4-1 装備
第一話 届いた装備
栞が事務所へ着いた時、最初に見えたのは人の足だった。
駐車場に停められたノアの運転席から、黒いスラックスの脚だけが外へ伸びている。
上半身は完全に車内へ潜り込んでいた。
その横には工具箱。
地面には黒いケーブルと、外した内装の部品がいくつか置かれている。
また何かやってる。
栞は、まずそう思った。
「おはようございます」
「おはよう」
車の奥から桂一の声が返ってくる。
「何してるんですか?」
「昨日のやつ」
「昨日のやつ?」
「例の、灰島案件だよ」
しばらくして、桂一がペンチを片手に車内から出てきた。
白いシャツの袖で額の汗を拭う。
「たまに必要な物を置いていくんだよ」
桂一が事務所の玄関脇を指した。
そこには、何の印刷もない無機質な茶色い段ボール箱が置かれている。
「これ、なんですか?」
栞が覗き込む。
緩衝材の間に、なにやら大きな黒い塊が収まっていた。
テレビで見た、昔の携帯電話に少し似ている気がする。
大きくて。
無骨で。
今の電子機器とは、どこか雰囲気が違った。
「朝来たら玄関に置いてあった」
「宅配便で?」
「いや」
「いや?」
「伝票も送り主もなし」
栞は事務所の玄関を見る。
誰かがここまで運んできた。
それなのに。
いつ、誰が置いたのか分からない。
「……普通に怖いですね」
「普通に怖いよ」
桂一はそう言いながら、またノアへ身体を入れた。
怖がっている人間の動きには見えない。
「何が入ってたんです?」
「通信機」
「通信機?」
「説明書も入ってたから、朝から全部読んでた。それで、取り付けられそうだったから付けてる」
「自分で付けるんですね」
「できそうなものを、わざわざ誰かに頼む必要ないだろ」
栞はもう一度、段ボールの中を見る。
「これが通信機……」
「うん」
「なんですか、これ?」
桂一が車内から顔を出した。
「簡単に言うと、とんでもなく強いトランシーバーだな」
「……分かったような、分からないような」
「だって、要約するとそう書いてあるんだから仕方ない」
「普通のトランシーバーより、すごく遠くまで届くってことですか?」
「それだけなら珍しくないよ」
「じゃあ、何がすごいんです?」
「地形とか障害物の影響を受けにくいらしい。出力も相当あるみたいだけど、そこは俺もよく分からない」
桂一は再び車内へ潜り込む。
「テストしたら、使い方は相沢にも覚えてもらうから」
「私もですか?」
「君が乗り気だったんだろ。金額が大きいと、それなりの仕事にもなる」
また車内から出てきた。
今度は薄い説明書を手にしている。
「説明書は流し読みでいい。仕組みは理解しなくていいから、操作だけ覚えてくれれば」
「桂一さんは理解したんですか?」
「操作はね」
「仕組みは?」
「分からない」
「分からないんですね」
「分からないものを、分かったふりする方が危ないだろ」
桂一は説明書を栞へ渡した。
「電源と送信。それから、灰島から指示が来た時にどうするか。その辺だけ覚えればいい」
「分かりました」
栞はページをめくる。
図も文章もきちんと並んでいる。
説明書としては普通に見えた。
だが。
どこにもメーカー名がない。
型番も。
問い合わせ先も。
保証についての記載もなかった。
「……本当に、どこで作ってるんでしょうね」
「訳が分からないけどね。あいつの組織は、すごい資金力と、凄まじい技術力があるんだよ」
桂一は、さも当然のことのように言った。
「だから、半分くらいは『そんなもんか』で済ませた方がいい」
「そんなもんか、でいいんですか?」
「全部理解しようとすると、たぶん仕事にならない」
栞は手元の説明書を見る。
メーカー名も。
型番も。
問い合わせ先もない。
普通なら。
そこから先が気になる。
けれど。
灰島が持ち込むものに限っては。
分からないこと自体が、珍しくないらしい。
「……そんなもんか」
「そう。それでいい」
桂一はそう言って、再びノアの中へ潜り込んだ。
しばらくして。
「これで多分大丈夫」
桂一が車から出てきた。
ノアを見る。
助手席側に一本。
これまで見覚えのなかった黒いアンテナが立っている。
「見た目、変わりましたね」
「これくらいなら気にする人はいないだろ」
桂一は工具を箱へ戻した。
「テストに行くから、準備できたら声掛けて」
「今からですか?」
「うん。ここじゃ試さない」
「どうしてです?」
「住宅街だから」
桂一は黒いアンテナを見る。
「説明書を読む限り、どの程度周りに影響が出るか分からない。自宅とか、他人の家の近くで試したくないよ」
栞は少しだけ感心した。
妙な機械が届いたから。
とりあえず電源を入れてみる。
桂一なら、そんなこともやりそうに見える。
実際には。
やらない。
「じゃあ、準備してきます」
「お願い」
栞は事務所へ入り。
それから二人は、昨日調べた現場の近くへ向かった。
市街地を離れるにつれて、住宅が少なくなる。
店が途切れ。
畑が増える。
さらに進むと、道路脇の街灯もまばらになった。
「夜だと、かなり暗そうですね」
「だろうね」
「ここを五時間ですか」
「まだ始まってないのに嫌になってる?」
「二十万円を思い出して耐えます」
「強いな」
桂一が笑う。
やがて。
道路脇に少し広くなった場所を見つけ、ノアを停めた。
周囲に住宅はない。
片側は畑。
その先には雑木林が続いている。
「ここならいいだろ」
エンジンは掛けたまま。
カーナビも動いている。
ラジオからは、会話の邪魔にならない程度の音量で音楽が流れていた。
栞もスマートフォンを手にしている。
桂一が通信機へ手を伸ばした。
「注意書きは読んだ?」
「確か、ナビやスマホが機能しなくなるとか」
「確認頼む。試しに一回入れてみるぞ」
「はい」
スイッチを入れる。
ザザッ――。
ラジオが一気に乱れた。
「えっ」
カーナビの画面が横へぶれる。
一瞬。
色までおかしくなった。
栞のスマートフォンも画面が暗くなる。
「桂一さん」
「見えてる」
その直後。
キィン――。
細く高い音が。
耳の奥へ直接入ってくるように響いた。
「……っ」
栞が耳を押さえる。
桂一も眉をしかめ。
すぐに通信機の電源を切った。
静かになった。
ラジオが戻る。
カーナビも。
スマートフォンも。
何事もなかったように正常な表示へ戻っていく。
二人とも。
しばらく何も言わなかった。
「……なんだ、これ」
桂一が呟く。
「トランシーバー、ですよね?」
山で使ったやつとは、全然違う。
「説明書にはそう書いてある」
「住宅街で試さなくて良かったですね」
「ほんとだよ」
桂一は黒い通信機を見る。
その時だった。
スマートフォンが鳴った。
画面には。
灰島。
桂一が嫌そうな顔をする。
通話へ出ると、そのままセンターコンソールへ置いた。
「スピーカーだ。何だよ」
『無事、起動しましたか?』
桂一が黙る。
栞もスマートフォンを見る。
まただ。
どうして。
今だと分かるのか。
「……おい。強すぎるぞ」
『正常に動作したようで何よりです』
「ラジオもナビもスマホも全部おかしくなった」
『一時的なものでしょう』
「耳までキーンってした」
『そういう方もいらっしゃいます』
「先に言えよ」
『説明書には記載してあります』
「書いてあれば何でもいいわけじゃないだろ」
桂一は通信機を見る。
「住宅街でテストしてたら、どうなってた?」
『そうしないと分かっているから、水野さんに依頼しているのです』
「信用の仕方がおかしいんだよ」
『何時もながらさすがです』
少し間があいた。
『そういえば』
「何?」
『もし住宅街で使用したとしたら、テレビがしばらく映らなくなったり、照明が明滅したり、自動ドアが勝手に動いたりはするかもしれませんね』
「……大迷惑だろ」
桂一が眉を寄せる。
「これ、警察無線まで混乱させたら捕まるんじゃないか?」
『業務妨害になりそうですね。救急の車両にも迷惑かと』
「だよな」
『的確な判断を取っていただき、助かります』
「そこまで分かってるなら、もっと分かりやすく注意書きしろよ」
栞は。
口を挟まずに二人のやり取りを聞いていた。
軽口のようでいて。
灰島は桂一の考え方を知っている。
桂一もまた。
灰島が何を言えばはぐらかし。
どこまでなら答えるのかを知っているようだった。
「これ、トランシーバーって呼んでいいの?」
『では、ハイパートランシーバーにしましょうか』
「ハイパー?」
『スペシャルが良かったですか?』
「何を遊んでるんだ」
『いやあ、相沢さんがいると良いですね』
「巻き込みたくはなかったけどな」
『水野さんは真面目ですからね』
「お前の案件は、危険と隣り合わせな感じがして、ふざける余裕がないんだよ」
『ええ。お一人だと、ずっとその調子でしょうから』
桂一が一瞬黙った。
「……それで相沢を?」
『理由は一つではありません』
「便利な答えだな」
『便利でしょう』
栞は思わず、少し笑った。
きっと。
自分が知らないところで。
二人はこういう会話を、何度もしてきたのだろう。
桂一がこれまで一人で関わってきた世界を。
少しだけ覗かせてもらったような気がした。
怖い仕事なのは変わらない。
それでも。
その輪の中へ、自分も少しだけ入れたことが。
栞は素直に嬉しかった。
『では、明日は二十一時。お近くに見えるコンビニで』
「……近く?」
桂一が顔を上げる。
栞も窓の外を見る。
少し離れた道路の先。
明るい看板が一つ見えた。
「あ」
栞が指を差す。
「コンビニあります」
桂一も確認した。
車なら数分。
現場までも、そこから十分程度だろう。
「おい」
『はい』
「お前、どこにいる?」
『現場作業中です』
「また答えになってない」
『そうでしょうか』
「そうだよ」
桂一はため息をついた。
「明日、これ使うんだよな?」
『ええ』
「嫌になってきた」
『報酬は二十万円です』
桂一が黙る。
『なお、十日間何も起きなかった場合でも、日当は全日分きちんとお支払いします』
「……つまり、何も起きなければ二百万」
『そうなりますね』
栞は横で、小さくうなずいた。
桂一がそれを見る。
「分かりやすいな、お前」
「だって二百万円ですよ」
『相沢さんのおっしゃる通りです』
「そっちは乗っかるなよ」
電話の向こうで。
灰島が少し笑った気がした。
『では、明日二十一時に』
「はいはい」
通話が切れた。
桂一はスマートフォンを手に取る。
それから。
電源を切った通信機を見る。
今は。
ただの黒い箱にしか見えない。
「帰ろうか」
「はい」
「今日はもう触らないからね」
「私も賛成です」
桂一が車を発進させる。
ラジオは普通に流れた。
カーナビも。
栞のスマートフォンも。
何事もなかったように動いている。
明日の夜。
二人は。
今いる場所から、さらに十分ほど先へ入ることになる。




