2-7 究明
高瀬から返事が来たのは、その日の夕方だった。
『担当部署に確認できました』
「ありがとうございます」
桂一はホテルの机にスマートフォンを置き、スピーカーへ切り替えた。
栞もノートを開いて隣に座る。
『駅前のミストですが、設置されたのは今年の五月です。六月から本格運転しています』
栞のペンが止まった。
写真部の記録で、人の身体がおかしく写る例が増え始めた時期と近い。
「運転条件も分かりますか?」
『気温が一定以上になると稼働する設定です。ただ、ずっと出ているわけではなく、運転と停止を繰り返します』
「風が強い日は?」
『停止するそうです』
「通常運転とは違う動きをすることはあります?」
『少々お待ちください』
電話の向こうで、高瀬が誰かに確認している。
しばらくして声が戻った。
『ありますね。運転開始時や、一定時間使用されなかった場合に、配管内の水を入れ替える動作があるそうです』
「そのときもノズルから出る?」
『設定上、一部は出るそうです。通常より水量が多く感じられる場合もあると』
桂一はメモを取った。
「運転記録までは残ってないですよね」
『そこまで細かいものはないそうです。ただ、設置時期と運用期間、停止した日などは確認できます』
「十分です」
『何か分かりました?』
「かなり近づいたと思います」
桂一は答えたあと、すぐに続ける。
「でも、まだミストが原因とは言いません」
『水野さんらしいですね』
「あとで間違ってた方が恥ずかしいので」
高瀬が笑った。
電話を切る。
「五月設置。六月から本格運転」
栞がノートを見ながら言った。
「身体の歪みが増え始めた時期と、かなり近いですね」
「うん」
「これ、もう答えなんじゃないですか?」
「こういうときほど気をつけた方がいいよ」
「どうしてです?」
「欲しい答えに見えてくるから」
桂一は写真部のデータを開いた。
「ミストが無かった頃の写真も、もう一回見る」
二人はそこから、集まった写真を改めて分類した。
設置前。
設置後。
真夏。
春。
昼。
夜。
時計だけが欠けているもの。
人の身体が歪んでいるもの。
何も起きていないもの。
数時間後。
「あ」
栞が一枚の写真を止めた。
「これ、三年前です」
真夏の駅前。
観光客らしい男性の足元が、わずかに揺れて見える。
「ミスト設置前だね」
「はい」
「撮影日は?」
「八月。時間は十四時過ぎです」
桂一は写真を拡大した。
「じゃあ、ミストが現象を作ったわけじゃない」
「でも最近増えた」
「うん」
熱せられた舗装面だけでも、ごく稀に似た状態は起きていた。
調べる。
三年前のことではあるが、撮影日の前日は「曇り」とあるので、雨が降っていたのかもしれない。
そこへ。
ミスト設備が追加された。
高温の路面。
細かな水滴。
局所的に冷やされる空気。
風。
撮影位置。
いくつもの条件が重なれば、発生する機会そのものが増える。
「怪異が強くなったわけじゃない」
桂一が言った。
「街の環境が変わった?」
「それと、撮る側も」
桂一は古い写真を一枚開いた。
二十年近く前。
画質は荒い。
それでも、駅前時計の数字の一部が欠けているように見えた。
「時計の方は昔から起きてたんだろうね」
「でも話題にならなかった」
「フィルムの頃なら、一枚撮るのにも金がかかった。失敗した写真なんて捨てる」
「今なら何十枚でも撮れる」
「動画もある。SNSにも載る」
桂一は椅子にもたれた。
「怪異が強くなったんじゃない」
もう一度言う。
「街の環境と、人間の撮影環境が変わったんだと思う」
翌日。
二人は整理した資料を教授へ送った。
ミストの設置時期。
運転条件。
写真部の記録。
設置前の写真。
最近の写真。
そして、二人が考えた仮説。
返事は早かった。
『かなり筋は通っています』
オンライン通話の向こうで、教授が頷く。
『時計については、表示側と撮影機器の組み合わせで、かなり説明できます』
「人物の方は?」
『断定はできません。ただ、熱せられた舗装面の上に、ミストで局所的に冷えた空気が流れれば、複雑な温度差は生まれます』
教授が簡単な図を描く。
『そこへ風、撮影距離、角度などが重なれば、一部分だけが揺れたり伸びたりして記録されることは考えられます』
「毎回起きないのも?」
『むしろ毎回起きない方が自然でしょう』
桂一は頷いた。
『ただし』
「はい」
『一メートル付近に異常な層がある、なんて書き方はしないでくださいね』
「しません」
桂一は笑った。
「そこまで言ったら、今度は俺たちが怪談を作る側になるので」
『その慎重さなら大丈夫でしょう』
通話を終える。
栞が大きく伸びをした。
「やっと書けますね」
「うん」
それから二日。
二人は宮城へ戻り、市影譚の記事を仕上げた。
時計が写真から消える理由。
県立K西高校写真部が半年間集めた記録。
人物の一部が歪んで写る現象。
熱せられた路面。
ミスト設備。
専門家から聞いた光学的な可能性。
説明できるものと。
まだ可能性としか言えないもの。
その境界が混ざらないよう、桂一は何度も文章を直した。
公開前には、高瀬へ設備に関する記述を送った。
記事そのものの許可を求めるためではない。
設置時期や運転条件など、市が管理している事実に間違いがないかを確認するためだ。
写真部に関する部分は、顧問にも確認してもらった。
『部員一同、大丈夫です。個人名を出さず、写真部として紹介していただければ』
その返事を受けて、記事の最後に一行が加わった。
――取材協力・県立K西高校写真部。
「これ、あの子たち喜ぶでしょうね」
「市影譚もそこそこ見られてるらしいから、これで有名になったらいいな」
「やっぱり最初から、そのつもりだったんですね」
「言っただろ」
桂一は記事の最終確認を続ける。
「真面目に半年も追いかけた写真部が、一躍学校で時の人になる。そんな学生生活、なかなかないだろ」
「大人の力を見せてやろう、でしたっけ」
「そうそう」
栞は笑った。
K市へ向かう前から、桂一はそう言っていた。
原因を調べて終わりではない。
半年間、自分たちで考え、記録を残し続けた高校生たちに。
大人が持っているものを使って、何かを返す。
そこまで含めて今回の仕事だったらしい。
「じゃあ、出すよ」
「はい」
記事が公開された。
最初は静かだった。
普段の読者が何人か反応し。
少しずつ感想がつく。
桂一は市影譚のSNSを開いた。
『K駅前の写真提供にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました』
『検証結果を記事として公開しました』
写真部の半年間の記録が検証の土台になったこと。
異常のない普通の写真も大いに役立ったこと。
提供された写真については、許可を得たもの以外掲載していないこと。
簡単にまとめて、記事への案内を載せる。
さらに、写真を送ってくれた人たちへも、できる範囲で公開を知らせていった。
「全部返すんですか?」
「全部は無理でも、なるべくね」
「かなりありますよ」
「わざわざ昔のアルバムまで探してくれた人もいるんだから」
「律儀ですね」
「また何かあったとき協力してもらえるかもしれないだろ」
「営業ですね」
「礼儀と営業は両立する」
「否定しなくなりましたね」
しばらくすると。
あの声優のアカウントにも、記事公開の案内が届いたらしい。
引用投稿されたのと、ほとんど同時だった。
「うん。お疲れ」
「桂一さんもちゃんと休んでくださいね」
「はいはい」
「信用ない返事ですね」
「いいから相沢は休んで」
「お疲れさまでした」
栞が帰ったあと。
桂一は一人になった部屋で、コーヒーを淹れた。
さっきまで二人で見ていたアクセス解析を、もう一度だけ開く。
まだ伸びている。
「確かにすごいな」
今度は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
閉じようとしたところで、メールの通知が出る。
市影譚の問い合わせ用アドレスだった。
「ん?」
件名を見る。
桂一の手が止まった。
『朝の情報番組「Zipper」取材のご相談』
「……テレビ?」
メールを開く。
全国放送の朝の情報番組だった。
K駅前の記事を拝見したこと。
SNS上で急速に話題が広がっていること。
番組内で今回の現象を紹介したいこと。
可能であれば、市影譚の水野本人にも出演し、検証内容を解説してほしいこと。
出演を希望する日時まで書かれている。
早い。
記事が大きく広がり始めてから、それほど時間は経っていない。
「なるほどね」
他のメディアに取り上げられる前に、押さえておきたかったのだろう。
考えてみれば、番組側にとって扱いやすい記事ではある。
今回の記事は、そのまま紹介してもいいくらいには裏取りが終わっている。
時計については専門家の見解がある。
人物の歪みについても、どこまでが分かっていて、どこからが仮説なのかを分けて書いた。
K市役所にも確認を取っている。
県立K西高校写真部には、半年分の記録がある。
解説を頼んだ教授は、テレビ出演も多い有名人だ。
桂一自身の経歴も、市影譚のサイトには最低限載せてある。
何より。
高校生が半年間追い続けた現象を、大人と専門家が引き継いで検証した。
朝の番組なら、そこは使いやすいだろう。
怪談。
高校生。
地域。
専門家による検証。
最後には、ある程度納得できる答えまである。
怖すぎない。
難しすぎない。
主婦や年配の視聴者が見る時間帯にも載せやすい。
「よくできてるな、これ」
自分の記事に言うのも妙だった。
メールをさらに読む。
教授。
K市役所。
学校。
その他の協力者については、必要に応じて番組側から正式に連絡を取るという。
市影譚から先に話を通しても構わない、とも書かれていた。
そこまで読んで。
桂一は椅子の背にもたれた。
問題は、一つだった。
自分が出るかどうか。
桂一は、普段ほとんど表に出ない。
取材で人に会うのは別だ。
現地へ行けば、依頼者にも行政にも店の人間にも普通に顔を見せる。
写真に写ることだってある。
だが、市影譚というメディアの前面には、できるだけ自分を出さないようにしていた。
有名になりたいわけではない。
それ以上に。
記事を読むとき、書いた人間の顔が邪魔になると思っていた。
テレビでよく喋る男が書いている。
怖そうな男が書いている。
妙に明るい男が書いている。
そんな先入観が入れば、同じ文章でも受け取り方は変わる。
市影譚で前に出したいのは、自分ではない。
その土地と。
そこで暮らしている人と。
そこで起きたことだ。
「……テレビか」
正直、面倒だった。
断る理由なら、いくらでもある。
けれど。
今回は少し事情が違った。
県立K西高校写真部。
K市役所。
写真を提供してくれた人たち。
教授。
記事を広めてくれた声優。
自分が一度顔を出すことで、その人たちの仕事や協力が、もう少し大きな場所へ届く。
それなら、出る意味はある。
そして。
もう一つ。
桂一は、誰もいなくなった向かいの席を見た。
普段なら栞が座っている場所だった。
以前、雑談の中で聞いたことがある。
栞の家族には、市影譚の仕事がいまひとつ伝わっていないらしい。
家でネットを使って何かをしている。
一人でオカルト系のサイトを運営している男の手伝いをしている。
外から見れば、そんなふうにも見える。
家族なら、心配するのも当然だろう。
実際には。
行政へ取材を申し込み。
学校と連携し。
現地へ出向き。
記録を整理し。
専門家へ資料を送り。
公開前には事実確認までしている。
栞がやっているのは、誰かの趣味の手伝いではない。
少なくとも桂一は、そういう仕事として任せているつもりだった。
自分が一度テレビに出たからといって、それですべてが証明されるわけではない。
テレビに出ること自体が、仕事の価値でもない。
それでも。
全国放送で、市影譚という名前が出る。
県立高校が協力し。
市役所が取材に応じ。
大学教授が解説する。
その仕事を、水野桂一と相沢栞がやっている。
そう伝われば。
少しくらいは、家族も安心するかもしれない。
「……そこまで面倒見ることでもないんだけどな」
桂一は一人で呟いた。
コーヒーの残りを、一息に飲み干す。
すっかり冷めていた。
「はあ」
小さくため息を吐き。
パソコンへ向き直った。
「よし」
返信画面を開く。
「連絡は俺からも繋ぐか」
教授には自分から。
高瀬にも。
写真部の顧問にも、一度こちらから話しておいた方がいい。
突然テレビ局から連絡が来るより、その方がいいだろう。
桂一は出演依頼を受ける旨を書き始めた。
そして最後に、一つだけ付け加える。
『今回の調査は、県立K西高校写真部が半年間記録を続けていたことが大きなきっかけになっています』
『可能であれば、番組内でもその点をご紹介いただければと思います』
そこだけは、最初に伝えておきたかった。
有名になるためではない。
自分の顔を売るためでもない。
今回協力してくれた人たちに、できるだけ返すため。
そして。
市影譚で働く、たった一人のスタッフのためにも。
桂一はメールを送信した。




