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市影譚 ―怪異を解する―  作者: 宮城 歩


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2-2 市役所

 土曜日。


 桂一の車は、K市役所の駐車場に停まっていた。


 休日だからだろう。


 平日なら車で埋まっていそうな駐車場にも、かなり空きがある。


 それでも、車を降りる前から外が暑いことは分かった。


 フロントガラスの向こうで、アスファルトが白っぽく照り返している。


「……暑そう」


「暑いだろうね」


「何度ですか?」


「さっき三十五度って出てた」


「帰りません?」


「まだ何もしてないだろ」


 桂一は笑いながらエンジンを切った。


 エアコンの音が止まる。


 途端に、車内の空気まで重くなった気がした。


 栞はシートベルトを外し、後部座席へ身体を伸ばす。


 そこには、現地調査用の道具をまとめたボックスが置いてある。


 今はまだ触らない。


 その隣にある薄いケースを開いた。


 中には、栞の名前が入った吊り下げ式のネームプレートが何枚も並んでいる。


【WEBメディア 市影譚|調査補助】


【WEBメディア 市影譚|調査記録スタッフ】


【WEBメディア 市影譚|取材スタッフ】


 名前はすべて相沢栞。


 違うのは肩書だけだ。


「今日は……これかな」


 栞が選んだのは、一番普通のものだった。


【WEBメディア 市影譚|取材スタッフ

 相沢 栞】


 行政の担当者と会う。


 そのあとには、高校の写真部とも会う予定だ。


 これが一番分かりやすい。


 首から下げる。


 隣では、桂一がグローブボックスを開けていた。


 自分のネームプレートと、黒い名刺入れを取り出す。


【WEBメディア 市影譚

 水野桂一】


「水野さんは肩書ないんですね」


「何にするか面倒なんだよ」


「代表とかでいいんじゃないですか?」


「なんか偉そうだろ」


「代表なんだから偉いんじゃないですか?」


「二人しかいないのに?」


「二人でも代表は代表です」


「まあ、名前が分かればいいよ」


 桂一は慣れた手つきでストラップを頭から通した。


 鞄を持つ。


 それだけだった。


「調査道具は?」


「まだいい」


「持っていかないんですか?」


「今からは高瀬さんと話すだけだろ」


 桂一がドアへ手を掛ける。


「初対面の人に会うのに、測定器とか三脚とか、ごちゃごちゃ持っていくとかっこ悪いし」


「そこ気にするんですね」


「気にするよ」


 真顔だった。


「まず人に会うんだから」


 ドアが開いた。


「うわ……」


 熱気が一気に入り込んでくる。


 栞も車を降りた。


 暑い。


 気温が高いというより、空気そのものが熱を持っているようだった。


「これ、三時から外で調査するんですよね?」


「そうだね」


「大丈夫ですか?」


「四時半には切り上げる。途中で休憩も入れよう」


「珍しくちゃんとしてる」


「いつもちゃんとしてるだろ」


「そうでしたっけ?」


「相沢」


 名前だけ呼ばれた。


 栞は笑いながら、市役所へ向かった。


 建物まで、それほど距離はない。


 それでも自動ドアの前へ着く頃には、額にうっすら汗が浮いていた。


 中へ入る。


 冷房の効いた空気が気持ちいい。


「生き返る……」


「まだ死んでない」


 土曜日の市役所は静かだった。


 開いている窓口も限られていて、人の姿も少ない。


 高瀬は休日当番で出勤していると聞いている。


 受付へ向かい、桂一が軽く頭を下げた。


「こんにちは。観光課の高瀬さんと、一時半にお約束しております。市影譚というWEBメディアの水野です」


 受付の職員が顔を上げる。


「市影譚……ですか?」


「はい。地域の噂や少し変わった現象について、現地で話を聞いたり、原因を調べたりして記事にしているWEBメディアです。今日は駅前の時計の件で、高瀬さんにご相談してまして」


「ああ、駅前の時計」


 市影譚より、そちらの方が話は早かったらしい。


「少々お待ちください」


「ありがとうございます」


 職員が内線を取る。


 桂一は、それ以上余計な説明をしなかった。


 必要なことだけ伝えて。


 あとは、相手が確認するのを待つ。


 電話のときもそうだった。


 よく喋るわけではない。


 ただ、相手が今何を知りたいのかを見るのが上手い。


 栞が胸元のネームプレートを何となく直していると、一人の女性職員がこちらへ歩いてきた。


 二十代後半くらい。


 名札には、高瀬美咲とある。


「お待たせしました。観光課の高瀬です」


 桂一がすぐに立ち上がった。


「水野です。本日は休日なのに、お時間いただいてありがとうございます」


「いえ。ちょうど私が当番でしたので」


「それでも助かります」


 笑って、名刺入れを開く。


「改めまして、市影譚の水野桂一です」


 両手で名刺を差し出した。


 高瀬も名刺を取り出す。


「高瀬美咲です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 桂一は受け取った名刺へ一度目を通してから、丁寧に名刺入れの上へ置いた。


 栞も続いて挨拶する。


「相沢栞です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 高瀬が二人を交互に見た。


 それから、少し迷ったように桂一を見る。


「……あの、失礼ですが」


「はい?」


「水野さんですよね?」


「そうです」


 桂一が笑う。


「もっと年上だと思ってました?」


「……はい」


 高瀬も少し困ったように笑った。


「電話がすごく落ち着いていたので」


「ああ。電話だとたまに言われます」


 まったく気にした様子はない。


 むしろ、高瀬が気まずくならないよう、自分から話を続けているように見えた。


 今度は高瀬の視線が栞へ移る。


「相沢さんも、お若いんですね」


「二十七です」


「えっ」


「ですよね」


 栞はもう慣れていた。


「すみません。もっと……」


「学生くらいですか?」


「……はい」


「高校生に間違えられたこともありますから、大丈夫です」


「それはさすがに」


 桂一が横から言う。


「ありますよ」


「本当に?」


「あります」


「じゃあ俺よりそっちの方が問題だな」


「何がですか」


 三人とも笑った。


 ほんの少し前まで、高瀬の表情には硬さがあった。


 電話で何度か話しているとはいえ、相手は不思議な現象を扱うWEBメディアだ。


 どんな人間が来るのか。


 多少は警戒していたのだろう。


 けれど、その硬さはもうかなり薄れていた。


 小さな打ち合わせスペースへ案内される。


 桂一は鞄を脇へ置き、ノートと筆記具だけを出した。


 栞もその隣へ座る。


「改めまして、今日はありがとうございます」


 桂一が言った。


「こちらこそ。わざわざ遠いところから」


「いえ。こっちが勝手に気になって来ただけなので」


「でも、先にご連絡いただいて助かりました」


「そうですか?」


「正直なところ……」


 高瀬が少し言葉を選ぶ。


「最初に『心霊写真の件で』と聞いたときは、どうしようかと思いました」


「ですよね」


 桂一はすぐに笑った。


「俺でも市役所側なら警戒します」


「そう言っていただけると助かります」


「駅前ですからね。変な紹介のされ方をして、人が集まっても困るでしょう」


「そこなんです」


 高瀬の表情が変わった。


 自分たちが心配していることを、相手も分かっている。


 そんな顔だった。


「なので今日は、時計そのものの話も聞きたいんですが」


 桂一は続ける。


「市として困ることも先に教えてください」


「困ること?」


「撮影を避けてほしい場所とか、記事に出されると困る情報とか。通行の邪魔になりやすい場所とかですね」


「ああ」


「記事を書いてから『それは困ります』になると、お互い面倒なので」


「確かに」


「先に分かるものは、先に聞いておきたいです」


 高瀬が頷いた。


「水野さん、思っていたよりちゃんとしてるんですね」


 言ってから。


「あ」


 高瀬が口元を押さえた。


 栞は思わず桂一を見る。


 桂一は笑っていた。


「大丈夫です。たぶん褒められてます」


「すみません、本当に」


「よく言われます」


「それも言われるんですか?」


「今のは初めてです」


 高瀬が吹き出した。


 栞も笑う。


 この人は、こういうところが上手い。


 失言された、と取らない。


 笑える話に変えて、相手がもう気にしなくていいところまで持っていく。


 高瀬も完全に肩の力が抜けたようだった。

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