閑話 用事2
『ところで』
「ん?」
『今回は、いつもの車で現場へ行きましたか』
「……?」
桂一は、自分が座っている車内を見る。
「そうだよ」
『相沢さんも』
「一緒」
『行きも帰りも?』
「ああ」
『なるほど』
「何が?」
『いえ』
「その『なるほど』だけで終わるの、やめてくれない?」
『何か問題が?』
「問題ありそうに聞こえるんだよ」
『現時点では、何とも』
「現時点ではね」
桂一はバックミラーへ視線を向けかけ。
途中でやめた。
「それで、どうすればいい」
『今夜は、相沢さんを一人にしない方がいいでしょう』
「もう家に送った」
『ご家族は』
「いる」
『それなら結構です』
「明日は?」
『可能なら、あなたが迎えに』
「そのつもり」
『では、それで』
「一日でいい?」
『返事が一度であれば、おそらく』
「またそれか」
『分からない以上、安全側へ寄せるしかありません』
「そこは同意」
『それと』
「何」
『山へは戻らないでください』
「……」
『水野さん?』
「聞いてる」
『やはり、狩猟期間外は山に入らない方がいいですね』
桂一が眉を寄せた。
「どういう意味?」
『そのままの意味です』
「今日のは有害鳥獣対応だよ。許可を取って入ってる。猟期とは別だろ」
『ええ。制度上は』
「また制度上」
『狩猟期間が定められているのは、理由があるからなんですよね』
「鳥獣保護とか、繁殖とか、そういう話?」
『もちろん、それもあるでしょう』
「それも?」
返事がない。
「灰島」
『はい』
「今、絶対別の意味で言っただろ」
『どうでしょう』
「ほんと嫌な喋り方するな」
『よく言われます』
「誰に?」
『秘密です』
「そこ秘密にする必要ある?」
灰島は答えなかった。
桂一は腰へ手をやる。
佐原から譲られたナイフ。
『ナイフは役に立ちましたか』
手が止まった。
「……使わなかったよ」
『そうですか』
「抜いただけ」
『それで結構です』
「何で持ってたって分かるんだよ」
『山へ入ったのでしょう?』
「入ったけど」
『なら、持って行くと思いました』
「それだけ?」
『あなたが持っていることは知っていますから』
「そういえば」
桂一はナイフの柄へ触れた。
「これ、元はあんたが佐原さんに渡したんだって?」
『聞きましたか』
「今日、少しだけ」
『そうですか』
「何なんだ、これ」
『ナイフですよ』
「見れば分かる」
『切れるのであれば、用途としては十分でしょう』
「材質とか、由来とか聞いてるんだけど」
『知って何か変わりますか』
「俺の気分が変わる」
『では、今はそのままお使いください』
「答える気ないな」
『ありません』
「潔いね」
少し間を置いて。
灰島が言った。
『ナイフ、預かりますか?』
桂一の表情が変わった。
「……何に使うと思ってる?」
『護るために、山へ行くのかと』
車内が静かになる。
桂一は何も言わなかった。
『水野さん』
「何」
『返事が一度なら、おそらく問題ありません』
「さっき聞いた」
『なら、山へ戻る理由もありません』
「……」
『何だったのか確認するためでも』
一拍。
『相沢さんを連れていこうとしたものに、何か返すためでも』
桂一の指が。
ナイフの柄から離れた。
「人のこと、よく見てるね」
『今日は分かりやすかったので』
「……行かないよ」
『分かりました』
「信用した?」
『今は』
「佐原さんみたいなこと言うな」
『そうでしょうか』
桂一は小さく息を吐いた。
「それと、相沢に何かないか?」
『何か、とは?』
「身を守る道具だよ」
電話の向こうが、ほんの一瞬だけ静かになる。
『大切に思ってらっしゃる』
「当たり前だろうが」
『そうですか』
「今日みたいなのに、俺が間に合わなかったら困る」
『次回までに考えておきます』
「そうしてくれ」
『指輪以外で』
「なんだって?」
桂一が眉を寄せた。
『サイズが分かりませんので』
「……そういう意味か」
『逆に、どんな意味が?』
「それが分からなかったから疑問だったんだよ」
『意識してらっしゃる』
「何を」
『相沢さんを』
「三年一緒に仕事してるからな」
今度は。
灰島の方が少し黙った。
『……そういう意味でしたか』
「逆にどんな意味だよ」
『それが分からなかったので』
「俺の言葉返すな」
『使いやすかったものですから』
「お前、たまに性格悪いよな」
『よく言われます』
「だから誰に?」
『秘密です』
「はいはい」
桂一は時計を見る。
「あと一つ」
『どうぞ』
「前に運んだやつ」
『前に?』
「ブルーシートに包まれてた」
電話の向こうが静かになる。
「あれと今日のは、別だよな」
『なぜそう思いますか』
「形が違う」
『具体的には』
「腕」
『……』
「あっちは、あんなに付いてなかったと思う」
灰島は、すぐには答えなかった。
「違うんだろ?」
『同じものとは考えにくいでしょう』
「やっぱり」
『ただし』
「分かってるよ。どっちも正体は分からない。俺が見た範囲では、形が違った。それだけ」
『ええ』
「そこは断定しない」
『結構です』
「先生みたいに言うなよ」
『教えた覚えはありません』
「それ、誰かにも言われそうだな」
『そうでしょうか』
ほんの少し。
灰島が笑ったような気がした。
「じゃあ、今日はこれでいい」
『ええ』
「ありがと」
『水野さん』
「何」
『今夜は余計なことを調べないように』
「分かってる」
『検索もです』
「そこまで?」
『あなたは山へ行かなくても、別の方法で近づくでしょう』
「……分かったよ」
『では』
「ああ」
通話が切れた。
桂一は、しばらくスマートフォンを見ていた。
「狩猟期間が定められてるのは、理由がある……ね」
結局。
その意味は教えてもらえなかった。
ただ。
今やるべきことは決まった。
連絡先を開く。
少し下へスクロールする。
佐原誠。
その名前を押した。
呼び出し音が鳴る。
一回。
二回。
明日は山へ入るな。
灰島からそう言われたと、伝えるために。
桂一は。
佐原が電話に出るのを待った。




