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市影譚 ―怪異を解する―  作者: 宮城 歩


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5-5 漁協②


 桂一がメモ帳を開いた。


「立入禁止なのに、入る人ってやっぱり多いんですか?」


「いるよ」


 宍戸はすぐに答えた。


「特に釣りだな。昼間ならまだ目につくんだけど、夜に入る人がいる」


「今回の方も、イカ狙いだったそうです」


「ああ。アオリだろ?」


「本人もそう言ってました」


「時期になるとな」


 宍戸は窓の外へ目を向けた。


「奥に一本、灯りがあるんだよ。あそこに寄るって知ってるやつがいる」


「街灯ですか?」


「そう。今じゃ立入禁止の中だけどな」


 桂一がペンを走らせる。


「実際、釣れるんですか?」


「釣れる時は釣れるよ。潮もあるから、一概には言えないけどな」


 宍戸はそこで少し声を強めた。


「ただ、釣れるからって入っていいことにはならない」


「もちろんです」


 桂一は即座に答えた。


「そこは記事でも分けて書きます。釣れる場所かどうかと、入っていい場所かどうかは別ですから」


「そうしてもらえると助かる」


 宍戸は深く頷いた。


「ネットなんかで『ここ釣れます』って広がると、それだけ見て来る人もいるからな」


「場所を紹介する記事にはしません」


「頼むよ」


「むしろ、なんで入っちゃいけないのかを書きたいんです」


「それなら、いくらでもあるよ」


 宍戸が苦笑した。


「まず危ない。岸壁なんて全部に柵があるわけじゃないし、夜は足元も見えない」


「船も動きますよね」


「動くよ。当然」


 宍戸は机の上へ片手を置いた。


「こっちは、人が入れない場所だと思って仕事してるからね」


「そもそも、人がいることを想定していない?」


「そういうこと」


 栞もメモを取る。


「ごみとか、釣り糸の問題もあるって聞きました」


「あるある」


 宍戸の顔が少し険しくなった。


「弁当の容器、空き缶、仕掛け。ひどいと餌の袋までそのままだ」


「釣り糸って、船にも危ないんですか?」


「危ないよ。スクリューに絡むから」


「そこまで?」


「細いから見えにくいしな。ちょっと引っ張ったくらいじゃ切れないやつもある」


 宍戸は少し考えてから、窓の外へ目をやった。


「その辺は、外にいる人に聞いた方がいいな。実際に船に乗ってる側だから」


「分かりました。では後ほど」


 桂一は頷き、そこで質問を変えた。


「立入禁止の範囲って、昔から今と同じなんですか?」


「ああ、それは違うよ」


 答えは早かった。


 栞が顔を上げる。


「違うんですか?」


「昔はもっと狭かった」


 宍戸は立ち上がり、壁に貼られた港の案内図へ向かった。


「ほら。今はここから先が駄目だろ」


「はい」


「昔は、もっと奥だったんだよ」


 指先が、現在の境界より海側へ移動する。


「この辺までは普通に人が入ってた」


「釣りも?」


「してたね」


「じゃあ、少しずつ広がった?」


「そう」


 桂一も立ち上がり、案内図を覗き込む。


「何か一つ理由があったわけじゃない?」


「一つじゃないな」


 宍戸は図の上で指を動かした。


「施設の使い方も変わったし、船も大きくなった。安全管理だって昔より厳しくなったし」


「事故も?」


「もちろん」


 宍戸が頷く。


「海に落ちたとか、怪我したとか。あとは勝手に入って作業の邪魔になったりな」


「そういうことがあるたびに、危ない場所を少しずつ立入禁止にしていったような?」


「ざっくり言えば、そんな感じだ」


 桂一は現在の境界と、昔の境界を見比べた。


「昔の転落事故って、どの辺で起きていたか分かります?」


「全部は分からないな」


「覚えている範囲で大丈夫です」


「俺が知ってるだけでも何件かあるけど……」


 宍戸が案内図の一点を指した。


「たとえば、ここ」


 現在は、立入禁止区域の中だった。


「ここで?」


「うん。かなり前だけどな」


「当時も立入禁止でした?」


「いや」


 宍戸は首を振った。


「その頃は普通に入れた」


 桂一のペンが止まった。


 栞も同じ場所を見る。


「ほかにもあります?」


「あるよ」


 宍戸の指が別の場所へ移る。


 少し離れた岸壁だった。


「ここも一人落ちてる」


「ここも立入禁止ですね」


「今はな」


「その時は?」


「たぶん違う。少なくとも、今みたいな範囲じゃなかった」


 桂一が黙る。


 栞にも、その意味が分かった。


 今回の相談者は、立入禁止区域へ勝手に入った。


 だから、どこかで考えていたのだ。


 入ってはいけない場所へ入ったから、何かが起きたのではないか、と。


 だが、昔は違う。


 少なくとも今聞いた事故のいくつかは、当時なら普通に人が立ち入れた場所で起きている。


「……なるほど」


 桂一が小さく呟いた。


「何か気になる?」


 宍戸が尋ねる。


「いえ。今の立入禁止区域だけ見ていると、昔も同じだったように思っちゃうなと」


「ああ。それはあるだろうな」


「今の地図だけじゃ分からないですね」


「昔の写真でもあれば分かりやすいんだけどな」


「あります?」


「事務所のどこかにはあると思うけど、すぐ出せるかは分からない」


「無理に探さなくて大丈夫です」


 桂一はメモへ一言書き足した。


「必要になったら、改めてお願いするかもしれません」


「その時は言ってくれ」


「ありがとうございます」


 桂一は席へ戻った。


「もう一ついいですか?」


「どうぞ」


「警察で少し聞いたんですが、昔から夜に車を凹まされたとか、釣り竿を折られたとか、そういうトラブルもあったそうですね」


 宍戸の表情が僅かに変わった。


「ああ」


「それで防犯カメラが付いた?」


「それだけが理由じゃないけどな。きっかけの一つにはなったと思うよ」


「きっかけの一つ?」


「港には船も道具もあるだろ。みんな、何かあってからじゃ嫌だからな」


「確かに」


「監視出来るところはしといた方がいいって話にはなる」


 宍戸はそこで少し間を置いた。


「まあ、いたずら自体は忘れた頃にあるんだよ」


「忘れた頃に」


「何年も何もなくて、また何かある」


「犯人が捕まったことは?」


「俺は聞いてないな」


「カメラに映ったことも?」


「それもないと思う」


 栞が口を開いた。


「車って、どんな壊れ方だったんですか?」


「俺が見たやつは、横がへこんでたな」


「事故とかではなく?」


「持ち主は、停めた時にはなかったって言ってた」


「釣り竿は?」


「何本かまとめて置いてて、一本だけ折れてたとか」


「盗まれてはいない?」


「そう」


 宍戸は苦笑した。


「間違って踏んづけたみたいにな。だから余計に意味が分からないんだよ」


「嫌がらせみたいですね」


「普通に考えればな」


 桂一はそこで質問を挟まなかった。


 宍戸が自分から続きを話すのを待つ。


「でも、夜の港なんて誰が何してるか全部把握出来ないからね」


「死角もある」


「ある。カメラがあるっていっても、どこでも映るわけじゃない」


「警察でも同じことを言っていました」


「だろ?」


 宍戸は肩をすくめた。


「だから俺も、変な話にしたいわけじゃないんだよ」


「俺もです」


 桂一は即答した。


「目的は怪談を作ることじゃないので」


「そうしてくれ」


「入っちゃいけない場所には、ちゃんと理由がある。それを伝えたいだけです」


「うん」


「そのために、一つお願いがあります」


 宍戸が桂一を見る。


「何?」


「立入禁止区域の中を見せていただけませんか?」


 栞も桂一を見る。


 昨日から話していたことだ。


 無断で入るのではない。


 管理する側に事情を説明し、許可をもらって入る。


「中?」


「はい」


「何するの?」


「現場を確認して、写真を何枚か撮りたいです」


 桂一は続ける。


「危険な場所を紹介する写真にはしません。記事で使うとしても、立入禁止の表示や柵、それから、きちんと管理されている場所だと分かるものを中心にします」


「釣り場紹介みたいにはしない?」


「しません」


「場所が分かるような細かい行き方も?」


「書きません」


 宍戸は少し考えた。


「勝手に入られるのが一番困るからな」


「そこを減らすための記事です」


「……分かった」


 宍戸が頷く。


「俺か誰かが付くならいいよ」


「ありがとうございます」


「ただ、作業中の場所もあるから、全部好きに歩けるわけじゃないぞ」


「もちろんです。指示に従います」


「写真も、撮っちゃ駄目なところはその場で言う」


「分かりました」


 宍戸が時計を見た。


「じゃあ、先にさっき言った人から話聞いてみるか」


「ぜひ」


「昔の港のことなら、俺より詳しいから」


 宍戸は窓の外へ目を向けた。


「あそこ」


 桂一と栞も視線を追う。


 岸壁の少し離れたところに、一人の男がいた。


 短い髪。


 日に焼けた黒い肌。


 金縁のサングラス。


 片手には紙巻き煙草。


 足元にはペットボトルが置かれている。


 男は煙草の灰を、その中へ落とした。


「漁師さんですか?」


「うん。この辺は長い」


 宍戸が笑う。


「口悪いけどな」


「それは大丈夫です」


「水野さん、そういうの平気そうだもんな」


「結構好きですよ」


 桂一が立ち上がる。


「話が早い人」


 栞もネームタグを整えながら立ち上がった。


 窓の外をもう一度見る。


 短髪に、黒く焼けた肌。


 金縁のサングラス。


 正直、自分一人なら絶対に話しかけない。


「じゃあ、行きましょうか」


「気難しいから、俺から先に声掛けるよ」


「お願いします」


 三人で部屋を出た。


 窓の向こうでは、サングラスの男が海を見たまま、もう一本煙草を取り出していた。


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