5-4 漁協①
S港へ近づくにつれて、車窓の景色が変わっていった。
住宅が減り、代わりに倉庫や作業場が増えていく。
道路を大型車が行き交い、海側には漁船のマストやクレーンが並んでいた。
「まだ結構、人いますね」
栞が窓の外を見る。
「いるだろ」
桂一が時計を確認した。
「でも、もう少し遅かったら会えない人も増えてくるよ」
「やっぱり、朝じゃないと駄目なんですね」
「市場も漁師も、俺たちの感覚で動いてないからな」
警察署を先に回った分、桂一が時間を気にしていた理由も、栞には少し分かってきた。
指定された場所へノアを停める。
桂一はネクタイをしたまま車を降りた。
栞も『と〜ほくでアソボ!』のネームタグを確認し、その後ろに続く。
二人が建物へ向かって歩いていると、ちょうど入口の扉が開いた。
「ありがとうございました!」
明るい声と一緒に、制服姿の女子高校生が三人出てきた。
一人は丸めたポスターを抱えている。
三人とも同じ制服を着ているのに、髪型や鞄の持ち方、歩き方まで少しずつ違っていた。
栞は自分にもこんな頃があったな、と少し懐かしくなる。
三人はそのままこちらへ歩いてきた。
すれ違う直前、ポスターを持っていた少女が栞の胸元を見た。
「あっ!」
少女が足を止める。
「それ、と〜ほくでアソボ!ですか?」
突然声を掛けられ、栞も一瞬反応が遅れた。
まだ、自分がその名前で呼び止められることに慣れていない。
「そ、そうですよ」
「えっ、本物だ!」
少女の声が一気に弾んだ。
「私、千台女子校の三年です! 今、学校祭のポスターを貼ってもらってて」
丸めていた紙を少しだけ広げる。
「あの、SNSとかで宣伝してもらえませんか?」
栞が桂一を見る。
桂一はポスターを覗き込んだ。
「一般公開?」
「はい!」
「学校として、外に宣伝していいやつ?」
「大丈夫です。先生にも、いっぱい宣伝してこいって言われてます!」
「なら、サイトの問い合わせから情報送って」
「本当ですか!」
「開催日と時間、一般の人が入れる範囲。それと学校の公式ページがあるなら、そのURLも一緒に」
「分かりました!」
桂一が栞を指した。
「こっち、相沢がSNS担当だから」
「え?」
紹介された栞を見て、少女が固まった。
視線が、自分たちの制服と栞の顔を行き来する。
栞は即座に察した。
「……私は社会人ですよ」
「あっ」
少女の顔が引きつった。
「すみません。お若いですね」
「はい」
栞も若干引きつった笑顔で答えた。
普通なら、若く見えるというのは褒め言葉なのだろう。
栞にとっては、そうでもない。
年齢より幼く見られることは、昔から少し気にしている。
「送ってもらえたら確認しますね」
「はい! お願いします!」
少女は何度も頷いた。
そのまま行くのかと思ったが、今度は桂一の顔をじっと見る。
「……あれ?」
「ん?」
「もしかして、市影譚の人ですか?」
桂一が少し眉を上げる。
「そうだけど」
「やっぱり!」
少女の声が一段高くなった。
「テレビに出てたやつ、切り抜きがネットにありました! カッコイイですね!」
「あれ、あんな一瞬で?」
桂一が笑う。
横にいた二人も笑った。
「愛華、めっちゃ見てたもんね」
「ちょっと!」
名前を呼ばれた少女の顔が、さらに赤くなる。
「えっと、あの、私、井浦愛華って言います。学校祭の情報、絶対送ります!」
「井浦さんですね。分かりました」
「ありがとうございます!」
愛華は嬉しそうに頭を下げた。
しかし、すぐに栞のネームタグと桂一を交互に見る。
「えっ、じゃあ、と〜ほくでアソボ!の中の人が、市影譚の中の人なんですか!?」
「なるべく秘密にしてな」
桂一が笑う。
「ヤバ!」
「そんな驚く?」
「だって全然知らなかったです!」
「その方がいいんだよ。旅行サイトで俺を売りたいわけじゃないから」
「宮城に住んでるんですか?」
「そうだよ」
「名刺とかありますか?」
「あるよ。はい、どうぞ」
桂一が一枚差し出す。
栞は、つい笑ってしまった。
若くて、少しぶしつけで、聞きたいことを矢継ぎ早に聞いてくる。
でも、嫌な感じはしない。
嬉しいことも驚いたことも、そのまま顔に出ている。
本当に可愛らしい。
「こっちにも連絡先があるから、サイトからが難しかったら公式SNSからでもいいよ」
「ありがとうございます!」
愛華は両手で名刺を受け取った。
名刺を見て。
桂一を見て。
愛華は、もう一度名刺を見る。
「あの……」
次はなんだろう。
栞は、少し楽しくなってきた。
「ん?」
「サインください!」
「はい?」
今度は栞が我慢できずに噴き出した。
桂一が、珍しく驚いた顔で一歩たじろぐ。
「いや、サインはさすがに」
「お願いします!」
「俺、サインなんてないよ」
「何でもいいです!」
栞は肩を震わせながら、桂一を見る。
こういう時、この人は本当に普通の二十九歳なんだなと思う。
「じゃあ、苗字書いとくよ」
「ヤバ! ありがとうございます!」
桂一がペンを取り、名刺の余白へ『水野』と書いた。
「はい」
「ありがとうございます!」
愛華はそれを受け取った瞬間、さらに頬を赤くした。
栞はその様子を微笑ましく眺める。
「あーヤバ! 顔熱!」
愛華が両手で頬を押さえた。
横の二人が声を上げて笑う。
「ほら、行くよ愛華」
「待って!」
愛華は桂一と栞へ、もう一度頭を下げた。
「学校祭の情報、絶対送ります!」
「はい。待ってますね」
「ありがとうございました!」
「はい、ありがとうございました」
桂一が手を振る。
三人も手を振り返し、そのまま駐車場の方へ歩いていった。
少し離れてからも、笑い声が聞こえてくる。
栞はその背中を見送ってから、隣の桂一を見た。
「ヤバ。……めちゃくちゃデレデレしてましたね」
「そう見えたなら、目薬さしとけ」
桂一は名刺入れをしまった。
「けどまあ、人生初のファンだぞ?」
「いえ」
栞が笑う。
「一番は私です」
「え?」
「サイトのファンになったから、メールしたので」
「ああ」
桂一も笑った。
「なるほどね」
「ただし、市影譚の方しか見てませんでしたけどね」
「旅行の方は?」
「普通に会社が運営してると思ってました」
「俺、一応会社みたいなもんだろ」
「一人でサイトを何十個も作ってる人を、普通の会社とは言いません」
「厳しいな」
二人は建物へ入った。
受付で名前を告げると、すぐに奥の部屋へ案内された。
中で待っていた五十代くらいの男が立ち上がる。
「水野さん?」
「はい。水野です。本日はありがとうございます」
桂一がすぐに名刺を差し出した。
「こちら、取材スタッフの相沢です」
「相沢です。よろしくお願いします」
「宍戸です。どうぞ」
名刺を交換し、二人は勧められた椅子へ座る。
桂一が入口の方をちらりと見た。
「お忙しいですね。アポが重なっていましたか?」
「ん?」
「さっき、高校生の子たちが出てきたので」
「ああ、あれね」
宍戸が笑った。
「学校祭のポスターだよ」
「生徒会さんとかですか?」
「たぶんな。毎年来るんだよ。恒例行事みたいなもんだ」
「そうなんですね」
桂一も笑う。
「ここ、雰囲気もいいですし、頼みやすいから毎年来るんでしょうね」
「そうか?」
宍戸の表情が少し緩んだ。
「まあ、ポスター貼るくらいなら断る理由もないしな」
「地域の子が普通にお願いに来られる場所って、いいですね」
「そんな立派なもんじゃないよ」
そう言いながらも、宍戸は少し嬉しそうだった。
栞は横で聞きながら思う。
まただ。
桂一は、大げさに持ち上げているわけではない。
目の前で見たことを、ほんの少し好意的な言葉にして返しただけだ。
それだけで、初対面だった宍戸の表情が柔らかくなる。
「それで、港の件だったね」
宍戸が本題へ戻した。
「はい」
桂一も表情を整える。
「先日、立入禁止区域で海へ転落された方から、直接相談をいただきました」
「ああ……あの人ね」
「本人も、立入禁止区域へ入ったこと自体は自分が悪かったと認めています」
「そこはね。悪いけど、こっちとしても困るんだよ」
「そうですよね」
「立入禁止って書いてるんだから」
「はい」
桂一は素直に頷いた。
「本人からも、同じような人が出ないように注意を呼びかけてほしい、と頼まれています」
「それならありがたいけどね」
「うちも東北の旅行情報を扱っていますから、観光や釣りで来る方へ届く形で、トラブル防止の記事に出来ればと思っています」
そこで桂一は、ほんの少しだけ間を置いた。
「先ほど、S市警察署の斎藤巡査長にもお話を伺ってきまして」
宍戸が顔を上げた。
「警察にも?」
「はい。今回の件について、話せる範囲で確認してきました」
「そう」
「しばらくの間、夜の巡回も増やす予定だと仰っていました」
「ああ、それは助かるな」
宍戸の声が明らかに変わった。
「うちらも、ずっと見張ってるわけにはいかないからね」
「斎藤さんも、同じことを仰っていました」
「そうだろうな。注意してもね、俺たちは警察ってわけじゃないから、引かない人もいるんだよ」
「それは大変ですね」
桂一が頷く。
「警察、港、漁協。それぞれから話を聞いて、出来るだけ正確に注意喚起をしたいと思っています」
「そこまでしてくれるなら、こっちも話せることは話すよ」
「ありがとうございます」
栞は横で聞きながら、警察署を出た時の桂一の言葉を思い出した。
『警察に行ってきたって事実を作るため』
本当に効いている。
桂一は一つも嘘をついていない。
警察と漁協の橋渡しをしたとも言っていない。
ただ警察へ行き。
実際に話を聞き。
そこで得た情報を、相手が聞きたい順番で伝えただけだ。
それなのに、昨日突然連絡してきたインターネットメディアの人間から、警察にも確認した上で訪ねてきた取材者へと、宍戸の中で印象が変わっている。
栞には、それがはっきり分かった。
桂一がメモ帳を開いた。
「まず、立入禁止区域について聞かせてください」




