第二章 エピローグ
放送が終わった頃。
県立K西高校では、写真部がちょっとした騒ぎになっていた。
平日の朝だったこともあり、学校側でも今回の放送については事前に把握していた。
番組のディレクターから、資料や映像の確認で連絡も入っていたそうだ。
教員はもちろん。
すでに登校していた生徒たちも、見られる教室や職員室で番組を見ていたらしい。
全国放送の画面に。
自分たちの学校名が出る。
写真部の部室が映る。
半年間作り続けた記録表が映る。
そして。
水野桂一が、何度話を振られても写真部の話へ戻す。
放送終了から一時間もしないうちに、顧問から桂一へメッセージが届いた。
『部員が喜んでいます』
その下に、もう一つ。
『朝から部員の周りに人が集まっていて大変です』
「よかったじゃん」
桂一は笑った。
狙い通りだった。
半年間。
誰かに頼まれたわけでもない。
賞が出るわけでもない。
時計の写真を撮り。
日付を書き。
天候を書き。
使用した機材を書き。
おかしいと思ったものを残し続けた。
その積み重ねが。
全国放送の画面いっぱいに映った。
「大人の力、見せられたかな」
ネクタイを緩めたところで。
玄関の方から物音がした。
「おはようございます」
「あれ?」
栞だった。
桂一は時計を見る。
いつもの出勤時間は、とうに過ぎていた。
「泊まりの仕事が続いたから、今日は休みにしてただろ」
「今日は、家にいられなくなりました」
「なんで?」
栞が鞄を置く。
それから。
しばらく桂一をじっと見た。
「桂一さんのせいですよ」
「俺?」
まったく覚えがない。
「何かしたか?」
「うちの母が、放送したばかりなんだから対応が大変でしょって」
栞は椅子を引いた。
「休日出勤して手伝っておいでって言われました」
「……へえ」
桂一が少しだけ目を見開いた。
確かに。
いまだにスマートフォンは鳴っている。
メールも数分おきに届き続けていた。
「へえ、じゃないですよ」
「いや」
思わず笑う。
「そんなこと言うようになったんだなと思って」
「昨日までと全然違いますからね」
「そんなに?」
「母から、桂一さんに対する評価がすごい上がってます」
栞がじっと桂一を見る。
「なんだよ」
「タレントさんみたいだねって」
「タレント?」
「今度、紹介しなさいって言われました」
「それくらいいいよ」
「そうじゃなくて……」
栞は煮え切らない表情を浮かべた。
どこか照れているようにも見える。
「まあ、いいです」
「何が?」
「母が安心したみたいなので」
「ならいいだろ」
「はい」
桂一はコーヒーを飲んだ。
テレビ出演を受けた理由の一つに。
少しくらいは、栞の家族も安心するかもしれない。
そう考えたことは。
やはり本人には言わないことにした。
「で」
栞がパソコンを立ち上げる。
「どのくらい来てます?」
「何が?」
「問い合わせです」
「ああ」
桂一が画面を向けた。
「結構」
「……結構じゃないですよ、これ」
感想。
追加の取材依頼。
記事についての質問。
K市の住民からの連絡。
そして。
新しく届いた、駅前の写真。
「まだ写真来てるんですね」
「テレビ見て思い出した人もいるみたい」
「もう記事出てるのに」
「せっかく送ってくれたんだから、一応見よう」
「ですよね」
栞は自分のメールも開いた。
「あ、そうだ」
「ん?」
「さっき、高瀬さんからも連絡来てました」
「高瀬さん?」
「K市でも、今回の件を取り上げて問題ないかって」
「相沢に?」
「はい」
栞がメールを開く。
「『水野さんは放送直後でお忙しいと思いますので、相沢さんへご連絡しました』って」
「へえ」
桂一は少し感心した。
これまでは、基本的に自分が窓口だった。
いつの間にか高瀬の中でも。
相沢栞は、市影譚へ正式に連絡できる相手になっていたらしい。
「それで?」
「市長が、観光スポットにするのに乗り気らしいです」
「早いね」
「もう市と市長の公式SNSでは今回の記事を紹介して、ついでに市内の観光情報もリンクさせてるみたいですよ」
「抜け目がないね」
桂一は感心した。
ざっと受信一覧を見る。
その中に。
『K市観光課 高瀬』
という件名があった。
開いてみる。
普段の高瀬からは想像しにくいほど、慌てて書いたような文面だった。
テレビ放送を受け、市内部でも朝から話が進んでいるらしい。
駅前の時計を市の観光情報として紹介してよいか。
市影譚の記事へリンクを張ってよいか。
写真部についても、学校側と調整した上で取り上げたい。
そして。
できるだけ早く、駅前を訪れる人への案内も整えたい。
「仕事早いな」
「まだありますよ」
栞が画面を送る。
「駅前には警備も入れるみたいです」
「もう?」
「今日からしばらく、人が増えそうな時間帯に配置する方向だって」
「それはいいね」
真夏の駅前。
現象が起きやすい時間帯は。
そのまま、暑さが厳しい時間帯でもある。
「給水とか休憩場所も案内した方がいいかもね」
「高瀬さんも似たようなこと書いてます」
「さすが観光課」
少し前まで。
K市は、この噂で人が集まることを警戒していた。
分からない現象に人が押し寄せれば。
事故や混雑だけが残るかもしれない。
だが。
今は事情が違う。
「暑いから行くのを控えよう、から」
桂一が言う。
「暑い時期だからこそ行ってみよう、になるわけだからね」
「人、来そうですよね」
「駅前だから、電車でも来られるし」
「飲食店もあります」
「飲み物も買う」
「お土産も」
「そのまま市内を回る人もいるかもね」
時計そのものに入場料があるわけではない。
それでも。
人が電車を使い。
飲み物を買い。
昼を食べ。
商店へ寄る。
経済効果は、それなりにあるだろう。
「怪異じゃないって分かったのに、観光スポットになるんですね」
栞が言った。
「むしろ、その方が市としては扱いやすいだろ」
「どうしてです?」
「怖いけど来てください、より」
桂一が笑う。
「安全だけど、ちょっと変な写真が撮れるかもしれません、の方が勧めやすい」
「ああ」
「しかも、市が案内して、警備も置く」
「管理できる」
「そういうこと」
分からないものに。
勝手に人が集まるのではない。
市が情報を出し。
人の流れを見て。
暑さへの注意を促し。
必要なら警備も置く。
怪異と呼ばれていたものは。
いつの間にか。
市に管理される側へ回っていた。
「返信どうします?」
「市影譚の記事へのリンクは問題ないよ」
「写真部は?」
「学校にも確認してもらえばいい」
「分かりました」
「あと」
「はい」
「高瀬さんに、対応ありがとうございますって伝えといて」
「私から?」
「相沢に来たメールだろ」
「そうですけど」
「じゃあ、相沢の仕事」
栞が一瞬だけ止まる。
「……分かりました」
どこか嬉しそうだった。
結局。
休みだったはずの栞も、そのままいつもの席に座った。
二人で、次々に届く連絡を処理していく。
その間にも。
新しい写真が届いた。
『二十五年くらい前だと思います』
『祖父のアルバムにありました』
『昔、駅前で家族を撮った写真です』
『正確な日時は分かりませんが、時計が写っていたので送ります』
検証そのものは、もう終わっている。
それでも。
古い写真は見ているだけで面白かった。
今とは違う看板。
無くなった店。
昔の車。
学生服。
駅前の景色。
同じ場所なのに。
時代だけが少しずつ違っている。
「これ、二十一年前です」
「結構古いな」
「こっちは十七年前」
「時計はある?」
「あります」
「じゃあ保存」
栞が年代ごとに分け。
桂一が、一枚ずつ確認していく。
何枚目だったか。
桂一が一枚の写真を開いた。
マウスが止まった。
「……」
「桂一さん?」
「ん?」
「どうしました?」
「いや」
次の写真を開く。
十二年前。
さらに次。
八年前。
桂一の動きが少しずつ遅くなった。
「何かありました?」
「まだ分からない」
「時計ですか?」
「いや」
桂一は画面を見たまま答えた。
「時計じゃない」
栞が横から覗こうとする。
「何です?」
「ちょっと待って」
「はい」
「先に全部見よう」
それ以上は言わなかった。
ただ。
時計の数字が消えたときにも。
人の身体が歪んで写ったときにも見せなかった。
少し難しい表情をしていた。
その日の午後。
届いていた写真を一通り確認したあと。
桂一はプリンターを動かした。
一枚。
また一枚。
五枚の写真が机の上に並ぶ。
「相沢」
「はい」
「そういえば、これ気づいたか?」
「何です?」
「見てみ」
栞が一枚目を手に取る。
昔のK駅前。
二枚目。
少し新しい。
三枚目。
さらに年代が進む。
「この写真がどうしたんですか?」
「日付も、年代も違う」
「それは見れば分かります」
「一番古いのは二十三年前」
「はい」
「人物」
「人物?」
栞は写真へ顔を近づけた。
駅前。
時計から少し離れた場所に。
一人の男が立っている。
年齢は分からない。
細身。
白いシャツ。
暗い色の上着。
首元には、細い紐のループタイ。
留め具は、小さな楕円形に見える。
男は正面を向いていない。
時計を見ているわけでもない。
少し離れた、何もない方向へ顔を向けている。
栞が二枚目を見る。
「……あれ?」
三枚目。
四枚目。
五枚目。
男がいる。
同じ位置に。
同じような角度で。
同じような服装で。
同じループタイを着けて。
「同じおじさんが立ってる?」
「そう見える」
桂一が答える。
「同じ場所ですよね」
「うん」
「向いてる方向も」
「うん」
「服も」
「似てる」
「ループタイまで」
「似てるね」
栞が一番古い写真へ戻る。
「二十三年ですよ?」
「そうだね」
「全然変わってなくないですか?」
「画質が違うからね」
「いや、でも」
桂一が先に言った。
「同一人物とは断定できない」
「またそれですか」
「またそれです」
「似た人?」
「かもしれない」
「似た服?」
「かもしれない」
「同じ場所で?」
「たまたま」
「同じ方向向いて?」
「たまたま」
栞がじっと桂一を見る。
「桂一さん、苦しくないですか?」
「苦しいね」
「ですよね」
桂一がパソコンのフォルダを開いた。
「でも、この五枚だけじゃない」
「まだあるんですか?」
「少なくとも、俺は二十枚以上で見つけた」
「二十枚?」
「同じ位置」
一枚。
「同じ角度」
次。
「服も、ほとんど同じ」
次。
「立ち方まで似てる」
栞は黙った。
駅前の風景だけが変わっていく。
看板が変わる。
車が変わる。
人の服装が変わる。
画質も変わる。
時計の周囲も、少しずつ変わっている。
なのに。
その男だけが。
ほとんど同じだった。
「不思議おじさんと名付けましょう」
「なんで?」
「分からないからです」
「雑だな」
「仮称です」
「本人に怒られるぞ」
「本人だったら、ですけどね」
桂一が黙る。
「……それもそうか」
五枚の写真を見る。
「記事にします?」
「しない」
即答だった。
「今回分かったのは、時計が映らない理由だから」
「じゃあ、これは?」
「別件」
「調べます?」
桂一は少し考えた。
「今はやめとこう」
「珍しいですね」
「材料が写真しかない」
「確かに」
「それに」
桂一が一枚の写真を指す。
「もう現地から帰ってきてる」
「また行けばいいじゃないですか」
「そのためだけに埼玉行く?」
「桂一さんなら行きそうですけど」
「否定はしない」
栞は笑った。
そして。
もう一度、五枚の写真を見る。
男が立っている場所。
何となく。
見覚えがあった。
「……ここ」
「ん?」
「いえ」
栞は少し考えた。
あの日。
駅前で調査をしていたとき。
強い風が吹いた。
視界の端に、何かが映ったような気がして。
振り向いた。
さっき自分が立っていた辺り。
そこには。
何もいなかった。
いつもの駅前。
普通の時計。
栞は五枚の写真を見る。
同じ場所に。
ループタイを着けた男が立っている。
二十三年という時間だけが。
その男の周りを通り過ぎていた。




