5-3 警察②
警察署を出る頃になって、栞はようやく小さく息を吐いた。
「あー……緊張しました」
「何も悪いことしてないのに?」
「雰囲気ですよ」
二人は駐車場へ向かうため、入口へ歩いていく。
その途中で、桂一が栞の肩を指先で軽く叩いた。
「相沢、ちょっとよく見ときな」
「え?」
桂一が目線だけで入口の方を示す。
背の高い観葉植物。
壁際には、高さの違う位置に小さな色付きの目印がある。
言われるまで、栞はまったく気付いていなかった。
自動ドアを抜けたところで、桂一が笑う。
「入った時、結構見られただろ?」
「見られました。ちょっと怖かったです」
「あれさ、別に相沢が怪しかったからじゃないよ」
「違うんですか?」
「入ってきた人の特徴を見てるんだよ。服装とか、身長とか」
栞が入口を振り返る。
「さっきの目印ですか?」
「そう。ああいうのがあると、後から特徴を思い出す時の目安になる」
「観葉植物も?」
「置く場所や大きさが分かってれば、横を通った人がどのくらいの身長だったか見当つくだろ」
「そんなところまで見るんですね」
「警察署だからね」
栞は改めて入口を見る。
入る時は緊張していて、そんなものがあることすら気付かなかった。
「桂一さん、なんでこんなことまで知ってるんです?」
「親戚に刑事がいてね」
「刑事?」
「昔、教わった」
桂一は駐車場へ歩きながら続けた。
「学ぶ時なんて、一瞬、一言だったりするんだよ」
「一言?」
「でも、その一言で一生使える知識をくれる人がいる」
ノアの前まで来ると、桂一が鍵を開けた。
「そういう人は尊敬できる、って俺は思ってる」
栞は少しだけ足を止めた。
「その刑事さんのこと、尊敬してるんですね」
「まあね。元刑事だけど」
「初めて聞きました」
「話してなかったからね」
桂一はそれ以上説明せず、運転席へ乗り込んだ。
栞も助手席へ乗り、シートベルトを締める。
「でも、一つ気になったんですけど」
「何?」
「朝に行かないと港は人がいなくなるって言ってましたよね」
「言ったね」
「だったら、港を先にした方が良かったんじゃないですか?」
「ああ」
桂一はエンジンを掛けた。
「本当は俺も、港へ先に行きたかったよ」
「やっぱり」
「時間だけ考えれば、その方がいい」
「じゃあ、なんで警察から?」
「『警察に行ってきた』って事実を作るため」
「……事実を作る?」
「そう」
桂一は何でもないことのように答えた。
「これから宍戸さんに会って、『転落した本人から話を聞きました』だけだと、まだ個人の相談を持ってきた人なんだよ」
「はい」
「でも、『本人に会って、そのあと警察にも確認してきました』になると、少し違うだろ?」
栞は考える。
「……ちゃんと取材してる人になる」
「そういうこと」
「しかも、さっき斎藤巡査長が夜の巡回を増やすって言ってました」
「それも使える」
桂一がウインカーを出した。
警察署の駐車場だからだろう。
普段より少しだけ慎重に、ノアを発進させる。
「『先ほどS市警察署の斎藤巡査長にもお話を伺ってきまして、しばらく夜間巡回を増やす予定だと仰っていました』」
「それだけ聞いたら……」
「警察とも話が通ってるように聞こえる?」
「かなり」
「でも、一言も嘘はない」
「ないです」
「警察にとっても悪い話じゃないよ。後で市民から『何やってたんだ』って聞かれても、地域メディアにも協力して注意喚起したって言える」
「こっちは港の人から信頼してもらいやすくなる」
「向こうは注意喚起の手段が増える」
「どっちも得?」
「そういうこと」
栞は少し黙ってから、桂一を見る。
「桂一さん、なんか昨日からずっと凄いですね」
「カッコイイか?」
「そうして聞くのはカッコ悪いです」
栞は笑った。
「厳しいな」
「でも、本当に上手いです」
「何が?」
「信頼される話し方です」
桂一は少し考えた。
「本当のことを、相手が知りたい順番で話してるだけだよ」
「それが出来ないんですよ、普通は」
「不思議だな。俺には、出来ない方がよく分からない」
自慢するでもなく、本当にそう思っているようだった。
「ああ、そうだ」
桂一が思い出したように言う。
「最後にちらっと聞いたけど、S市警察署の名前は出していいらしい」
「本当にちらっとでしたね」
「『確認しました』くらいしか書かない方がいいけどな」
「どうしてです?」
「警察が何かを断定したみたいに書いたら駄目だろ。確認した事実だけ使えばいい」
「なるほど」
「相沢も名刺交換したよね?」
「はい」
「貰った名刺には、日付と時間、それから何を話したか簡単に書いておくといいよ」
「名刺に?」
「裏でいい。今日なら、何月何日何時、S港の転落事故と夜間巡回について確認、とか」
「へえ……」
「何かあった時に、この人に聞いたって言えるし、いつ確認したのかも残る」
栞は名刺入れから、斎藤の名刺を取り出した。
「確かに、何ヶ月か経ったら忘れそうです」
「忘れるよ。取材が増えれば、なおさらね」
「記事にも使えます?」
「使える。『何月何日時点でS市警察署へ確認』って書けるだけでも、記事の信頼度は上がる」
桂一は前を見ながら続けた。
「ついでに、記事の最後に警察署とか県警の案内ページも載せればいい」
「注意してください、だけで終わらせないんですね」
「読んだ人が、次にどうすればいいかまで分かった方が役に立つからね」
栞は名刺の裏へ今日の日付を書き始めた。
「慣れすぎてて怖いです」
「何が?」
「全部です」
栞は苦笑した。
「私、桂一さんみたいにやる自信ありません」
「俺みたいにはやらなくていいよ」
栞が顔を上げる。
「やり方なんて、人それぞれだから」
桂一は何でもないことのように言った。
「読者とか、地域の人の役に立つ。最後にそこへ辿り着ければ正解だよ」
栞は手元の名刺を見た。
今日の日付。
斎藤巡査長の名前。
夜間巡回。
ほんの数行。
けれど、それまで知らなかった仕事のやり方が、また一つ増えていた。
ノアはそのまま、S港へ向かって走っていった。




