1-3 灰島
林道を戻る。
やがて、さっき複数のバンを見かけた空き地が近づいてきた。
今度は、人がいた。
「……あれって」
行きに通ったときは、車しかなかった。
今は、その周囲に何人もの人間がいる。
白い服。
最初は、そう見えた。
だが、軽トラックが近づくにつれて、普通の作業着ではないことが分かった。
病院で見るような白衣でもない。
もっと厚い。
消防士の防火服を、そのまま白くしたような服だった。
頭から足元まで、ほとんど全身が覆われている。
何人いるのか、すぐには数えられなかった。
顔もよく見えない。
男なのか女なのかさえ分からない。
佐原が空き地へ軽トラックを入れた。
停車する。
エンジンが止まると、急に山の音が戻ってきた。
「降りるぞ」
「はい」
桂一がドアを開ける。
湿った山の空気が入り込んできた。
白い服の人間たちの中に、一人だけ明らかに違う男がいた。
スーツ姿だった。
細身。
三十代半ばくらいだろうか。
山の中には場違いなくらい、きちんとしている。
スーツには目立った皺ひとつない。
髪も整っていた。
肌が妙に滑らかだった。
夕方の光を受けると、陶器のように見える。
男はこちらへ歩いてきた。
柔らかく笑っている。
目は細く、愛想はいい。
それなのに、どこか胡散臭かった。
「ありがとうございます」
声まで穏やかだった。
「大変だったでしょう」
「おう」
佐原が短く頭を下げた。
その間に、白い服の人間が二人、軽トラックの荷台へ向かっていく。
挨拶もない。
佐原へ確認を取る様子もなく、荷台の留め具を外し始めた。
金属の鳴る音がした。
少し感じが悪い。
「うちは研究畑の人間ばかりでして」
スーツの男が言った。
「こういう力仕事を手伝っていただけると、本当に助かります」
桂一は返事をせず、男の後ろを見た。
ブルーシートの包みが、荷台から下ろされている。
白い服の二人が両端を持った。
さっき自分たちが触ったものを、今度は全身を覆った服の人間が扱っている。
その光景を見た瞬間、急に気持ちが悪くなった。
向こうは、最初からあの格好だ。
自分たちは普通の作業着と手袋だけで触った。
「これ、何なんですか?」
桂一は男を見る。
「イノシシだって聞いて来たんですけど」
男の笑顔は変わらなかった。
「ご協力に感謝します」
「質問に答えてないですよ」
困った顔もしない。
怒りもしない。
笑顔を崩すことさえない。
「いいんだ、桂一」
佐原が間に入った。
「でも」
「いい」
それだけで止められた。
佐原はスーツの男へ向き直る。
「それと、俺も年だ」
「はい」
「これから、こういうのはこいつに振ってくれ」
「ちょっと」
聞いていない。
桂一が佐原を見る。
「何勝手に決めてるんですか」
「若い奴がやった方がいい」
「そういう問題ですか?」
男が桂一を見た。
「それはありがたいですね」
「いや、俺まだ受けるって言ってませんけど」
笑みを浮かべたまま、男が内ポケットへ手を入れた。
「ご紹介ありがとうございます」
一枚の名刺を取り出す。
「はじめまして」
差し出された。
「私、灰島と申します」
妙に立ち振る舞いがきれいだった。
名刺の出し方。
頭を下げる角度。
声の大きさ。
人との距離。
どれも間違ってはいない。
むしろ、できすぎている。
役者でもしているのかと思うほどだった。
人当たりのいい男を、きちんと演じている。
そんな印象を受けた。
桂一は反射的に両手で名刺を受け取った。
「水野桂一です」
名刺を見る。
白地。
中央に、
灰島
とある。
それだけだった。
会社名がない。
役職もない。
住所もない。
メールアドレスもない。
下の方に、数字だけが並んでいた。
「何かあっても、基本的にはそこに掛けるなよ」
答えたのは佐原だった。
「え?」
桂一が佐原を見る。
掛けるな、とはどんな意味なのか。
「覚えとけ」
「いや、意味分かんないですよ」
灰島は説明しなかった。
ただ、笑っている。
その向こうでは、ブルーシートに包まれたものが白い服の人間たちによって運ばれていく。
数人が周囲を囲んでいた。
どこへ持っていくのかまでは見えない。
「では」
灰島が軽く頭を下げた。
「ご縁があれば、また」
結局、何一つ分からなかった。
何を運んだのか。
この人たちは何者なのか。
どうして佐原が彼らを知っているのか。
五万円も払う理由も。
「帰るぞ」
「あ、はい」
桂一は名刺をポケットへ入れた。
佐原と一緒に、後ろの軽トラックへ歩く。
数歩進んだところで、
「桂一」
「はい?」
呼ばれて、佐原を見る。
佐原は何も言わず、顎で後ろを示した。
「見てみろ」
桂一が振り返る。
「……あれ?」
誰もいなかった。
一瞬、見ている場所を間違えたのかと思った。
だが、間違いようがない。
灰島がいない。
白い服の人間たちもいない。
ブルーシートに包まれたものもない。
それだけではなかった。
車がない。
さっきまで空き地に並んでいた白や銀色のバンも、一台残らず消えている。
桂一は反射的に林道を見た。
何もいない。
目を離していたのは、ほんのわずかな時間だった。
エンジン音は聞いていない。
ドアが閉まる音も。
タイヤが砂利を踏む音も。
何台もの車が一斉に動けば、聞き逃すはずがない。
そもそも。
この空き地から林道へ出るなら、自分たちの横を通る。
桂一は空き地の奥を見る。
その先は山の斜面だった。
道はない。
建物もない。
何台もの車を隠せるような場所も見当たらない。
「……どこ行ったんです?」
佐原は、さっきまで人がいた場所を見ていた。
驚いている様子はない。
ただ、少し嫌そうな顔をしている。
「これが、あいつらだ」
「……はい?」
「行くぞ」
「いや、待ってくださいよ」
佐原はもう歩き始めていた。
桂一はもう一度、何もない空き地を見る。
人がいた。
車があった。
会話もした。
名刺まで受け取った。
それなのに、今は何もない。
桂一はポケットへ手を入れた。
紙の感触があった。
取り出す。
白い名刺。
灰島。
その名前と、見慣れない数字の羅列。
それだけは、確かに残っていた。




