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市影譚 ―怪異を解する―  作者: 宮城 歩


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5-1 手形

 連絡を入れると、相手からの返事は早かった。


 今日でも大丈夫です。


 そう言われたため、桂一と栞は午後には指定された場所へ向かうことになった。


「平日なのに、すぐ会えるんですね」


 ノアの助手席で、栞がネームタグを首から下げる。


 透明なケースには『と〜ほくでアソボ!』のロゴ。


 その下に、取材スタッフ 相沢栞。


 まだ少し見慣れない。


「休み取ってるって言ってたね」


「事故のことで?」


「多分」


 桂一もジャケットを羽織っていた。


 ネクタイはまだしていない。


 必要なら結ぶつもりなのか、いつものようにドアポケットへ入っている。


「今日はちゃんと取材っぽいですね」


「ちゃんと取材だからね」


「普段も取材ですよね?」


「普段は怪しい取材」


「自覚あるんですね」


 待ち合わせ場所は、相手の自宅から近いファミリーレストランだった。


 店内へ入ると、窓際の席に一人の男性が座っていた。


 メールに書かれていた名前と一致する。


 桂一が軽く手を上げると、相手も小さく頭を下げた。


 近づいて。


 栞は、すぐに気付いた。


 これは、出勤しづらい。


 顔の右側。


 頬からこめかみにかけて、黄色く変わり始めた痣が残っている。


 手の甲にも擦り傷。


 指にも小さな傷がいくつもあった。


 長袖のシャツを着ているため身体までは見えない。


 けれど。


 メールに書かれていた状況を考えれば、その下も無傷ではないだろう。


「初めまして。水野です」


 桂一が名刺を差し出した。


『と〜ほくでアソボ!』


 運営責任者 水野桂一。


 男性は名刺を見る。


 そして、桂一の顔を見た。


「桂一さん、ですか?」


「はい」


「もしかして……ケイワンって」


 桂一が少し笑った。


「桂一。Kの一。ケイワンですね」


「ああ……やっぱり」


 男性の表情が、初めて少しだけ緩んだ。


「ずっと見てたんです。あのサイト」


「ありがとうございます」


「まさか本人が来るとは思わなかったです」


「本人って言っても、ただのおっさんですよ」


「桂一さん、まだおっさんって年じゃないですよ」


 栞が横から言う。


「ありがとう」


 どうやら、最初の掴みは悪くなかったらしい。


 男性の肩から、ほんの少し力が抜けた。


「こちら、取材スタッフの相沢です」


「相沢です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 簡単な挨拶を済ませ、三人とも席に着いた。


 注文を終える。


 桂一はすぐには本題へ入らなかった。


「今日はありがとうございます。身体、大丈夫ですか?」


「まあ……何とか」


「仕事は?」


「休んでます」


 男性は苦笑した。


「これじゃ、ちょっと行きづらくて」


 自分の顔を指す。


「ですよね」


 桂一もそれ以上は軽く扱わなかった。


「無理に話してもらう必要はないです。メールに書いてないことだけ確認させてもらえれば」


「大丈夫です。むしろ聞いてほしくて送ったので」


「分かりました」


 桂一がメモ帳を開く。


「まず、警察には行ったんですよね?」


「はい」


「事故の直後?」


「その日は病院が先です。次の日に警察へ行きました」


「誰かに押された、と?」


「言いました」


「反応はどうでした?」


 男性は少し考えた。


「困ってました」


「困ってた?」


「俺が立入禁止の場所に入ってるじゃないですか。そこは怒られました。当たり前ですけど」


 桂一は頷く。


「その上で、後ろから誰かに押されたって話したんです。でも、防犯カメラを確認してもらったら、俺の後ろには誰もいなかったって」


「映像は自分でも見ました?」


「全部じゃないです。警察の人から説明されただけです」


「対応した警察官は、メールに書いてあった方?」


「はい。〇〇さんです」


 桂一が名前をメモする。


「現場のカメラに、海へ落ちるところ自体は映ってた?」


「そこまでは聞いてます。俺が急に前へ飛んで、落ちたみたいです」


「後ろに人はいない」


「いないって言われました」


「なるほど」


 桂一のペンが一度止まる。


「事故の前、何か変わったことはありませんでした?」


「変わったこと?」


「何でもいいです。音とか、光とか。普段なら気にしないことでも」


 男性はしばらく考えた。


「ああ……」


「何かあります?」


「街灯が、一回だけ瞬きました」


 桂一が顔を上げる。


「瞬いた?」


「はい。本当に一瞬です。チカッて消えて、すぐ戻りました」


「完全に真っ暗になった?」


「一瞬だけ。でも周りがほとんど真っ暗なんで、そこが消えると結構怖いですよ」


「その街灯のところで釣ってた?」


「はい」


「イカ狙い?」


「アオリです」


 栞が横で桂一を見る。


 桂一は何も言わず、少しだけ口元を上げた。


 当たっていた。


「他には?」


「ラジオですね」


「ラジオ?」


「スマホで流してたんです。夜の港って静かすぎて怖いから」


 男性は少し恥ずかしそうに笑った。


「別に心霊とか信じてるわけじゃないんですけど、真っ暗な海って、それだけで怖いじゃないですか」


「分かります」


 栞が素直に頷いた。


「私なら絶対何か流します」


「ですよね」


「それがどうしたんです?」


「街灯が消えたのと同じくらいに、音が一回潰れました」


「潰れた?」


「ザッ、て。ノイズみたいな」


 桂一が書き留める。


「街灯が瞬いた。ラジオにノイズが入った」


「はい」


「その直後?」


「押されました」


 男性の声が少し低くなる。


「本当に、一瞬でした」


 桂一はペンを置いた。


「後ろ、見てないんですよね?」


「見てません」


「足音は?」


「聞いてないです」


「声とか、人の気配は?」


「なかったと思います」


 男性は自分の手を握った。


「でも、人です」


 桂一が顔を上げる。


「念のため確認しますが、人だったと思いますか?」


「当たり前です!」


 男性の声が少し大きくなった。


 周囲を気にして、すぐに声を落とす。


「すみません。でも、絶対人に押された感覚でした」


「両手?」


「はい。後ろから、こう」


 男性が両手を前へ突き出す仕草をする。


「思いっきりです」


「感覚だけなら、落ちた時に何かへぶつかった可能性もあります」


「違いますよ」


 男性は少し身を乗り出した。


「証拠があります」


「証拠?」


 一度。


 男性が栞を見る。


「あの……背中なんですけど、見ても大丈夫ですか?」


「私は大丈夫です」


 栞が答える。


 男性は席から少し身体をずらし、周囲から見えないよう気を付けながらシャツの背中を持ち上げた。


 栞が息を止める。


 腰より少し上。


 左右に、赤紫色の痣が残っていた。


 色は薄くなり始めている。


 それでも形は分かる。


 掌。


 そして指。


 桂一が目を細めた。


「これは……手形に見えるね」


「位置も、押されたって感じたところとほとんど同じです」


 男性が言う。


「でも整形外科では、海に落ちた時に岸壁にでもぶつけたんだろうって」


「診断は打撲?」


「はい。先生には、手形みたいに見えるのはたまたまだって」


 栞は痣へ目を向けたまま、少し首を傾げる。


「……小さい」


「え?」


「手です」


 栞は自分の手を痣の近くへ浮かせた。


 触れない。


 大きさだけを比べる。


「成人男性の手には見えません」


 桂一も見比べる。


「確かに小さいな」


「女性か、小柄な人くらいに見えます」


「女の人?」


「断定は出来ませんけど」


 男性は困った顔をした。


「でも俺、誰も見てないんですよ」


「カメラにもいなかった」


「はい」


 男性はシャツを戻した。


 少しだけ沈黙が落ちる。


 桂一がメモを見返した。


「街灯が瞬いた」


「はい」


「ラジオにノイズが入った」


「はい」


「直後に、両手で背中を押された感覚があって海へ落ちた」


「そうです」


「背中には手形みたいな痣。でも、防犯カメラには後ろに誰もいない」


「はい」


 桂一はそこで、ひとまずメモ帳を閉じた。


 栞が男性を見る。


「現場の人には伝えなかったんですか? 港の方とか」


 男性の表情が曇った。


「あ……それは」


 言葉に詰まる。


 桂一がすぐに横から入った。


「相沢」


「はい?」


「立入禁止の場所に入ってたんだ」


「あ」


「現場の人に言っても、良い顔はされないだろ」


「……そっか」


 栞はすぐに男性へ頭を下げた。


「すみません。考えが足りませんでした」


「いや、いいんです」


 男性は首を振る。


「俺が悪いんで」


 それから、少し俯いた。


「本当に、そこは分かってるんです」


 声が小さくなる。


「立入禁止なのに入った俺が悪い。港の人に迷惑掛けたのも分かってます」


 桂一は何も言わずに聞いている。


「だから、あそこで変なことが起きるとか、そういう記事を書いてほしいわけじゃないんです」


「はい」


「俺のせいで、港の評判が悪くなるのも嫌なんです」


 男性は顔を上げた。


「ただ」


 少しだけ力を込める。


「入らないでほしいんです」


「立入禁止区域に?」


「はい」


「理由はどう書いても?」


「危ないから、でいいです」


 男性は自分の傷だらけの手を見る。


「俺みたいなのが、また出なければいいんで」


 桂一は少しだけ考えた。


 それから頷く。


「分かりました」


「記事にしてもらえますか?」


「まだ約束は出来ません」


 桂一は正直に答えた。


「一度、こっちでも調べます」


「はい」


「記事に出来ると思ったら連絡します。ただ、仮に載せるとしても」


 桂一は男性を見る。


「面白半分で人が集まるような書き方はしません」


「それでお願いします」


「むしろ、立入禁止区域に入らないようにする記事にします」


 男性が、ほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます」


「明日、早速行ってみます」


「港に?」


「はい」


「中には入らないでくださいね」


 桂一が少し笑った。


「そこは守りますよ」


 栞も頷く。


「私も止めます」


「信用ないなあ」


「必要だと思います」


 男性が、ほんの少し笑った。


 最初に会った時より。


 少しだけ、顔色が明るくなったように見えた。

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