第七章 足を引く神社
事務所には、紙をめくる音と、壁時計の秒針だけが聞こえていた。
桂一は一人で机に向かい、取材先でもらった資料を整理していた。
飲みかけのコーヒーは、まだ温かい。
一枚ずつ内容を確かめ、残すものと捨てるものに分けていく。
単調な作業だが、誰かと話しながらやるより、一人の方が早かった。
ふと、壁のカレンダーを見る。
今日の日付に、赤い蛍光ペンで印がついていた。
――相沢、休み。
母親の誕生日だと聞いていた。
同じ家に暮らしているとはいえ、記念日は大切にした方がいい。
今日は、よほどのことがなければ連絡しないつもりだった。
桂一はコーヒーを一口飲み、再び書類へ目を落とした。
その時、机の上でスマートフォンが鳴った。
電話ではない。
SNSの通知だった。
『今、お時間いいでしょうか』
知っている相手からだった。
だが、こうして個人的に連絡が来るのは珍しい。
桂一は手にしていた資料を机へ置いた。
『大丈夫です。何かご用でしょうか?』
送信すると、すぐに既読がついた。
続けて、音声通話の着信が入る。
「はい、水野です」
『水野さん、お久しぶりです。急なのですが、潮塊神社について調査に行けることになりまして、ご相談の連絡です』
「えっと、本当に急ですね」
潮塊神社は、事務所からそう遠くない場所にある、市内ではよく知られた神社だ。
境内は広く、祀られている神も一柱ではない。
つい先日も、地元の情報番組で取り上げられていたはずだ。
『ええ、すみません。別の取材で東北に来ているのですが、こちらへ来る機会はあまりありませんので。この際、前から気になっていた場所を、できるだけ調べておきたいと考えていまして』
「それで、潮塊神社ですか」
『そうです。水野さんの地元ですし、久しぶりに顔も合わせたいと思いまして』
桂一は椅子へ背を預けた。
「明日も、こちらにいるんですか?」
『はい。午前中にそちらへ向かえます』
「神社には、もう連絡を?」
『一般の参拝者として見られる範囲を調べる予定です。神社側へ話を通す必要が出た場合は、改めてお願いしようかと』
「分かりました」
『急なお願いですが、ご一緒いただけますか?』
「俺でよければ」
『助かります。以前、水野さんが書かれた潮塊神社の記事も拝見しました』
「観光向けに書いたものですよ。今回、役に立つかは分かりませんけど」
『地元を知っている方と歩けるだけでも違います。それに、水野さんが何を見るのかにも興味がありますので』
「期待されても、何も出ないかもしれませんよ」
『その時は、何も出なかったと書きます』
桂一は小さく笑った。
「分かりました。では、明日ですね。駅まで迎えに行きます」
『ありがとうございます。到着する時間は、すぐに調べて送りますので』
「明日は女性スタッフも同行します。よろしくお願いします」
『承知しました。本当に急ですみません』
「お気になさらず。久しぶりにお会いできるのを楽しみにしています」
『私も楽しみにしています。それでは、また明日』
通話が切れた。
事務所に、再び時計の音が戻る。
桂一はしばらくスマートフォンを持ったまま、机の上の資料を見ていた。
思いがけない連絡だった。
だが、悪い気はしない。
むしろ口元が少し緩んでいることに気づき、残っていたコーヒーを飲み干した。
今日は栞へ連絡しないつもりだったが、明日の予定だけは伝えておかなければならない。
桂一は、必要なことだけを短く打ち込んだ。
『明日、潮塊神社の取材。駅で編集関係の人を一人拾ってから向かう。九時に事務所。歩ける靴で』
相手の名前は書かなかった。
書く必要もないと思い、そのまま送信した。




