。
灰島の笑顔も。
何もない空き地も。
自分の知らないところで、自分のことを知られていた気味の悪さも。
全部、ファイルの中へ置いてしまいたかった。
桂一はパソコンを閉じた。
それから長い間、そのデータを開かなかった。




