1-4 五万
「桂一」
「はい」
「置いてくぞ」
「今行きますよ」
佐原はもう軽トラックに乗り込んでいる。
桂一も助手席へ戻った。
*
山を下りるまで、佐原はほとんど喋らなかった。
桂一も途中から質問するのをやめた。
聞いても答えない。
それだけは、もう分かっていた。
舗装路へ戻り、しばらく走ったところで、佐原が街道沿いのコンビニへ軽トラックを入れた。
白い照明が、やけに明るく感じた。
駐車場には仕事帰りらしい車が何台か停まっている。
自動ドアが開く。
電子音。
流行りの曲。
弁当の棚。
雑誌。
コピー機。
レジ横の揚げ物。
制服姿の高校生。
どれも見慣れたものだった。
ついさっきまでいた山と、同じ日の出来事とは思えない。
「なんか買ってくか?」
「コーヒー」
「俺もだ」
二人でカップのコーヒーを買い、並んだ抽出機へセットした。
甘い香りが、少しずつ現実へ引き戻してくれる気がした。
外へ出て、軽トラックの横で一口飲む。
佐原は煙草に火を点けた。
セブンスターの匂いが漂う。
コーヒーはいつもの味だった。
それだけで少し落ち着いた。
「ほら」
佐原が茶封筒を差し出した。
「なんです?」
「今日の分だ」
受け取って、中を見る。
紙幣が入っている。
「……五万」
「言ったろ。割はいい」
「本当に五万なんですね」
「嘘ついてどうすんだ」
五万円。
電話を受けたときは、新しい機材が買えると思った。
今は、あまり嬉しくなかった。
「これ、佐原さんはいくらなんです?」
「俺のことはいい」
「同じ?」
「気にすんな」
「今日、それ何回目です?」
さすがに笑えてきた。
佐原は答えず、コーヒーを飲んだ。
「……あの人たち、何なんです?」
「知らん」
「前にも仕事もらってるんですよね?」
「もらってる」
「だったら何か知ってるでしょう」
「知らんもんは知らん」
「灰島って人は?」
「名前は知ってる」
「それだけ?」
「それだけでいい」
どう考えても、それだけではよくない。
「俺を紹介しましたよね」
「ああ」
「勝手に」
「ああ」
「これから俺に仕事が来るってことですか?」
「来るかもな」
「そこ、本人に確認してからにしません?」
「嫌なら断れ」
「簡単に言いますね」
「金はいいぞ」
「そこは認めますけど」
桂一は封筒を閉じた。
金額だけを見れば、かなり割のいい仕事だった。
実際、運んだ距離も大したことはない。
山の中から軽トラックまでソリで運び、荷台に載せただけだ。
それで五万円。
ただ、もう一度やりたいかと聞かれれば、すぐには答えられなかった。
「これって、犯罪に巻き込まれたりしてませんか?」
「それはない」
佐原は即答した。
「分かりました」
桂一にとって、その一言は重かった。
佐原を信頼している。
だから、そこだけは疑わなかった。
「あいつらは、そういうことは一切しない」
そういうこと、とは犯罪行為のことだろう。
紙コップを持ったまま、佐原がこちらを見る。
「桂一」
「はい?」
「帰ったら、全部洗え」
「全部?」
「洗剤ぶっ込んで、服も靴もだ。手袋とか、捨てられるもんなら捨てろ」
「洗剤で?」
「ああ」
「罠に匂い付くじゃないですか」
山で使う服や道具には、強い匂いを付けたくない。
獣は鼻が利く。
洗剤の匂いが残ったものを、そのまま次の見回りへ持っていくのは嫌だった。
佐原は呆れたような顔をした。
「今日はそっち気にしてる場合じゃねえ」
「でも――」
「知らんもんは知らんが、あいつら自分らだけ防護服みたいなやつ着てただろ」
言われて、黙った。
白くて厚い服。
顔まで覆うような装備。
軽トラックからブルーシートを下ろした人間も、あの格好だった。
桂一は普通の作業着で触った。
急に嫌な予感がした。
「……まあ」
「だったら洗え。捨てられるもんは捨てろ」
「何か感染するようなものなんですか?」
「知らん」
「じゃあ――」
「知らねえから言ってんだ」
佐原の声が少し低くなった。
「分かってんなら、それに合わせりゃいい。分かんねえなら、とりあえず自分でできることやっとけ」
妙に納得した。
「……分かりました」
「あと、今日見たもん、面白半分で喋んなよ」
「ネットにも?」
佐原が桂一を見る。
「特にそこだ」
「でも、記録くらいは残しますよ」
「好きにしろ」
意外だった。
「ただ、表に出すかはよく考えろ」
「そんなにまずいんですか?」
「知らん」
「またそれですか」
「知らねえもんを、知ってるふりして話す方がまずいだろ」
それには反論できなかった。
佐原はコーヒーを飲み切った。
「俺は面倒事が嫌いなんだよ」
「俺だって好きじゃないですよ」
「お前は違う」
「何がです?」
「分かんねえまま終わるのが嫌いだろ」
何も言えなかった。
佐原は煙草を消し、空になったカップをゴミ箱へ放り込んだ。
「帰るぞ」




