第五章 エピローグ
記事の公開から、数日が過ぎた。
『と〜ほくでアソボ!』に掲載したS港の記事は、予想していた以上の速さで広がっていた。
記事の中心に置いたのは、怪談ではない。
港の立入禁止区域へ入る危険性。
そこが漁師や港湾関係者の仕事場であること。
釣り糸やごみが、船や漁をする側の事故にも繋がりかねないこと。
そして、立入禁止区域へ入っている人を見掛けても、直接注意しに行かないこと。
安全な場所から、漁協や警察へ連絡する。
車両が停まっている場合には、無理のない範囲でナンバーを確認する。
漁協の宍戸と相談して作った新しい掲示にも、同じ内容が盛り込まれていた。
『立入禁止区域内に車両が停車していた場合、車両番号を控え、漁協で記録します』
『危険防止のため、直接声を掛けず、下記連絡先までお知らせください』
その下に、漁協と警察の連絡先。
緊急時には、一一〇番へ。
ただ、それだけだった。
だが、効果が出るのは早かった。
「また減ってるみたいですね」
栞がパソコンの画面を見る。
「何が?」
「港から送ってもらった記録です。夜に立入禁止区域へ入る人」
「ああ」
「車も、ほとんど停まらなくなったって」
「早いね」
桂一はコーヒーを飲みながら答えた。
「ナンバー控えられるって書いてあるの、効いてるんじゃないですか?」
「たぶんね」
「カメラだけより嫌かもしれません」
「誰かに見られたら記録されるかもしれない、って警戒するからな」
監視員を増やしたわけではない。
柵を何重にもしたわけでもない。
ただ、そこにいる人の目に意味を持たせた。
実際に、その場に誰かがいる必要すらない。
車から離れている間に、誰かがナンバーを見ているかもしれない。
立入禁止区域に入ったところを、誰かが見ているかもしれない。
そう意識させるだけで、港の夜は少し静かになったらしい。
記事そのものにも変化が出ていた。
「これ、見てください」
栞が検索画面を見せる。
モニターに、有名検索サービスが表示されていた。
「一ページ目?」
「はい」
いくつかの単語を組み合わせた、釣りに関する長い検索語だった。
釣り場。
立入禁止。
通報。
危険行為。
そういった言葉を組み合わせて検索すると、記事が検索結果の一ページ目へ入るようになっていた。
「ロングテールキーワードか。それでも早かったな」
「釣りのインフルエンサーがかなり広めてくれてますね」
SNSにも、記事へのリンクが次々と貼られている。
『こういう注意喚起はありがたい』
『釣り人側も知っておいた方がいい』
『立入禁止へ入る一部の人のせいで、釣り場そのものが潰れる』
そんな反応が多かった。
さらに、記事を参考にしたという連絡も、各地から入り始めていた。
『貴サイトを参考に、注意書きを変えたら無断駐車が減りました』
『通報先を明記したところ、夜間の侵入が少なくなりました』
『直接注意せず、管理側へ知らせるよう周知したことで、住民とのトラブルが減っています』
地域は違っても、似た問題を抱えている場所は多いらしい。
「これ、追記していいですか?」
栞が尋ねる。
「どれ?」
「各地域で使える掲示例」
「ああ。いいね」
桂一は画面を見る。
「そのまま使える形にしようか」
「文章も?」
「うん」
桂一は少し考え、記事へ一文を加えた。
『地域の実情に合わせて変更のうえ、ご自由にお使いください。自治体、漁協、港湾関係者の方は、必要であれば本記事へのリンクもご利用ください』
「これでいい?」
「早いし、さすがですね。いいと思います」
「印刷出来るPDFと、編集用のテンプレートも付けてフリー素材にしたら便利かな」
「そこまでやります?」
「使う側が楽な方が広がるだろ」
使いやすくすればするほど、誰かの役に立つ。
誰かの役に立てば、紹介される。
どこかの港が参考資料として掲載する。
釣り人がSNSで共有する。
別の地域の管理者が、その記事を見て掲示を作る。
さらに、そのページからまたリンクされる。
数時間後、栞が嬉しそうに声を上げた。
「被リンク、また増えてます」
「ありがたいね」
「桂一さん、最初から狙ってました?」
「そこまでは」
「本当ですか?」
「役に立てば、結果的にリンクされることはあるだろうとは思ってたけど」
「それを狙ってるって言うんじゃないですか?」
「違う違う」
桂一は笑った。
「リンク欲しさに役に立たない記事書いたら、本末転倒だろ」
栞も笑った。
自分も取材に同行した記事だった。
警察署で緊張した。
港を歩いた。
漁師に話を聞いた。
市場で魚まで買った。
それが誰かに読まれ、別の場所でも使われている。
数字が伸びるのも嬉しい。
けれど、それ以上に、自分たちが歩いて聞いたことが、本当に誰かの行動を変えているらしいことが嬉しかった。
「そういえば」
桂一が別の画面を開いた。
「こっちも伸びてるよ」
「何です?」
「千台女子校」
「あ」
愛華たちから届いた学校祭の情報だった。
栞が中心になってまとめた紹介記事も、SNSでかなり反応が良かった。
一般公開の日程。
入場出来る場所。
学校側の公式案内。
そして、当日は男性教諭を含む教職員と警備担当が校内を巡回することも、さりげなく書き添えていた。
「桂一さん、ここ入れましたよね」
「どこ?」
「警備のところ」
「ああ」
「男子校なら、ここまで書かなかったですよね?」
「たぶん」
「やっぱり」
栞は少し感心した。
怖がらせるような書き方はしていない。
ただ、一般客も入れる行事であり、学校側もしっかり見ている。
普通の来場者には安心材料になる。
妙な目的で来ようとする人には、ささやかな牽制にもなる。
「男性目線があると、こういうところ上手いですね」
「褒めてる?」
「褒めてます」
記事には、学校から提供された写真やイラストも使われていた。
昔ながらのセーラー服は、栞から見ても少し古風で可愛らしい。
愛華たちをイラスト化した告知画像もあり、友人たちと楽しそうに並んでいた。
「井浦さん、広がって喜んでるでしょうね」
「SNSからお礼来てたよ」
「私のところにも来ました。募金もたくさん集まったって」
「募金? そんなことしてたの?」
「知らないんですか? 珍しいですね。被災者支援とかしてるみたいですよ」
「そっか。気付かなかったな」
「もらったお礼の内容が、私と違ったのかもしれませんね」
「俺の方は、リアクションに困るファンレターだったからな」
栞は素直に笑った。
その時だった。
桂一のスマートフォンが鳴った。
画面を見る。
「……灰島」
「え?」
栞も反応した。
特徴のある十五桁の番号に、登録された『灰島』の名前が表示されている。
「珍しいですね」
「向こうから掛けてくるのは、そうでもないよ」
「桂一さんから掛けると出ないのに」
「そうなんだよ」
桂一は少し不満そうな顔で通話ボタンを押した。
「今度はどうした」
『灰島です』
「知ってるよ。相沢もいる。スピーカーにした」
桂一がスマートフォンを机へ置く。
『……水野さんは、最近ずいぶん私の扱いが雑になりましたね』
「慣れたんだよ」
『それは光栄です』
「で?」
『今回は、ありがとうございました』
「……何の?」
『港の件です』
二人で顔を見合わせる。
桂一が頭に手をやりながら言った。
「何のことでしょう?」
『何のことでしょうね?』
「もういいよ、それ」
灰島はクスリともせず、何事もなかったように続けた。
『記事も拝見しました』
「記事?」
その時。
パソコンから、メールの着信音が鳴った。
栞が画面を見る。
「桂一さん」
「何?」
「メール来ました」
「誰から?」
栞が件名を読む。
「……取材協力費?」
「は?」
メールを開く。
金額を見た栞が目を丸くした。
「いち、じゅう。……五十万円?」
桂一も画面を覗き込む。
『お礼は届きましたか?』
「お前だろうな。このキリのいい振込って何だよ」
『取材協力費です』
「それは見れば分かる」
桂一はメールに表示された金額を見る。
「別にお前の為に動いてないぞ。何をどうしたら、この金額が振り込まれることになるんだ?」
『細かいことはお気になさらず』
「気になるから聞いてんの」
『受け取りづらければ、そのまま学校さんへ募金していただいても構いませんよ』
「げっ」
妙な声を上げたのは栞だった。
桂一がゆっくり栞を見る。
それから、スマートフォンへ視線を戻した。
「……なんかお前、毎回ちょっと怖いな」
『今さらですか?』
「なんで女子校の募金まで知ってるんだよ」
『そのくらいは知っています』
「そのくらいって何だよ」
『少しくらい理不尽な方が、私らしいでしょう?』
「自分で言うなよ」
『では、今後もそのように』
「絶対にやめろ」
栞が思わず笑いそうになって、口元を押さえる。
「そもそも、なんの報酬だよ」
『港を守る記事を書いていただいたので、正当な報酬です』
「答えになってない」
『依頼元については秘密です』
「またそれか」
『ただ、私としても非常に助かりました』
「何が?」
少しだけ間があった。
『あの港は、私も大切に思っている場所なのですよね』
灰島の声は、いつもとほとんど変わらない。
それでも栞には、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
『こんな私でも、温かい気持ちというものになる気がします』
「……なんか分かんないけど」
桂一は椅子へ座り直した。
「勝手にお前らが納得してるなら、それでいいよ」
『そうですね』
灰島はあっさり認めた。
『勝手に納得しています』
「開き直ったな」
『それと、今回の掲示方法の提案ですが』
「うん?」
『どこかで流用出来そうです』
「どこかって?」
『どこかです』
「絶対教える気ないだろ」
『ありません』
「即答するなよ」
『人を近づけたくない場所というのは、意外と多いので』
桂一が一瞬黙る。
「それ、人間の話?」
『さて』
「怪異?」
『さて』
「じゃあ聞く意味ないじゃん」
『ですが、大変参考になりました。ありがとうございます』
「どういたしまして」
桂一は半ば投げやりに答えた。
そして、ふと何かに気付く。
「……待て」
『はい?』
「お前さ」
桂一がパソコンの画面を見る。
公開した港の記事。
アクセス解析。
増え続ける被リンク。
その横には、学校祭の記事も開いたままだった。
「そもそも、なんで俺の旅行サイトのことまで知ってる?」
一拍。
『私、水野さんのファンなので!』
「は?」
『ではまた』
「ちょっ――」
通話が切れた。
事務所が静かになった。
桂一はスマートフォンを見る。
栞も見る。
「……」
「……」
先に栞が吹き出した。
「良かったですね」
「何が?」
「ファン、二人目です」
「三人目だろ?」
「あ、そうでした!」
栞が笑う。
「三人目は、人とは思えないくらい不思議な人ですけど」
「灰島は数に入れたくない」
「贅沢言わないでください」
桂一は大きく息を吐いた。
パソコンには、港の記事が表示されたままだった。
立入禁止区域には入らない。
危険な行動をしている人を見掛けても、直接注意しない。
安全な場所から、管理する側へ知らせる。
特別なことは、何も書いていない。
それでも、以前より夜の港へ入る人は減った。
漁師は、またあの場所で煙草を吸っているのだろう。
宍戸たちは、今日も港で働いている。
そして。
もしかすると、もう一人。
あの場所で、少しだけ仕事が減った誰かがいるのかもしれない。
栞はそう思ったが、口にはしなかった。
分からないものは、分からないままでいい。
ただ、人が近づかなくなった。
危険に遭う人も、きっと減っていく。
それだけは、確かなことだった。




