第5章 立入禁止の港
第二集
プロローグ
栞が事務所へ入ると、桂一が最中を食べていた。
「おはようございます」
「おはよう」
いつもの白いシャツ姿で、パソコンの前に座っている。
ただ、今日は机の隅に見慣れない箱が積まれていた。個包装の最中が、まだかなり残っている。
「お土産ですか?」
「いや。知り合いからのお礼の品」
桂一は手にしていた最中を一口食べた。
ぱり、と乾いた音がする。
「桂一さん、最中好きなんですね」
「好きだよ。特に皮」
「皮?」
「焼いた餅米の香りがいいだろ」
「そこなんですね」
「餡も好きだけどね」
桂一は空になった袋を小さく畳んだ。
「ここの店、最近ちょっと大変だったんだよ。材料代も包材も上がってるからね」
「和菓子屋さんですか?」
「うん。家族でやってる小さいところ。その辺も含めてサイトで紹介したんだよ」
「その辺?」
「昔から作り方はほとんど変えてない。でも材料も燃料も高くなって、同じ値段じゃ厳しくなってきたって話」
桂一が箱を見る。
「最近、お客さんが増えて何とかやっていけそうですって連絡が来てね。ついでに、お礼ですってこれだけ送ってくれた」
「こんなに?」
「ありがたいけど、一人で食べ切ったら太るからね」
そう言って、栞の椅子を指した。
「相沢にもあるよ。お母さんに持っていっていいから」
「え?」
椅子の上に紙袋が置かれていた。
中を覗けば、きちんと箱に入った最中が一箱ある。
「こんなにもらっていいんですか?」
「どうぞ。俺の腹囲を守ると思って」
「じゃあ、遠慮なく」
栞は紙袋を机の横へ置いた。
そこで、ふと気になった。
「ちなみに、何のサイトで紹介したんです?」
「ん?」
桂一は何でもないことのように答えた。
「『と〜ほくでアソボ!』」
「……え?」
「と〜ほくでアソボ!」
「えっ!」
思わず大きな声が出た。
桂一が驚いたように顔を上げる。
「何?」
「あれって桂一さんなんですか!?」
「え。言ってなかったか?」
「知りませんよ!」
栞も何度も見たことがある。
東北の観光地や飲食店、温泉、宿泊施設。大きな観光地だけではなく、地元の小さな店や季節のイベントまで拾っている地域情報サイトだった。
旅行先を探す時にも、県内で少し遠出をしたい時にも、検索結果で見かけることが多い。
「だって、あのサイトって、ケイワンっていう木のキャラクターがいるじゃないですか」
「ああ、ケイワンな」
「桂一さんと全然結び付かなかったです」
「そう?」
「なんで木なんですか?」
「倒木」
「……倒木?」
「東北から、倒木」
栞は数秒黙った。
「つまらないですね」
「俺が考えたんじゃないよ。よく頼んでるデザイナー」
「止めなかったんですか?」
「覚えやすいだろ」
「じゃあ、ケイワンって名前は?」
「それは俺」
「え?」
「桂一だから、K-1。ケイワン」
「そっちは桂一さんなんですか!」
「うん」
「結局どっちも駄洒落じゃないですか」
「分かりやすいだろ」
「今まで全然気付きませんでしたよ」
「それくらいでいいんだよ。俺を売りたいサイトじゃないからね」
栞は改めてパソコンの画面を見る。
何度も参考にしたことのあるサイトだった。
それを作っていた本人が、今すぐ隣で最中を食べている。
「……ちゃんと利益も出てるんですか?」
「出てるよ」
「広告とか?」
「それもあるけど、旅館とかホテルの予約が大きいね。トラベル系のアフィリエイト」
「どのくらいなんです?」
「月によるけど、五十前後」
「……五十?」
「うん」
「五十って、五十万ですか?」
「そうだけど」
栞は思わず桂一の顔を見た。
「そんなに稼いでたんですか?」
「旅行系だから繁忙期と閑散期で全然違うよ。そこから経費も出るし」
「それでも五十万ですよね?」
「考え方一つだよ」
桂一はパソコンの画面を栞の方へ少し向けた。
「例えば、日本三景みたいな有名な観光地があるだろ」
「はい」
「普通は観光地のど真ん中に宿を取りたい。でも、地元の人なら少し外れたところに良い民宿があるのを知ってたりする」
「民宿?」
「有名旅館の半値近いのに、夕飯にはでかい船盛が付く。息子さんが兼業で漁をやってて、その日に揚がった魚を出してくれるようなところ」
「それ、かなり良くないですか?」
「良いよ。ただ、観光地の真ん中にある有名旅館なら、夜まで周りが賑わってるし、歩いて観光出来る。設備も整ってる」
「じゃあ、どっちを勧めるんです?」
「人による」
桂一はあっさり答えた。
「俺だったら、地元の人と話したり、その土地のものを食べたりしたいから、そういう民宿も紹介してほしいと思うね」
「なるほど」
「もちろん、少し離れてるとか、周りに店が少ないとか、デメリットも書くよ」
「良いところだけじゃなくて?」
「その方が選びやすいだろ」
桂一は画面をスクロールする。
「良い宿って、高級ってだけが条件じゃないからね。少し外れてるって言っても、タクシーならほぼワンメーターだったりするし」
栞は心底感心した。
自分が以前から参考にしていたサイトが、どうして妙に地元目線なのか。
今になって少し分かった気がした。
「……桂一さん、ちゃんと凄い人だったんですね」
「ちゃんとって何だよ」
栞は笑った。
けれど半分は、本気だった。
「一体いくつサイト持ってるんですか?」
「んー」
桂一が少し考える。
「任せてるのもあるし、もう潰したのもあるから、何とも言えないかな」
「だいたいでいいです」
「多分、五十くらい」
「……ごじゅう?」
「うん」
「五十個?」
「全部動いてるわけじゃないよ」
「それでも多いです」
「考え方によっては、会社を五十個やってるようなものだね」
「急に規模がおかしくなりましたよ」
「だから、一個一個は小さいんだって」
桂一は笑った。
「そういえば、『と〜ほくでアソボ!』ってSNSもやってますよね?」
「やってるよ」
「フォロワー、四万人超えてませんでした?」
「そうだった?」
「そうだった? って……」
栞は呆れた。
「頻繁に更新したいんだけど、手が回らないんだよね」
「それだけ色々やってれば、そうでしょうね」
「あ」
桂一の手が止まった。
「いいこと思いついた」
「なんです?」
「相沢、SNSやってよ」
「なんで私が!?」
「と〜ほくでアソボ!の」
「もっと怖いですよ! 四万人超えてるアカウントですよね?」
「じゃあ、フォロワー五万人超えたら十万出すよ」
「やります!」
返事は一瞬だった。
桂一が笑った。
「早いな」
「十万円ですよ?」
「そこなんだ」
「そこです」
「もう安定してるから、そんなに難しくないと思うよ。最近は向こうからネタ提供されるようになったし」
「お店とかから?」
「新商品とかイベントとか、季節限定メニューとかね。全部自分で探さなくていいから、送られてきたものから面白そうなのを選んでまとめればいい」
「記事も私が書いていいんですか?」
「やりたければね。最初は俺が見るよ」
「記事まで手をつけて良いんですか?」
「うん」
桂一は、何でもないことのように答えた。
「市影譚だけじゃなくて、何かやって独立してみたらいいよ」
「独立?」
「別に今すぐここ辞めろって意味じゃないよ。事務所の住所使っていいから、サイトでもSNSでも何個かやってみな」
「駄目だったら?」
「潰せばいい」
「そんな簡単に?」
「誰にも迷惑は掛からないんだから」
桂一は最中を一口食べる。
「一個作って、駄目だったら何で駄目だったか考える。次はそこを変えて、またやってみればいい」
「それを繰り返して五十個なんですか?」
「まあ、そんな感じ」
桂一は袋を畳んだ。
「自分で一円でも稼いだら、見えるもの変わるからね。やってる人が周りにいないだけで、やってみれば思ったより楽しいと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
栞は少し戸惑いながら答えた。
そこで、面接の日のことを思い出す。
まだここで働くことさえ決まっていなかった頃。
桂一は確かに言っていた。
相沢が来れば、払う給料以上には稼げると思う、と。
あの時は、自信のある人なのだと思った。
採用するために、少しくらい大きなことを言っているのかもしれないとも思った。
けれど。
どうやら、あれは本当に嘘偽りのない言葉だったらしい。
「サイトって、小さく商売を始めるなら、かなり金が掛からない方だからね」
桂一は続ける。
「店みたいに何百万も用意する必要ないし、商品仕入れて在庫抱えることもない。サーバーとかドメインとか、そのくらいだろ」
「その分、利益として残りやすい?」
「そういうこと。慣れると経費の管理も楽だよ」
「桂一さんも、最初から全部分かってたんですか?」
「まさか」
即答だった。
「失敗しながら覚えたよ」
桂一は机の引き出しを開けた。
「そうだ。相沢もスタッフになってるから、今日はこれ持って行って」
「何ですか?」
差し出されたのは、首から下げるネームタグだった。
透明なケースの中に『と〜ほくでアソボ!』のロゴ。
その下には、
取材スタッフ 相沢 栞
と印刷されている。
「私の名前まで入ってる」
「そりゃ入れるだろ」
裏には、同じロゴが入った名刺が何枚か収められていた。
サイトのアドレスと連絡先。
そして、相沢栞の名前。
「いつ作ったんですか、これ」
「ちょっと前」
「私、知らなかったんですけど」
「今知っただろ」
「そういう問題じゃないです」
栞は呆れながらも、ネームタグを机へ置いた。
「とりあえず、SNS見てみます」
「うん。五万人よろしく」
「十万円、忘れないでくださいよ」
「忘れないよ」
教えてもらった管理画面を開く。
フォロワーは四万三千を少し超えていた。
「……あと七千」
「数字だけ見ると多いね」
「桂一さんが言わないでください」
投稿欄には、新しく開店した飲食店の情報、観光施設から送られてきた写真、祭りやイベントの案内が並んでいる。
「本当に向こうからネタが来てる……」
「問い合わせメールも見てみて。そっちに来ることも多いから」
「分かりました」
栞はメール画面を開いた。
取材依頼。
イベント情報。
宿泊施設からの案内。
記事内容についての問い合わせ。
その中に、一件だけ少し毛色の違う件名があった。
『S港についてお願いがあります』
「……桂一さん」
「ん?」
「ちょっと変なの来てます」
「どんなの?」
栞はメールを開いた。
冒頭には、突然の連絡を詫びる言葉が並んでいた。
以前から『と〜ほくでアソボ!』を読んでいること。
特にM県を中心にした旅行プランを何度も参考にしていて、その内容から、運営者はM県の事情にもかなり詳しいのではないかと思ったこと。
そのため、他に相談先が思い付かず連絡したこと。
丁寧な挨拶がしばらく続いている。
「普通の読者さんみたいですね」
「そうみたいだね」
桂一も横から画面を覗き込む。
栞は、その先を読み進めた。
『お願いがあります。メディアから呼びかけてほしいです。S港の立入禁止区域についてです。絶対に入らないでください』
栞の眉が寄った。
『最初に書いておきます。立入禁止だと分かっていて入った私が悪いです。夜にイカを釣るつもりでした。港の奥はほとんど真っ暗なのですが、立入禁止区域の中に街灯が一つだけあり、その灯りの下にはイカが集まると聞いていました。以前から釣れる場所として知っている人もいるようです』
桂一が画面を見ながら口を挟んだ。
「アオリイカかな?」
「分かるんですか?」
「時期的には、その辺かな」
「私は釣り未経験なので。食べる専門です」
「イカ、美味しいからね」
「それは分かります」
栞は続きを読む。
『少しだけなら大丈夫だろうと思って中へ入りました。そこで、後ろから誰かに強く押されたような衝撃があり、そのまま海に落ちました。本当に死ぬかと思いました』
さっきまで食べ物だったイカの話が、一気に遠ざかった。
『警察にも、誰かに突き飛ばされたと説明しました。近くの防犯カメラも確認してもらったのですが、私の後ろには誰も映っていなかったそうです。海から上がったあと、病院にも行っています』
桂一の表情が少し変わった。
「続きは?」
「あります」
メールの後半には、事故があった日時だけではなく、本人の氏名、住所、携帯電話番号、受診した病院まで書かれていた。
警察へ相談した日時。
対応した警察官の名前まである。
「……かなり具体的ですね」
「うん」
「悪戯にしては、自分の情報出し過ぎですよね」
「俺もそう思う」
さらに続きがある。
『自分が規則を破ったことは理解していますし、責任を逃れるつもりもありません。ただ、同じように釣れると聞いて入る人が出るのが怖いです。出来ることなら、立入禁止区域には入らないよう、サイトからも呼びかけてもらえないでしょうか』
栞は最後まで読んでから、画面を見つめた。
「幽霊とか、そういうことは一言も書いてませんね」
「そこなんだよね」
桂一も同じところが気になったらしい。
「自分が悪かった。その上で、他の人には入ってほしくない」
「注意喚起してほしいだけ」
「うん」
桂一は、もう一度最初からメールへ目を通した。
「電話番号、あるんだよね?」
「あります」
「まず本人に会おうか」
「取材ですか?」
「そう」
桂一は画面に表示された『S港』の文字を見る。
「何があったのかは、本人から聞いて、その後で考えればいい」
栞もメールへ視線を戻した。
SNSを任されてから、まだ一時間も経っていない。
「……私、もう仕事拾いました?」
「優秀だね」
「十万円に一歩近づきました?」
「フォロワーは一人も増えてないけどね」
「そこはこれからです」
桂一が笑った。
「じゃあ、連絡してみよう」




