6-2 決定
「ダニエルの親父さんは?」
『生きてるよ』
山本はすぐに答えた。
『だから、ホテル出てから電話かけてみた』
「なんて?」
『昨日の夜、ホテル来た? って』
「直球だな」
『だって確認したかったんだよ』
「で?」
『泊まったこともなければ、全く身に覚えがないって』
山本の父親は、そのホテルへ行ったことすらないらしい。
『というか、「お前のところに泊まるなら先に連絡するだろ」って怒られたよ』
「まあ、そうだろうな」
『昨日も普通に家にいたって。母ちゃんにも確認した』
「親父さん、今いくつ?」
『六十二』
「見た人も、そのくらい?」
『……分からん』
「分かんないのか?」
『親父に似てるって思っただけで、年齢までちゃんと見てないんだよ』
山本が少し考えるように黙った。
『でも、もう少し老けてた気もする』
「六十代後半とか?」
『それくらいかなあ。七十って言われても、そうかもしれない』
「顔は?」
『親父なんだよ』
「似てた、じゃなく?」
『いや……』
電話の向こうで、山本が言葉に詰まった。
『そこが変なんだよな』
「何が?」
『見た瞬間は、親父だって思った』
「うん」
『でも、あとから思い出そうとすると、ちょっと違う』
桂一が黙って聞いている。
『目とか、鼻とか、そういう一個一個じゃなくてさ。なんとなく親父なんだけど、なんとなく違うんだよ』
「親戚に似てる人いる?」
『いるけど、あんな感じじゃない』
「写真とかでしか知らない祖父さんとか」
『それも考えた。母ちゃんに昔の写真まで送ってもらったよ』
「行動早いな」
『怖かったんだよ』
今度の言葉には、冗談が混じっていなかった。
『もし死んだじいちゃんに似てたとかなら、それはそれで嫌だけどさ。まだ説明つくじゃん』
「説明になるか?」
『俺の中ではなるんだよ』
「まあ、気持ちは分かる」
『でも違った』
愛華は黙ったままスマートフォンを見ていた。
さっきまで、桂一の友人というだけで楽しそうにしていた顔から、すっかり笑みが消えている。
「その人、何してたの?」
栞が尋ねた。
『座ってた』
「部屋の中で?」
『そう。ただ座ってた』
「どんな部屋でした?」
『そこも変なんだよ』
「何がですか?」
『普通の客室だった気がする』
「気がする?」
『ちゃんと見たはずなのに、思い出せないんだよな』
ベッドがあった。
机もあった。
照明も点いていた。
そこまでは覚えている。
しかし、壁紙の色を聞かれると分からない。
ベッドが一つだったか二つだったかも曖昧だった。
『ただ、あったかそうだった』
「暖かそう?」
『そうそう』
山本が言う。
『なんていうか、冬に帰ってきた時の自分の部屋みたいな』
栞は少し嫌な感じがした。
『外が寒くてさ。玄関開けたら暖房ついてて「ああ、帰ってきた」って思う時あるだろ?』
「あるな」
『あんな感じ』
「ホテルの客室なのに?」
『うん』
「それで入りたくなった?」
『たぶん』
「中に親父さんみたいな人がいても?」
『それがいたから止まれた』
山本は言った。
『誰もいなかったら、入ってたかもしれない』
事務所が静かになった。
桂一が腕を組む。
「その部屋、いつも同じ場所?」
『同じ』
「何階?」
山本が階数と場所を説明する。
廊下の突き当たり。
本来なら壁があり、その向こうは建物の外側になる。
設計上、部屋を一つ増やせる余地もないという。
「ホテルの図面は見た?」
『支配人に頼んで確認した』
「そこまでしたのか」
『俺だって、最初は建物の構造知らないだけだと思ったんだよ』
「設備用のスペースとか」
『ない』
「改装前に部屋だったとか」
『それも聞いた。違うって』
「事故があった部屋とかは?」
『そういうのもないらしい』
桂一が少し笑った。
「ちゃんと調べてるじゃん」
『笑うなよ』
「いや、もっと適当に怖がって電話してきたのかと思ってた」
『俺だってホテルマンだからな』
「初めて聞いたな、その自負」
『失礼だな』
少しだけ、いつもの調子が戻った。
栞も僅かに肩の力を抜いた。
「写真は壁しか写らないんだよな」
『うん』
「動画は?」
『同じ』
「誰かと一緒だと?」
『出ない』
「一人の時だけ?」
『今のところは』
「その時間帯、監視カメラは?」
『俺が壁の前で立ち止まってるだけ』
「なるほど」
桂一は机を指で軽く叩く。
「見えてる間、自分の様子は?」
『普通だと思う』
「本当に?」
『……多分』
「今度、防犯映像ちゃんと見せてもらいたいな」
『来る?』
「そのつもりで聞いてる」
山本の返事が止まった。
『マジで?』
「マジで」
『来てくれるの?』
「相談したの、お前だろ」
『いや、そうなんだけどさ』
電話越しに、明らかに安心した声が漏れた。
『助かるわ』
「ただし、先に支配人に話通して」
『もう話してある』
「早いな」
『お前に相談するって前から言ってたから』
「俺、何として紹介されてんの?」
『大学時代の友達で、変な案件扱ってるやつ』
「雑だな」
『間違ってないだろ』
桂一は否定しなかった。
「俺が入るなら、勝手に館内うろつくわけにもいかないからな」
『そこは大丈夫。俺の勤務の日なら、補助って形で入れるように聞いてみる』
「客の個人情報とか見えないようにはしてくれよ」
『分かってる』
「あと、相沢――さっき紹介してた女性スタッフも連れていく」
栞が顔を上げた。
「私もですか?」
「嫌?」
「行きますけど」
「じゃあ決まり」
あまりにも簡単に決まった。
『本気で困ってるからな。人が増えるなら助かるよ』
「よろしくお願いします」
「二人なら、片方がダニエルについて、片方が別の位置から見られる」
「なるほど」
愛華が何度か頷く。
「それなら、私もいた方がいいですね」
「なんで?」
「三人の方が、見られる場所増えます」
「駄目」
「早い!」
「高校生を夜中のホテルに連れてく理由がない」
「ありますよ。今出来ました」
「ない」
「見学です」
「駄目」
「弟子です」
「まだ弟子にしてない」
「候補です」
「初耳だよ」
愛華は不満そうに頬を膨らませる。
『誰、その子』
「高校生」
『それは駄目だろ』
「ほら」
「電話の向こうの人まで!」
『いやいや、夜中のホテルだぞ?』
「お母さんに許可取ります」
「そういう問題じゃない」
『親の許可あっても仕事させられないだろ』
「仕事はしません。見るだけです」
「だから何でそんなに行きたいの」
愛華は一瞬きょとんとした。
「だって」
それから、当然のように言った。
「こういうのを見たくて弟子入りしに来たんですけど」
『弟子? お前、弟子取るの?』
「ダニエルは空気読んで少し待っててくれ」
桂一がピシャリと告げる。
「……そうだったな」
「忘れてたんですか?」
「ちょっと」
「酷い!」
栞は思わず笑った。
『なんか楽しそうだな、お前』
「そっちの相談がなければな」
『悪かったよ』
「次の勤務いつ?」
『明後日』
「何時から?」
『二十一時』
「じゃあ、俺たちはチェックインが落ち着くくらいに行く」
『助かる』
「部屋が出やすいの、三時以降なんだよな」
『うん。四時前後が一番多い』
午前四時。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
「それまでに建物見せてもらう。普段の壁も確認したい」
『分かった』
「あと今日はちゃんと寝ろ」
『努力します』
「酒飲まずに」
『それは別の話だろ』
「別じゃない」
『ハイボール一杯だけ』
「お前の一杯信用できないんだよ」
『失礼だなあ』
「アルコール中毒で入院したやつに言ってるんだよ」
『昔の話をいつまで引っ張るんだよ』
「ダニエルって名乗ってる間は一生だろ」
『それ言われると何も返せないな』
山本が笑った。
今度は少しだけ、本当にいつもの笑い方へ戻ったように聞こえた。
『じゃあ、明後日よろしく』
「ああ」
『相沢さんもよろしくお願いします』
「こちらこそ」
『高校生の子は――』
「井浦愛華です!」
『井浦さんね。ケイワン説得出来たら会いましょう』
「はい!」
「余計なこと言うなよ」
『じゃあな、ケイワン』
「おう」
通話が切れた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
最初に口を開いたのは愛華だった。
「私、お母さんに電話してきます」
「待て」
「善は急げです」
「これは善なの?」
「経験です」
愛華は既にスマートフォンを取り出している。
「さっき言ってましたよね」
「何を?」
「経験は、いつ使うか分からないって」
「都合よく使うなよ」
「知識は、人生を楽しくする財産なんですよね?」
「それも今使うな」
愛華は嬉しそうに笑った。
「ちょっと外で電話してきます」
そのまま事務所の扉へ向かう。
「井浦さん」
「はい?」
「まだ行けるって決まってないからね」
「分かってます!」
到底、分かっているようには見えなかった。
扉が閉まる。
桂一はしばらくそれを見つめていた。
「……相沢」
「はい」
「入れ知恵したの、やっぱり君だろ」
「事務所の住所しか教えてませんよ」
「行動力が凄い。それで十分だったんだろうな」
桂一はそう言って、疲れた表情でコーヒーに手を伸ばした。




