2-3 市影譚とは
そこから、時計について市が把握していることを一つずつ聞いていった。
故障の問い合わせがあったか。
管理しているのはどこか。
いつ頃から話題になっているのか。
市の職員にも、変な写真を撮った経験がある人がいるのか。
撮影するなら、どこまでなら通行の邪魔にならないか。
高瀬も資料を確認しながら答えていく。
話が一段落したところで、高瀬がふと思い出したように言った。
「実は、おそらくご存じだと思いますが、ほかの雑誌社やWEBメディアからも取材の問い合わせは来ていたんです」
「え、そうなんですか?」
栞は思わず顔を上げた。
聞いてみると、オカルトや都市伝説を扱う媒体としては、名前を聞けば栞でも分かるようなところがいくつかあった。
「結構大きいところじゃないですか」
「そうですね」
桂一は特に驚いた様子もなく、軽く頷いた。
「これだけ似た現象が重なっていれば、大手さんなら情報提供も多かったでしょうね」
「たぶん、そうだと思います」
高瀬が頷く。
「ただ、私ではなく別の担当が電話を受けたんですけど、『駅前で起きている心霊現象を取材したい』という話だけだったらしくて」
少し苦笑した。
「市としても、何をどう取り上げられるのか分からなかったので、その場ではお断りしたそうです」
「それは仕方ないですね」
桂一は嫌な顔ひとつしなかった。
「俺でも、その説明だけなら警戒します」
「それと、これはまた別の媒体なんですが」
高瀬の表情が少し曇った。
「市役所へ来る前に、取材担当の方が駅前でずっと写真を撮っていたそうなんです」
「時計を?」
「それもだと思います。ただ、誰かに声を掛けるわけでもなく、駅前で何度もシャッターを切っていたらしくて。職員から見ると、かなり不審だったみたいで」
「市には事前連絡なしですか?」
「少なくとも、私たちには」
栞は眉を寄せた。
「それはちょっと怖いですね」
「私は直接見ていないんですけど、結局その媒体には記事が出たそうです」
「どんな記事だったんですか?」
「私も全文は読んでいないんですが」
高瀬が苦笑する。
「『市職員も口を噤んだ』みたいな書き方をされていたそうで」
「……断っただけですよね?」
「そうなんです」
「それはひどいですね」
思わず口から出た。
桂一は少し考えた。
「まあ、向こうには向こうの記事の作り方があるんでしょうけど」
責めるでもなく。
庇うでもない。
「ただ、俺たちは同じやり方をする必要はないですね」
高瀬が桂一を見る。
「市として出せないものは、出せないで構いません。分からないものは、分からないでいいです」
「はい」
「その代わり、確認できるところは一緒に確認させてください」
桂一が柔らかく笑った。
「その方が、たぶん面白い記事になりますから」
高瀬も頷いた。
「だから、水野さんから最初に『記事になれば人が来るかもしれないので、先に市へ話を通したい』と言われたとき、ちょっと驚いたんです」
「驚いた?」
「はい。先にそこを気にするんだ、って」
桂一は少し笑った。
「駅前ですからね。俺たちが記事を出して終わりでも、市の人はそのあともそこで仕事するでしょう」
「ああ……」
「だったら、先に話しておいた方がいいです」
当たり前のことのように言った。
自分たちは取材が終われば帰れる。
けれど、高瀬たちは帰れない。
記事が公開されたあとも、問い合わせを受けるのは市役所だ。
人が集まれば対応するのも地元になる。
「それに」
高瀬が続ける。
「地元の高校生が半年も協力しているという話も大きかったです」
「あ、県立K西高校ですね」
栞が言う。
「そうです」
高瀬が少し笑った。
「実は、私の甥があそこの写真部なんです」
「えっ」
今度は桂一も少し驚いた。
「そうだったんですか」
「はい。電話をいただいたあと、本人にも聞いてみたんです」
「何て言ってました?」
「市影譚はかなり有名だって」
「それは……ありがとうございます」
桂一が少し照れたように頭を下げた。
「それと、ただ怖い場所として紹介するサイトじゃないって聞きました」
「ああ」
「地域のお店だったり、周辺のことだったり。そういうものも一緒に紹介することがあるって」
「そうですね。せっかく現地まで来ますから」
「甥には、『たぶん変なことにはならないと思うよ』って言われました」
高瀬が肩をすくめる。
「それで、ちゃんとお話を聞いてみようと思ったんです」
「なるほど」
桂一は素直に頷いた。
「それなら、その期待を裏切らないようにしないといけませんね」
少し笑う。
「俺たちも、面白いものだけ持って帰るつもりはないので」
時計の管理。
掲載する情報。
高校生の扱い。
市側で確認できること。
現場で気をつけること。
細かな話を一つずつ詰めていく。
高瀬の説明を、桂一は途中で遮らない。
必要なところだけ質問する。
分からないことは分からないと言う。
栞もその横で、あとから確認しやすいように項目を分けて記録していった。
しばらくして。
高瀬が時計を確認した。
「では、そろそろ向かいますか」
桂一も腕時計を見る。
「もうそんな時間ですか」
午後二時十分。
話し始めて四十分ほど経っている。
「あ、そうそう」
立ち上がりかけた桂一が、何かを思い出した。
名刺入れを取り出す。
数枚の名刺を抜き、ペンを取った。
裏面の余白へ、ささっと何かを書いていく。
栞は横から少しだけ覗いた。
【ご対応ありがとうございます。何かございましたらご連絡ください。】
そう書いてある。
書き終えた名刺を揃え、高瀬へ差し出した。
「もし差し支えなければ、こちらもお願いします」
「これは?」
「課長さんとか部長さんとか。今回の件が上の方まで共有されるようでしたら、そのとき一緒に渡していただければ」
さらに一枚。
「もし市長さんのところまで話が上がるようなことがあれば、これも」
「市長ですか?」
高瀬が少し驚く。
「無理に渡さなくて大丈夫ですよ」
桂一はすぐに笑った。
「ただ、高瀬さんにも休日にお時間をいただいてますし、記事を公開したあとに何かあったとき、『担当の高瀬さんしか連絡先を知らない』だと困るでしょう」
「ああ」
「誰か一人でも、俺に直接連絡できる人が上にいた方が楽かなと思って」
高瀬は名刺を見て、頷いた。
「分かりました。課長には渡しておきます」
「ありがとうございます。それで十分です」
それ以上は追わなかった。
市長へ渡してほしい。
部長まで必ず回してほしい。
そんな言い方はしない。
必要なら使ってください。
ただ、それだけだった。
栞は少し感心していた。
こういうところが抜け目ない。
いや。
抜け目ない、というだけでもないのだろう。
記事を出したあとに何が起こるのか。
誰が対応することになるのか。
何かあったとき、誰と誰が直接話せれば早いのか。
そこまで考えている。
三年間一緒に働いていても、ときどきこういうところで。
桂一が、自分よりずっと多くの人間と仕事をしてきたことを思い知らされる。
「じゃあ行こうか」
当の本人は、もう鞄を肩に掛けていた。
「はい」
「写真部の子たち、早めに来てるかもしれないし」
少し前まで行政との連絡経路を作っていた男が、今度は楽しそうに笑う。
「半年分、直接聞かせてもらおう」
午後二時十分。
三人は市役所を出た。
写真部の生徒たちとは、午後三時に駅前で合流する予定だ。
顧問の教師も同行する。
現地へ着いたら。
今度こそ、車に積んできた調査道具の出番になる。
真昼の駅前で。
半年間、高校生たちが追い続けてきた時計。
その正体を確かめる時間が、ようやく始まろうとしていた。




