2-6 募集
調査を切り上げたのは、午後四時二十分頃だった。
予定していた四時半より少し早い。
これ以上続けても、似た結果が増えるだけだろう。
時計の数字は、ときどき欠ける。
人の身体も、ごく稀に歪んで写る。
ただ、どちらも狙って再現できるほど安定してはいなかった。
「今日はここまでにしようか」
桂一が言うと、生徒たちも少し安心したようだった。
日陰へ移動しても暑い。
顧問も生徒たちの顔を見回してから頷いた。
「そうですね。そろそろ切り上げた方がよさそうです」
「半年分の資料、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ」
桂一はスマートフォンを取り出した。
「あ、連絡先を交換しておこう」
一人の生徒がスマートフォンを出しかける。
桂一は顧問へ視線を向けた。
「先生も入った連絡用のグループって作れます?」
「もちろんです」
「じゃあ、それでお願いします。追加で聞きたいことが出たら、そこから連絡します」
生徒だけと直接やり取りする形にはしない。
最初から、そこまで考えていたらしい。
「写真の元データも、送れるものはお願いします」
「分かりました」
「ただ、個人がはっきり写ってるものは無理に送らなくていいからね」
「はい」
高瀬とも、改めて連絡方法を確認した。
市側へ追加で確認したいことが出た場合は、高瀬を窓口にする。
「じゃあ皆さん、今日はありがとうございました」
桂一が頭を下げる。
「俺たちだけだったら、一日でここまでは進まなかったと思います」
「本当ですか?」
「本当だよ」
桂一は笑った。
「半年先輩だからね」
生徒たちも笑う。
それぞれ挨拶を交わし、写真部と顧問は駅の方へ歩いていった。
高瀬も休日当番へ戻るため、市役所へ向かう。
二人だけになったところで、栞は大きく息を吐いた。
「暑かった……」
「お疲れ」
「桂一さん、元気ですね」
「暑いよ。普通に」
「そう見えないんですよ」
「見せても仕方ないだろ」
桂一は折り畳みカートを押し始めた。
「ホテル戻ったら、写真を募集してみよう」
「今日やるんですか?」
「今日の方がいいだろ。写真部の子たちも拡散してくれるかもしれないし」
仕事が早い。
その日の夜。
市影譚のSNSに、一件の投稿が出た。
『検証記事作成のため、K駅前の時計が写っている写真を探しています』
『詳細はリプ欄をご確認ください』
短い投稿だった。
リプ欄を見ると、撮影した日付やおおよその時間、天気、記事での公開可否など、面倒にならない程度に必要な項目がまとめられている。
使用したカメラやスマートフォンの機種が分かれば、それも。
分からなければ空欄で構わない。
異常が写っている必要もない。
普通に時計が写っている写真でも歓迎する、と書かれていた。
「結構ざっくりなんですね」
「細かくしすぎると送ってくれなくなるからね」
「なるほど」
桂一は投稿を確認すると、スマートフォンを置いた。
「じゃあ飯行くか」
「もう見ないんですか?」
「すぐには集まらないだろ」
その予想は外れた。
翌朝。
「桂一さん」
「ん?」
「すごいことになってます」
ホテルの朝食会場で、栞はスマートフォンを見ながら言った。
「何件?」
「もう分かりません」
「そんなに?」
「写真だけでもかなり来てます。昔の写真を探してくれてる人もいますし、地元に住んでた人とか、鉄道写真を撮ってる人とか、駅前イベントの写真を持ってる人とか」
「いいね」
桂一は味噌汁を飲んでいる。
「旅行会社にいた人からも、昔のツアー写真を確認してみるって来てます」
「それは助かる」
相変わらず淡々としていた。
栞は画面をスクロールする。
その途中で、指が止まった。
「……え?」
一つだけ、妙に反応の多い返信がある。
栞はアカウント名を確認した。
認証表示。
フォロワー数。
本人の公式アカウントだった。
「桂一さん!」
「朝から声でかい」
「これ!」
栞はスマートフォンを桂一へ向けた。
『地元です。これ、時計が歪むって話ですよね! 昔から不思議でした。実家に写真があると思うので探してみます!』
その一言には、ほかとは比べものにならない数のコメントがついていた。
「写真、探してくれるんだ。ありがたいね」
「そこじゃないです!」
「何が?」
「この人ですよ!」
桂一が画面を見る。
数秒。
「誰?」
「知らないんですか?」
「知らない」
栞は思わずスマートフォンを引っ込めた。
「某アニメの主人公の声優さんですよ!」
「へえ」
「第三期までやって、今は映画も絶賛公開中なのに! 本当に知らないんですか?」
桂一は申し訳なさそうな顔をした。
「名前は聞いたことがある気がする」
「原作コミック、発行部数一千万部超えの大ヒット作ですよ!」
「そうなのか」
「そうなのか……」
栞は額に手を当てた。
「私、この人の声ずっと聞いてましたよ」
「俺に言われても」
「有名人が市影譚にコメントしてるんですよ?」
「地元なら、写真持ってる可能性高いだろ」
「そこしか見てないんですか?」
「今は写真集めてるからね」
駄目だ。
たぶん、本当に興味がない。
栞はもう一度画面を見る。
返信欄は、さっきよりさらに伸びていた。
『本人だ』
『この人K市出身だったの?』
『市影譚見てるの意外』
『これって心霊写真集めなの?』
『昔の駅前の写真ならうちにもあるかも』
『実家にアルバム残ってるから探してみる』
そんなコメントが次々に増えている。
「これ、かなり広がりますよ」
「なら助かる」
「もっと喜んでくださいよ」
「写真が集まったら喜ぶよ」
「そういう話じゃないんですけどね……」
栞は呆れながらも、口元が緩んでいた。
有名人の一言がきっかけになったのか。
もともと地元で知られていた話だったからなのか。
その日から、市影譚のもとには写真が一気に届き始めた。
数百枚。
さらに、その先。
旅行の記念写真。
成人式。
駅前の祭り。
学生時代の集合写真。
鉄道を撮影したもの。
帰省した家族の写真。
時計そのものを撮ろうとした写真より、別の目的で撮影されたものの方が圧倒的に多かった。
「こっちの方がいいですね」
「何が?」
「時計を意識してない写真です」
「うん」
桂一が頷く。
「そういうのが欲しかった」
異常が起きることを知ってから撮影された写真だけではない。
何も知らない人が。
何年も前に。
たまたま駅前で撮った写真。
それらを、写真部が半年間集めた記録と一緒に整理していく。
日付。
時間。
天候。
撮影位置。
使用機材。
時計に異常があるか。
人物に歪みがあるか。
分かる範囲で表へ落としていった。
「やっぱり、暑い日に多いですね」
栞が言った。
「うん」
「特に十三時から十五時」
「朝と夜はかなり少ない」
同じような最高気温でも、異常が出ていない日はある。
逆に、極端な猛暑日ではないのに撮れている写真もあった。
「気温だけじゃないですね」
「そうだね」
桂一は一覧を眺めていた。
「太陽が一番高い時間とも、少しずれてる」
「十四時くらいの方が多い」
「うん」
しばらく考えてから、桂一が言った。
「地面かな」
「地面?」
「昨日、かなり熱かっただろ」
「アスファルトですか?」
「照り返しも強かった」
「反射熱?」
「それもあるかもしれない」
桂一は写真を何枚か並べる。
「地面が熱くなって、その上の空気と温度差ができる。そういう条件が関係してるなら、昼を過ぎてから増えるのも分からなくはない」
「陽炎みたいなものですか?」
「近い何かかもしれない」
栞は時計の写真を見る。
「じゃあ、時計の数字が消えるのも?」
「それは別だと思う」
桂一は即答した。
「別なんですか?」
「消え方が違いすぎる」
時計は、数字を構成する一部が欠ける。
人物は、腕や指が局所的に歪んでいる。
「同じ場所で、別の現象が重なってる可能性もある」
「そんなことあります?」
「あるかどうか分からないから聞く」
桂一がスマートフォンを手に取った。
「誰にですか?」
「専門家」
「知り合いですか?」
「直接じゃないけど、光学に詳しい人を紹介してもらえると思う」
桂一は連絡先を探しながら続けた。
「俺たちだけで考えても、ここから先は想像だからね」
時計の数字。
熱せられた路面。
歪んで写る人の身体。
大量に集まった写真。
条件らしいものは、少しずつ見えてきた。
けれど。
まだ、それを答えと呼ぶには早かった。




