4-7 日常に潜む違和感
二日後。
一日しっかり休んだ栞が事務所へ出勤すると、駐車場のノアはすっかり元の姿へ戻っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
桂一はいつもの白いシャツ姿で、パソコンの前に座っている。
栞はノアを見てから事務所へ入った。
「ハイパートランシーバー、もう外したんですね」
「まあね。あんな訳の分からないやつは、すぐ外すに限るよ」
玄関脇には、大きめの茶色い段ボール箱が置かれている。
中には、あの黒くて古めかしい通信機と、取り外されたアンテナや配線が収められていた。
「灰島さん、取りに来るんですか?」
「勝手に置いてったんだから、そのうち勝手に持ってくだろ」
「だいぶ慣れましたね」
「慣れたくなかったけどね」
桂一が椅子を少し回した。
「ところで、疲れ残ってない?」
さっきまでとは違う、少し柔らかい表情だった。
「大丈夫です!」
「なら良かった」
「桂一さんは?」
「俺も平気。昨日はほとんど寝てたし」
「いつも、あんな感じの仕事なんですか?」
「いつもではないよ」
「良かったです」
「ただ、答えるのが難しい仕事は結構ある」
「そこは良くないですね」
栞が笑う。
桂一も少し笑ったが、視線をパソコンへ戻した途端、表情が変わった。
覗き込むと、画面にはいくつもの日付が並んでいる。
「どうかしたんですか?」
「いや。ちょっと過去の件を調べ直してた」
「煽り運転の?」
「うん」
桂一がマウスを動かす。
以前届いた相談メール。
事故が起きた日。
強い光を見たという報告。
それぞれの日付が、一つの表にまとめられていた。
「共通点が見えてきた」
「共通点?」
桂一が一つの日付を指す。
「満月だよ」
「……満月?」
「全部が当日ってわけじゃない。でも、変な車に追われたとか、強い光を見たっていう日が、満月かその前後にかなり偏ってる」
栞も画面へ近づいた。
横には月齢を調べたらしいページも開かれている。
「あ」
「だろ?」
「最終日も満月でしたよね」
「そう」
桂一が椅子へ背を預ける。
「灰島、わざわざ言っただろ。今夜は満月です、って」
「言ってました」
「だから気になった」
「じゃあ、急に『明後日から始めてください』って言ったのも……」
「十日目が満月になるように組んだ可能性はあるね」
「最初から、最後の日が本番だった?」
「そこまで確実じゃなかったと思う」
桂一は少し考える。
「満月になれば必ず出るって話なら、九日もいらないからな。本命が最終日で、前後にも出る可能性があるから余裕を持たせた、くらいじゃないかな」
「じゃあ最初の九日間は、予備日?」
「それもある」
桂一が画面を閉じる。
「でも、俺達が道を覚える時間にもなった」
「……あ」
「昨日、灰島に言われてすぐカーブを数えられただろ。俺も、いつもの道と違うってすぐ分かった」
「確かに」
「向こうも毎晩待機してたみたいだしね」
栞は、道路脇から一斉に飛び出した白い服の人達を思い出した。
男を押さえる者。
装置を付ける者。
数値を確認する者。
誰一人、次に何をするのか迷っていなかった。
「練習してたみたいでした」
「俺もそう思う」
桂一は机の上で指を組んだ。
「通信。配置。誘導。捕まえた後の処理。昨日だけ集まって、いきなり出来る動きじゃないよ」
最初の九日間。
二人には何も起きなかった。
けれど、本当に何もしていなかったわけではない。
自分達も。
灰島達も。
十日目へ向けて準備をしていた。
「そういう所、よく気付きますね」
「気になっただけだよ」
「普通は、終わった仕事を月齢まで調べませんよ」
「そう?」
「そうです」
桂一はあまり納得していないようだった。
栞はその横顔を見る。
だから灰島は、この人へ仕事を持ってくるのだろう。
全部を教えなくても。
足りない部分を見つければ、自分から調べ始める。
本人には、特別なことをしているつもりなどない。
午前九時を少し過ぎた。
机の上のスマートフォンが鳴った。
桂一が画面を見る。
「噂をすれば」
「灰島さん?」
「うん。出るぞ」
栞をちらりと見る。
「相沢もいる。スピーカーだ」
『おはようございます。まずは、先日はお疲れ様でした』
「聞きたいんだが」
『はい』
「満月に現れたのは偶然か?」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
それから、灰島の声が少し弾んだ。
『やはり水野さんはいいですね!』
「何が?」
『そこまで気付きましたか』
「答えろよ」
『完全な規則ではありません。ただ、傾向は確認していました』
「だから十日間?」
『ええ。余裕を持たせました』
「最終日が一番可能性が高かった?」
『そう考えていました』
桂一が栞を見る。
栞も小さく頷いた。
やはり、偶然ではなかった。
「じゃあ、もう一つ」
『どうぞ』
「あの軽トラ、何だった?」
電話の向こうで、わずかな間があった。
『そうですね。……未確認生命体って分かります?』
「急に何の話だよ」
『では、未確認飛行物体は?』
「UFOだろ」
『はい』
「ネッシーとか、地球外生命体とか、そういう話がしたいの?」
『まあ、その辺りです』
「それと軽トラに何の関係があるんだよ」
『例えばですよ』
灰島の声は、どこか楽しそうだった。
『もし、人間よりはるかに高度な技術を持った何かがいたとします』
「うん」
『その何かが、人間に見つからないように行動していたとします』
「うん」
『それなのに、毎回そのままの姿で現れているとしたら、おかしいと思いませんか?』
桂一が黙った。
栞も意味を考える。
『未確認飛行物体なんて、毎年のように目撃談がありますよね』
「あるね」
『そんなに凄い技術を持っているのに、擬態もせず、人間から見える形で飛び回っている』
桂一の目が少し細くなった。
「……まさか」
『なーんちゃって』
「いや、ごまかせてないぞ」
『なんちゃって、と申し上げましたので大丈夫です』
「何が大丈夫なんだよ」
栞が思わず吹き出した。
『今回はかなり助けていただきましたので、特別に、答えられる範囲でしたらお答えしますよ』
「じゃあ聞く」
『はい』
桂一の声が少し低くなった。
「なぜ俺だった?」
今度は、灰島が少し長く間を置いた。
『一番は、水野さんの存在そのものですね』
「俺?」
『はい』
「どういう意味?」
『水野さんは色々な場所へ行っています』
「まあね」
『色々な人と会い、色々な仕事をして、普通なら一生関わらないような場所にも入っている』
「それが?」
『接点が増えるんですよ』
桂一が黙る。
『妙なものとの』
栞も黙った。
『本人だけではありません。長く使っている物にも、その影響が残ることがあります』
「……車か」
『はい』
「だからノアを指定した?」
『そういう理由もあります』
桂一は窓の外を見る。
いつもの駐車場に、いつものノアが停まっている。
『便宜上、我々はそれを存在感と呼んでいます』
「存在感?」
『プレゼンス、と呼ぶ人間もいますね』
「数値で測れるの?」
『いいえ。そんな便利なものではありません』
灰島はあっさり否定した。
『ただ、昔から研究はしています。同じ場所へ行っても、妙なものに気付かれやすい人と、ほとんど接点を持たない人がいる』
「俺は?」
『前者ですね』
「嫌だな」
『こちらとしては助かります』
「もっと嫌だよ」
栞が苦笑する。
桂一はしばらく考えていた。
やがて。
「待てよ」
『はい』
「引き寄せやすいってことは」
桂一の視線が、何もない壁へ向く。
「逆も出来るんじゃないか?」
電話の向こうが静かになった。
「寄ってくるのを強く出来るなら、弱くすることも出来るだろ」
『素晴らしいです』
灰島の声が明らかに嬉しそうになる。
「昨日、お前らが急に出てきたのも?」
『急に出てきたわけではありませんよ』
「ずっとこの辺にいた、か」
『ええ』
「存在感を薄くしてた?」
『コントロール出来れば、消えたように見せることも可能かと思いますよね』
「出来るって言ってるようなもんじゃないか」
『あくまで考え方のお話です』
「都合いいなあ」
『それに』
灰島が続ける。
『そんなことを本気で研究している機関が、普通の場所に堂々と存在出来ると思いますか?』
「そんなこと、考えたこともないよ」
『でしょうね』
桂一は、まだ何かを考えている。
「じゃあ」
『はい』
「仮にだぞ」
『はい』
「お前らが、そういうものと昔から接触してるなら」
栞が桂一を見る。
「今の時代には早すぎるような技術を持ってても、おかしくないよな」
電話の向こうで。
灰島が小さく息を吐いた。
笑ったようにも聞こえた。
『ああ、水野さん』
「何だよ」
『私は、あなたと繋がれて良かった』
「急に気持ち悪い言い方するな」
『褒めているんですよ』
「分かりにくいよ」
栞は二人のやり取りを聞きながら、少しだけ置いていかれた気分になった。
存在感。
擬態。
見えなくなる技術。
時代に合わない通信機。
レーザービーム。
話がどんどん遠いところへ行っている。
「ちょっと待ってください」
桂一が栞を見る。
電話の向こうの灰島も黙った。
「だったら」
栞は一度、自分の考えを整理する。
「お化けとか、心霊現象とかも」
「うん」
「そういう正体不明のものとして研究したら、説明出来ちゃうやつがあるんじゃないですか?」
桂一の目が少し見開かれた。
「あ」
電話の向こうでも、わずかな沈黙があった。
『相沢さんもやりますね』
「やっぱり!?」
『説明出来るものも、あるでしょうね』
「じゃあ――」
『全部とは申し上げていませんよ』
栞の動きが止まった。
『分からないものは、今でも分かりません』
「それ余計怖いじゃないですか!」
桂一が笑い出す。
「もうっ、聞かなければ良かった!」
栞は椅子の背へ身体を預けた。
「所属もよく分からない謎の組織に、消えたように見せる技術に、軽トラに化けてるかもしれない何かって。すっごいファンタジーな話になってきたんですけど!」
『ファンタジーとは限りませんよ』
「その言い方が一番嫌なんです!」
「でも相沢、最初から大体そんな仕事だっただろ」
「ここまでじゃなかったです!」
『では』
灰島の声が、急にいつもの事務的な調子へ戻った。
『振り込みは完了していますので、ご確認ください』
桂一がスマートフォンを見る。
「急に現実へ戻すなよ」
『現実は大切ですから』
「そこだけまともだな」
『ハイパートランシーバーも、すぐに回収者が伺います』
「は? ちょっと待――」
『それでは、また』
通話が切れた。
「切りましたね」
「切ったね」
桂一はそのまま銀行口座を確認する。
「……来てる」
「本当に?」
「うん」
栞が横から画面を覗き込む。
金額を見て、一度目を丸くした。
十日分の報酬。
経費。
危険を伴った分の加算も入っているらしい。
だが、栞が気になったのは金額ではなかった。
「振込名義……」
「うん」
そこには、短く表示されていた。
日本国。
「……国から振り込まれてません?」
「国から振り込まれてるね」
「どういう組織なんですか、灰島さん」
「さっき聞けば良かったな」
「桂一さんだって忘れてたじゃないですか」
「情報量が多すぎたんだよ」




