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市影譚 ―怪異を解する―  作者: 宮城 歩


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4-6 やかん


「……助かった、ってことでいいんですよね」


「多分ね」


「多分なんですね」


「灰島の案件で断言するの、もうやめた」


 その言葉に、栞はまた少しだけ笑った。


 外ではまだ作業が続いている。


 青いつなぎの男は、いくつもの装置を取り付けられたまま、数人に押さえられていた。


「反応、低下しています」


「固定維持。そのまま搬送へ」


 短い声が飛び交う。


 すると、道路脇から二人が大きなブルーシートを運んできた。


 男のすぐ横へ広げる。


 それを見ていた桂一が、わずかに眉を寄せた。


「……ん?」


「どうしました?」


「いや」


 桂一はフロントガラス越しに、ブルーシートを見ていた。


 青い。


 厚手の、どこにでもありそうなシートだった。


 ホームセンターに行けば似たものはいくらでも売っている。


 桂一自身、ブルーシートなどどれも大して変わらないと思っていた。


 それなのに。


「前にも見たような気がする」


「このシートを?」


「似てるだけだと思うけどね」


 栞も見る。


 桂一が思い出していたのは、佐原と山へ入った時だった。


 獲物を運ぶために使ったブルーシート。


 二人で端を持ち、重さを感じながら運んだ。


 あの時のものと、今目の前にあるシートがどこか似ている。


 色だけではない。


 普通のものより少し厚そうな生地。


 光を受けた時の鈍い反射。


 端の処理。


「佐原さんと一緒に運んだやつに似てるんだよ」


「猟の時の?」


「うん」


「同じ物なんですか?」


「そこまでは分からない。ブルーシートなんて、普通は見分けようとも思わないし」


 桂一はそう言いながらも、目を離さなかった。


 灰島から佐原へ渡り、今は自分が持っているナイフ。


 三十年ほど前から灰島を知っている佐原。


 そして、以前佐原と一緒に使ったものによく似たシート。


 関係があるのか。


 偶然なのか。


 判断する材料はなかった。


 外では男がブルーシートの上へ移されていた。


 一人が端を折り、別の一人が固定する。装置の一部は付けたままらしく、細い配線だけが外へ伸びている。


 まるで、これも手順の一つとして決まっているようだった。


「搬送できます」


「車両側も確認を」


 数人が軽トラックへ向かう。


 一人は荷台を覗き込み、別の者は車体へ何かの機械を当てていた。


 交通事故の現場検証と、研究施設の実験を同時に見ているようだった。


「本当に何なんでしょうね、この人達」


「どこから現れたのか、さっぱり分からなかったな」


 コンコン。


「わっ」


 今度は助手席側の窓だった。


 栞が顔を向ける。


 灰島が立っている。


「お疲れ様でした」


「心臓に悪いけど、今度は普通に来ましたね」


「何がでしょう?」


「何でもないです」


 栞は窓を下げた。


 灰島はいつもと変わらない。


 つい数分前まで、こちらは百キロ近い速度で軽トラックから逃げていたというのに。


 本人だけは、仕事帰りに挨拶へ来たような顔をしている。


 桂一が先に口を開いた。


「お前ら、どこにいた?」


「ずっとこの辺りにいましたよ?」


「嘘つけ。急に現れただろ」


「そう見えただけですよ」


「……何だよ、それ」


 桂一が睨む。


 灰島は笑顔を崩さない。


「見えていなかったものが見えるようになることもありますし、見えていたものが見えなくなることもあります」


「余計分からなくなった」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 栞は、手に持ったままだった卵型の装置を見せた。


「あの、これ」


「ああ。お預かりします」


「レーザービーム」


「はい」


 灰島はポケットから薄い手袋を取り出した。


 両手に着けてから、栞から装置を受け取って電源を確認する。


 桂一がすぐに反応した。


「おい。なんで手袋を着けた?」


「貴重な製品ですので」


「俺たちは素手で触ってたぞ」


「問題ありません」


 灰島は装置を手の中で確認した。


 どこかを操作する。


「使用回数は一回ですね」


「一回?」


 桂一が顔を上げる。


「使ってないぞ」


「私も押してません」


「そうですか」


「そうですか、じゃないだろ」


「こちらで確認しておきます」


「便利だな、その言葉」


「便利でしょう」


 桂一は溜息をついた。


 栞は、外で動く銀色の頭を見る。


「あの人達の頭って、何なんですか?」


「ああ」


 灰島もそちらを見る。


「電波対策です」


「なんだよそれ」


 今度は桂一だった。


「こちらはいつ連絡が来てもいいように、ハイパートランシーバーを常に起動させていましたので」


「十日間?」


「担当者を交代させながらですが」


「だから、あの頭?」


「ええ。アルミホイルでも大丈夫でしたが、実用的なデザインにしたら、ああなりました」


 栞はもう一度、銀色の頭を見る。


「……あれが実用的なんですか?」


「目元はメッシュになっています。口元が尖っているのは、記録用の録音機が入っているからです」


 桂一が感心したような、呆れたような顔をした。


「やかんにしか見えないけどな」


 口にした言葉に、灰島が一瞬肩を震わせた。


「確かに! 似てますが、本人達には言わない方がいいかと。好評ですので!」


「そこ聞いてない」


 さっきまでの緊張が切れたせいか、桂一は急に身体が重くなったようにシートへ背を預けた。


「で、これで終わり?」


「はい。十日間、お疲れ様でした」


 栞はブルーシートに包まれた男を見る。


「あのつなぎの人は?」


「あの人は、煽り運転の犯人です!」


「それなら絶対、警察に言いますよね!」


「そうですね」


「そうですねって……」


 栞には、それ以上どう聞けばいいのか分からなかった。


 桂一が別の方を見る。


「じゃあ、あの軽トラは?」


「軽トラ?」


 灰島が軽トラックを見る。


「あ、はい。軽トラですね」


「なんだ今の間は。悩むところか?」


「ちょっとお待ちください」


 灰島が会話を遮る。


 声の調子が変わった。


 桂一も黙る。


 灰島はノアから少し離れ、二人を守るように片手を伸ばした。


「何?」


「そのままで」


 道路の向こう。


 白い服の人間達が一斉に動きを止めた。


 銀色の頭がコミカルに同じ方向を向いた。


 ブルーシートを持った人間も。


 軽トラックの周囲にいた者達も。


 灰島が半歩だけ位置を変えた。


 ノアと、彼らの間へ入るように。


 その直後に、白い光が弾けた。


「っ!」


 栞は反射的に目を閉じた。


 瞼を閉じても明るい。


 一瞬だけ、真昼よりも白い何かに周囲全部を塗り潰されたようだった。


 目を閉じる直前。


 栞には灰島の影が見えた。


 フロントガラスへ落ちた黒い影。


 強い光に引き伸ばされた。


 そう考えればいい。


 ただ。


 人間一人の影にしては、あまりにも大きかった。


 背後にもっと巨大な何かが立ち、灰島の身体へ重なっているようにも見えた。


 数秒もなかった。


 光が消える。


「相沢、大丈夫?」


「はい」


 栞は恐る恐る目を開いた。


 外を見る。


「……え?」


 何もない。


 銀色の頭達がいない。


 白い服も。


 黒いスーツも。


 ブルーシートに包まれた男も。


 そして。


 軽トラックまで消えていた。


 残っているのは、道路に立つ灰島だけだった。


「……宇宙船でも来たんですか?」


 思わず栞が口にする。


 桂一も外を見る。


「俺も今、それ考えた」


「来てませんよ」


 灰島は平然と言った。


「じゃあ、今の何?」


「強い光ですね」


「それは見れば分かるんだよ」


 桂一が呆れたように言う。


「車ごとどこ行った?」


「それについては、また別の機会に」


「別の機会があるの?」


「さあ」


「嫌な言い方するなあ」


 栞は、もう一度道路を見る。


 何も残っていない。


 あれだけの人数がいて。


 車まであった。


 それなのに、ほんの一瞬で全てがなくなった。


 さっき見た灰島の影も気になった。


 けれど。


 強烈な光だった。


 角度によって、影はいくらでも長く見える。


 そういうことにしておいた方が良さそうだった。


「ああ、そうそう」


 灰島が空を見上げた。


「今夜は満月です」


 栞もつられて上を見る。


「あ、そうですね」


 山の上。


 雲の少ない夜空に、丸い月が浮かんでいた。


「相沢さん。お守りのトップは、月が見えるところへ出しておいてくださいね」


「あ。そういえばそうでした」


 栞は、服の襟元へ入りかけていたトップを外へ出した。


 白っぽい革紐。


 青と金の小さな飾りが、月明かりを受ける。


 桂一が灰島を見る。


「満月と何か関係あるのか?」


「さあ」


「お前が言い出したんだろ」


「綺麗な月ですから」


「絶対それだけじゃないだろ」


 灰島は答えなかった。


「今日は、お休みください」


「終わりか?」


「ええ」


 桂一が少し意外そうな顔をした。


 灰島から休めと言われること自体が、珍しかった。


「珍しいな」


「十日間、深夜までありがとうございました」


「俺はいいけど」


 桂一が栞を見る。


「相沢はちゃんと休ませるよ」


「はい。休みます」


「振り込みは?」


「精算して、報酬と合わせて明後日には振り込みます」


「分かった」


「振り込みが完了しましたら、改めてご連絡いたします」


 桂一は前を見る。


 ヘッドライトの先には、真っ暗な舗装路が続いている。


「ところで、ここからどう帰るんだ?」


「この道を真っ直ぐ進んでください。元の道路へ出られます」


「真っ直ぐ?」


「はい」


 桂一がカーナビを見る。


 栞も覗き込んだ。


 現在地を示すノアの印だけが、地図上の道から大きく外れた場所に浮かんでいる。


「ナビにも出てない道だぞ」


「ええ。少々工夫していましたので」


「道を?」


「色々と」


「またそれか」


 桂一はもう追及しなかった。


「相沢、帰ろう」


「はい」


 桂一がシフトを入れる。


 灰島が助手席側の窓から離れた。


「では」


 いつもの貼り付けたような笑顔。


 小さく頭を下げる。


「また、よろしくお願いいたします」


「またある前提で言うなよ」


「では、またご縁がありましたら」


「それも大体同じだろ」


 栞が笑いながら窓を閉めた。


 ノアがゆっくり動き出す。


 舗装路を、そのまま真っ直ぐ進む。


 カーナビの上では、道のない場所だった。


 数分走る。


 やがて前方に、見覚えのあるガードレールが現れた。


「あ」


 栞が声を上げる。


「いつもの道です」


「本当に出たな」


 桂一が左右を見る。


 この十日間、何度走ったか分からない道路だった。


 だが。


 今出てきた道の入口が、どこにあるのか分からない。


 バックミラーを見る。


 暗闇。


 それだけだった。


「……明るい時に見に来ます?」


「やめとこう」


「珍しいですね」


「今日はもう十分だよ」


 桂一が少し笑う。


 ノアは市街地へ向かって走り始めた。


 AMラジオは、もうつけなかった。

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