2-4 時計へ
市役所を出たのは、午後二時十分を少し回った頃だった。
写真部の生徒たちとの待ち合わせは三時。
直接駅へ向かえば、まだかなり時間がある。
車を走らせてしばらくすると、桂一が道路脇の看板を見てウインカーを出した。
「どこか寄るんですか?」
「飲み物買っていこう」
入ったのは、全国チェーンではなさそうなスーパーだった。
「コンビニじゃないんですね」
「せっかく来たから」
桂一によれば、地元のスーパーはそれなりに地域性が出るらしい。
惣菜の種類。
魚売り場の広さ。
地元メーカーの調味料。
聞いたことのない菓子。
同じスーパーでも、土地が変われば置いてあるものが微妙に違うという。
「それも取材ですか?」
「半分趣味」
「残り半分は?」
「取材ってことにしとこう」
飲料売り場で、水、お茶、スポーツドリンクを籠へ入れていく。
自分たち二人の分にしては明らかに多い。
写真部の生徒。
顧問。
高瀬。
昨日、桂一が学校側へ参加人数を確認していた理由がようやく分かった。
しかも、人数ぴったりではない。
何本か余るように買っている。
レジへ行くと、桂一は店員の女性とも二言三言話していた。
「今日、暑いですね」
「今日は特に暑いよ。外歩くの?」
「駅前でちょっと仕事なんです」
「あら。じゃあ気をつけないと」
「ありがとうございます」
それだけの会話だった。
なのに会計が終わる頃には、店員も笑っていた。
栞はこういう光景を、桂一と同行するようになってから何度も見ている。
誰にでも話しかけるわけではない。
相手が返してくれれば少し話す。
忙しそうなら、それ以上は続けない。
距離の取り方が上手いのだ。
人との接し方という点では、かなり参考になると思っていた。
店を出て、飲み物の入った袋を後部座席へ置く。
「だから昨日、何人で来るのか聞いたんですね」
「まあ、俺たちが買っていくのが礼儀だろうからね」
「それも経験談ですか?」
「まあね」
桂一が運転席へ乗り込んだ。
「土方の仕事を手伝ってたとき、『人にものを教えてもらうなら、飲み物くらい買ってこい』って怒鳴られたもんだよ」
「……怒鳴られたんですか?」
「うん」
桂一は笑っている。
「それ、普通に教えてくれればよくないですか?」
「まあね」
「笑い話じゃないですよね?」
「でも、一回で覚えたよ」
「そういう問題じゃないです」
桂一にとっては、もう完全に昔話らしい。
栞には、あまり笑えなかった。
ただ。
そのとき教えられたことを、今でも律儀に守っているらしいことだけは分かった。
駅前近くの駐車場へ車を停めたのは、二時半を少し過ぎた頃だった。
桂一が後部を開ける。
「さて」
調査用のボックスから必要なものを取り出していく。
三脚。
長尺。
カメラ。
温度を測るための機器。
記録用の小物。
それらを折り畳み式のカートへ載せた。
最後に、先ほど買った飲み物の袋も載せる。
「これで全部ですか?」
「最初はこんなもんでいいだろ。必要なら車まで戻ればいい」
栞がカートを押し、二人で駅前広場へ向かった。
強い日差しが路面へ降り注いでいる。
道路を渡っただけで、さっきまで冷房の効いた車内にいたことを後悔しそうになった。
駅前まで来たところで、桂一が足を止めた。
時計を見るのかと思ったが、視線はその手前に向いている。
眉を少し寄せた。
「どうかしましたか?」
「いや」
桂一は広場脇の街灯を見上げた。
「随分低い街灯だと思ってね」
栞も見る。
「そうですか?」
「歩行者用なら、こんなもんかな」
それ以上は何も言わなかった。
視線はすぐに駅前全体へ移る。
広場。
ベンチ。
植え込み。
駅舎。
時計。
人の流れ。
写真を撮るなら、どこに立つことになるのか。
そんなものを一つずつ見ているようだった。
待ち合わせ場所には、すでに高校生らしい集団がいた。
その横に大人が一人。
四十代前半くらいの男性だった。
短く整えた髪に黒縁眼鏡。
紺色のポロシャツにチノパン。
肩には小さなカメラバッグを掛けている。
写真部の顧問だろう。
少し離れたところには、高瀬の姿もあった。
「こんにちは!」
こちらに気づいた男子生徒が声を上げた。
「水野さんですか?」
「こんにちは。連絡ありがとうね。市影譚の水野です」
「やっぱり!」
生徒たちの間に小さなどよめきが起きる。
顧問の教師も一歩前へ出た。
「写真部顧問の――です。この度はありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます」
桂一が頭を下げる。
「半年も記録してくれてたんですよね。今日はむしろ、こっちが教えてもらう立場なので」
「いえいえ」
顧問が笑った。
高瀬も近づいてくる。
「無事着きましたね」
「はい。ちょっと寄り道しましたけど」
桂一はカートに載せた袋を持ち上げた。
「いやあ、しかし暑いね。東北とはえらい違うよ」
生徒たちが笑う。
「あ、これ飲み物です。好きなの取ってください。先生も、高瀬さんもどうぞ」
「え、いいんですか?」
「もちろん」
桂一が袋を開いた。
「今日は皆さんに教えてもらうために来てるんだから」
しかし、誰もすぐには手を伸ばさなかった。
高校生らしい遠慮なのだろう。
「先に選んでいいよ。俺たちは最後でいいから」
桂一に促され、一人の生徒がスポーツドリンクを取った。
それをきっかけに、ほかの生徒たちも選び始める。
顧問。
高瀬。
その順に取っていった。
最後に桂一が残った中から一本を取り、栞へ見せる。
「相沢、お茶でいい?」
「はい」
桂一は残った水を取った。
自分のは最後に選ぶ。
栞はペットボトルを受け取りながら、さっき車の中で聞いた話を思い出していた。
『人にものを教えてもらうなら、飲み物くらい買ってこい』
怒鳴られて覚えたらしい作法を。
この人は、今も守っている。
相手が自分よりずっと年下の高校生でも、変わらないらしい。
少し水分を取ってから、栞は片手で日差しを遮り、駅前の時計を見上げた。
写真で何度も見た時計だ。
実物を見るのは、もちろん初めてだった。
駅前広場の一角に立つ大型の表示塔。
デジタル式の時計。
その隣には、縦長の温度計が設置されている。
現在の時刻も、気温も、肉眼では何の問題もなく表示されていた。
「……普通ですね」
栞が言うと、生徒の一人が笑った。
「そうなんです。普通なんですよ」
桂一は時計を見上げ、腕時計を確認した。
「じゃあ、少し休んだら始めようか。予定通り、四時半を目安に切り上げようと思う」
顧問が頷く。
「分かりました」
桂一は生徒たちへ向き直った。
「送ってもらったデータだと、十四時台が一番多かったよね」
「はい」
「やっぱり気温が高い時間だからですか?」
一人の生徒が聞いた。
「それもありそうだけどね」
桂一は時計の隣にある温度計を見た。
「単純に日差しが強い時間だから、って理由だけでもなさそうなんだよね」
生徒が目を瞬く。
「そうなんですか?」
「まだ分からないよ」
桂一はすぐに付け加えた。
「だから調べに来た」
そして笑った。
「陽が強いうちに検証したいし、その前に、半年間で何が分かったのか。簡単に最初から教えてもらっていい?」
「あ、はい!」
一人の生徒が大きめのファイルを開いた。
その言い方は、教師が生徒へ質問するものではなかった。
大人が、子どもの話を聞いてあげるというものでもない。
今日、この場所では。
半年間、この時計を追い続けてきた彼らの方が詳しい。
桂一は、本当にそう思っているのだろう。
栞もノートを開いた。
午後三時。
県立K西高校写真部が半年間追い続けてきた現象の検証が、ようやく始まった。




