第四章 エピローグ
通話が切れて、まだ数分も経っていなかった。
ピンポーン。
事務所のインターホンが鳴った。
「……今度は何ですかね」
「さあ」
栞が玄関へ向かう。
扉を開けると、小柄な老人が立っていた。
七十歳くらいだろうか。
背は低く、白髪交じりの髪に、おじいさんらしい太くぼさぼさとした眉毛。
年齢の割に肌は妙につやつやしていて、頬には健康そうな張りがある。
老人は栞を見ると、快活に笑った。
「おはようございます! 依頼を受けてきました、白猫便です!」
「し、白猫?」
栞は思わず聞き返した。
そんな配送会社は聞いたことがない。
老人の後ろを見る。
駐車場に、小さな配送用の軽バンが停まっていた。
白を基調とした車体。
どこか、黒い猫を目印にした有名な配送業者を思わせるデザインだった。
ただし描かれている猫は、白い。
「……あ」
栞の記憶に、ずっと昔のものが浮かんだ。
小学生の頃。
黒い猫の配送トラックに混じって、ごくまれに白い猫のトラックが走っている。
それを見つけると、良いことがある。
そんな話が学校で流行ったことがあった気がする。
横から桂一が出てきた。
「おはようございます。……幸運の白猫トラックですか?」
「え?」
老人が目を丸くした。
すぐに大きく笑う。
「そんな風に言われてるんですか? 普通の配送サービスなんですけどねえ」
やっぱり。
栞も思い出した。
見つけると幸運が訪れる。
子どもの頃、そんな噂だった。
「それでですね」
老人は手にしていた封筒を差し出した。
「これ、頼まれた書類です。それと、回収する物もあるって聞いてるんですが」
「受け取ります」
桂一が封筒を受け取る。
「回収は、これですね」
玄関脇に置いてあった段ボール箱を指差した。
ハイパートランシーバーと、取り外したアンテナや配線が入っている。
「ああ、はいはい! それですね」
老人は箱の横へ行くと、腰を落とすでもなく、ひょいと持ち上げた。
そのまま肩へ軽く担ぐ。
栞が目を瞬いた。
見た目に似合わず、やけに軽快だった。
「あの」
「はい?」
「サインとか、いらないんですか?」
「いらない、いらない!」
老人は笑っている。
桂一も少し不思議そうな顔をした。
確かに、おかしい。
一般的な配送サービスなら必要になるはずのことを、ほとんど何もしていない。
荷物の大きさを測るわけでもない。
重量を確認するわけでもない。
送り状を見ることもなければ、控えを渡すこともない。
「送り状もないですよね」
「大丈夫、大丈夫! 頼まれてますから!」
「誰に?」
「んじゃ、もらっていくから!」
「聞いてないな」
老人はそのまま段ボールを担いで軽バンへ向かった。
「ありがとうございました!」
元気よく手を上げる。
荷物を積み込み、運転席へ乗る。
エンジンが掛かると、白い猫を描いた軽バンは、あっという間に道路へ出ていった。
二人でその後ろ姿を見る。
「……幸せの白猫」
栞が呟いた。
「初めて見ました」
「俺もだよ」
桂一は、軽バンが曲がって消えた道路を見る。
同じ噂を知っていたようだ。
「でも、さっきの灰島の話から考えると」
「はい」
「普段は認識しにくくしてるとか、そんなところかもしれないな」
栞が嫌そうな顔をした。
「なんか、夢がなくなりますね」
「幸運を運んでる可能性もまだあるよ」
「じゃあ、そっちにしておきます」
二人は事務所へ戻った。
桂一が受け取った封筒を開く。
中にはA4用紙が数枚入っていた。
一番上に書かれていた文字を見て、桂一の手が止まる。
「……日本国」
「え?」
栞が横から覗き込む。
書類の上部には、確かにそう記されていた。
「日本国、って書いてありますね」
「書いてあるね」
「それ以上は?」
「ない」
「どこからのお金なんですか?」
「国なんだろうね」
「広すぎません?」
「俺に言われても」
書類には、今回の依頼について簡単な精算内容が記載されていた。
桂一が上から確認していく。
「報酬。経費。燃料代に危険手当……」
十日分の報酬だけでもかなりの金額になる。
それに諸経費が加算されている。
指が止まった。
「ん?」
「どうしました?」
「車両修繕費?」
栞も覗き込む。
「車、壊しました?」
「傷つけた覚えはないけど」
二人で、そのまま窓の外を見る。
ノアはいつも通り駐車場に停まっている。
「砂利道で傷付いたとか?」
「それなら修繕費っていうより、洗車とか下回り確認だと思うけどね」
「見てみます?」
「うん」
二人で事務所を出た。
ノアの周囲を一周する。
タイヤ。
バンパー。
側面。
砂利道を走ったせいで細かな汚れは残っているが、大きな傷は見当たらない。
「どこですかね」
「分からないな」
桂一が運転席側へ回る。
何となく、フロントガラスを見る。
「……あれ?」
「ありました?」
「いや」
桂一が顔を近づけた。
フロントガラスの下寄り。
助手席側に近い場所。
そこに、小さな点がある。
「飛び石?」
栞も隣へ来る。
「でも、ヒビ入ってませんね」
「うん」
石が当たった跡とは少し違う。
中心から亀裂が伸びているわけでもない。
小さく。
妙に整っている。
まるで針を熱して、そのまま通したような穴だった。
二人とも黙った。
桂一が、ゆっくり栞を見る。
「……使用回数は一回ですね」
栞の顔が固まった。
「あ」
思い出した。
初めてレーザービームを渡された夜。
卵型の装置を裏返して。
何も知らずに主電源を入れて。
「わたたっ」と慌てて持ち直した。
あの時。
灰島だけが、異様な速さで身体を引いた。
「私……押しました?」
「押したんだろうね」
「全然気付かなかったんですけど」
「俺も」
二人でもう一度、小さな穴を見る。
桂一が穴の向きを確かめるように少し身体を動かした。
助手席側から、運転席側へ。
あの夜、栞が装置を持っていた位置とも合う。
「……これ、人に向けなくて良かったな」
「ほんとにレーザービームだったんですね」
「灰島、そこだけは嘘ついてなかったね」
栞は返事をせず、しばらく小さな穴を見つめた。
ハイパートランシーバー。
消えた軽トラック。
白猫便。
どこから振り込まれたのかよく分からない報酬。
その中で。
レーザービームだけは、妙に分かりやすい証拠を残していた。
「次にあの人から何か渡されたら、説明書全部読みましょうね」
「俺は読んでたんだけどな」
「私も読みます」
「そうして」
栞はもう一度、フロントガラスの穴を見る。
それから駐車場の外へ目を向けた。
白猫の軽バンは、もうどこにも見えない。
見つければ幸運が訪れる。
昔は、そんな話だった。
栞は少し考えてから、隣の桂一を見る。
「……一応、見られましたね。幸運の白猫」
「そうだね」
「何か良いことありますかね」
桂一は手元の精算書を見る。
「二百万以上振り込まれてる」
「それですか?」
「十分幸運じゃない?」
「夢がないです」
「現実の話だからね。今月はもちろん臨時ボーナスを出すよ」
「それは期待してます! さっそく幸運が運ばれてきましたね!」
今度は桂一が笑った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回の話で、ひとまず一冊分として考えていたところまで書き終えることができました。
最初は地方で起きる少し不思議な出来事を、水野桂一と相沢栞の二人が追いかけていく物語として始めた『市影譚』ですが、書き進めるうちに、私自身が想像していた以上に世界が広がってきました。
特に今回、灰島という人物の向こう側にあるものが、少しずつ見え始めています。
次は短い閑話として、
「閑話:灰島」を予定しています。
桂一や栞の知らないところで、灰島は何をしているのか。
これまで出てきた人物や出来事が、どのようにつながっているのか。
本編とは少し違った視点から、『市影譚』の裏側を覗く話になる予定です。
正直に言うと、作者である私自身、今この物語を書くのがとても面白いです。
ここまで先の展開を考えながら、自分でも続きを読みたいと思い、楽しんで物語を進められたことは、これまでほとんどありませんでした。
まだまだ桂一と栞には、調べてもらいたい場所があります。
灰島にも、佐原にも、まだ話してもらっていないことがあります。
これから少しずつ、それらも物語の中へ出していければと思っています。
読んでくださる皆さんにも、桂一や栞と一緒に「これは何なんだろう」と考えながら楽しんでもらえたら嬉しいです。
それでは。
この先も、一緒に『市影譚』を楽しんでいきましょう。




