2-1 事前準備
翌日。
午前十時を少し過ぎた頃だった。
「じゃあ、電話するか」
桂一がスマートフォンを手に取った。
「昨日も電話してましたよね?」
「あれは確認だけ。今日はちゃんと取材の相談」
栞は自分の机から桂一を見る。
昨日のうちに、市影譚へ届いたK市関係の相談は一通り整理してある。
同じ現象と思われるもの。
別件の可能性があるもの。
撮影日時が分かるもの。
機種まで分かるもの。
そして、県立K西高校写真部から届いた半年分の記録。
桂一はそれらを簡単な資料にまとめていた。
「電話で全部話すんですか?」
「いや。概要だけ」
「昨日と同じじゃないですか」
「今日は、向こうに断られても困らない話し方をする」
「……どういう意味です?」
桂一は番号を押しながら答えた。
「向こうからしたら、よく分からないネットメディアが『心霊写真の取材をしたい』って言ってくるんだぞ」
「ああ」
「普通に嫌だろ」
それはそうだ。
栞でも、市役所側なら少し身構えると思う。
桂一は通話ボタンを押した。
数回の呼び出し音。
「お忙しいところ失礼いたします。昨日一度お電話しました、市影譚の水野と申します」
声が変わった。
いや、声そのものは変わっていない。
ただ、話し方がきれいに仕事用になった。
普段の桂一を知っているだけに、栞は毎回少し不思議な気持ちになる。
「はい。昨日、駅東口の時計について少し確認させていただいた者です」
少し間がある。
「ありがとうございます。今日は、その件で改めて取材のご相談をしたくてお電話しました」
桂一はメモを取りながら話していく。
「はい。いえ、いわゆる心霊スポットとして紹介したいわけではありません」
早い。
相手がそこを確認してきたらしい。
「むしろ逆です。現時点では撮影機器や表示設備の特性で説明できる可能性も十分あると考えています」
栞は少し笑いそうになった。
昨日、
面白いね。
と、あれだけ楽しそうにしていた人と同じとは思えない。
「ただ、複数の方から似た相談が届いていまして。地元の高校の写真部でも半年ほど記録を取っているそうです」
桂一が一度、栞の方を見る。
栞は写真部の資料を開き、すぐ確認できるようにした。
「はい。学校名などは、もちろん許可なく掲載しません」
少し間。
「場所についても同じです。市の方で掲載を避けてほしい情報があれば、事前に確認します」
さらに少し間があった。
桂一の表情が柔らかくなる。
「そうですね。私たちの記事を見て、面白半分で人が集まるのが一番困るので」
どうやら、相手もそこを気にしていたらしい。
「駅前ですから、完全に場所を伏せるのは難しいと思っています。ただ、必要以上に煽るような書き方はしません」
言葉を選びながら、それでも曖昧にしすぎない。
できること。
できないこと。
どちらもきちんと伝えている。
「もしよろしければ、一度そちらへ伺って、担当の方からもお話を聞かせていただければと思っています」
数秒。
「はい」
さらに数秒。
「あ、そうなんですね」
桂一が笑った。
「私も最初、写真だけ見たときは故障かなと思いました」
電話の向こうの空気が、少し変わったように感じた。
栞には声までは聞こえない。
それでも分かる。
桂一の話し方が、さっきより少しだけ砕けた。
「市役所でも話題にはなってるんですか?」
相槌。
「なるほど。職員の方でも撮ったことがある人が」
桂一が栞を見る。
目だけで、何か面白い情報が出たと伝えてきた。
栞はメモ帳を引き寄せた。
「もし差し支えなければ、その写真も現地で見せていただけますか?」
また相槌。
「もちろん、外には出しません。調査資料として見せていただくだけでも十分です」
栞は思った。
こういうところなのだろう。
桂一は、相手から何かを聞き出そうとするときに、無理に押さない。
出せるなら出してほしい。
出せないなら、それでいい。
その逃げ道を最初から残している。
だから相手も話しやすい。
「ありがとうございます。では、日程なんですが――」
そこからは早かった。
候補日。
時間。
訪問人数。
撮影範囲。
駅前で三脚などを使用して問題がない場所。
必要なら施設管理側にも確認を取ること。
一つずつ話が決まっていく。
「こちらは私と、スタッフ一名で伺います」
桂一がまた栞を見た。
栞は軽く頷く。
「はい。相沢といいます」
少し間。
「女性です」
なぜそこを確認されたのだろう。
栞が首を傾げる。
桂一が笑いを堪えるような顔をした。
「いえ、大丈夫です。二人とも普通の格好で伺いますので」
普通の格好。
そこも確認されたらしい。
電話が終わったら聞こう。
「それでは、後ほど概要と、掲載許可をいただいている範囲の写真をメールで送ります」
最後に、桂一は少し声を柔らかくした。
「急なお願いなのに、ありがとうございます」
相手の返事を待つ。
「はい。では、当日よろしくお願いいたします」
通話が終わった。
桂一がスマートフォンを机へ置く。
「決まり」
「早いですね」
「話が通じる人でよかった」
「誰でした?」
「観光担当の高瀬さん。たぶん同年代くらいかな」
「昨日の人とは違う?」
「昨日は代表番号から別の人。今日は高瀬さんに繋いでもらった」
桂一はすぐにメールを作り始めた。
「さっき、何で女性か聞かれたんです?」
「ああ」
桂一が笑う。
「市影譚って名前と、心霊写真の取材って言ったからだと思う」
「はい」
「なんか、黒い服着た男が何人かで来るイメージだったらしい」
「何ですか、それ」
「俺も分からない」
「普通の格好で行きますって答えてましたね」
「安心するかなと思って」
「実際、安心しますか?」
「少なくとも、黄色いつなぎでは行かない」
「それは絶対やめてください」
桂一が笑った。
それからメールへ視線を戻す。
件名。
挨拶。
取材目的。
確認したい内容。
訪問予定者。
写真の扱い。
公開前に確認してほしい事項。
必要なことだけを、短くまとめていく。
「慣れてますね」
栞が言うと、桂一はキーボードを打ちながら答えた。
「こういうのは、相手に『何されるか分からない』と思わせた時点で負けだからね」
「負け?」
「協力してもらう側なんだから、まず不安を減らす」
「なるほど」
「その上で、こっちのやりたいことを伝える」
桂一は一度、画面を見直した。
「あと、相手にも得があれば一番いい」
「K市にも?」
「もちろん」
「今回あります?」
「作るんだよ」
栞は首を傾げた。
「どうやって?」
「まだ分からない」
「分からないんですか」
「だから現地に行く」
桂一はメールを送信した。
「観光担当なら、K市を悪く書かれたくないのは当然だろ」
「はい」
「だったら、時計の話だけじゃなくて、街のいいところもちゃんと見ればいい」
「取材するんですか?」
「時間があればね」
「また仕事増やしてる」
「せっかく行くんだから」
いつものことだった。
一つの仕事で終わらせない。
行くなら、見る。
見るなら、覚える。
使えるものがあれば、別の何かにつなげる。
最初は呆れていた。
今では、栞も少し分かる。
「写真部には連絡します?」
「する」
「今日?」
「今日」
返事が早い。
「市側が嫌がってないのが分かったからね。学校側にも一度話を通して、顧問の先生と相談する」
「生徒に直接じゃないんですね」
「未成年だからね」
桂一は当たり前のように答えた。
「協力してもらうなら、学校にも保護者にも変な迷惑がかからないようにしないと」
そして少し笑う。
「せっかく半年も頑張ったんだから、最後まで楽しい思い出にしてやりたいだろ」
まただ。
昨日と同じ顔。
時計の謎を解くことと同じくらい。
いや。
もしかすると、それ以上に。
桂一は、写真部の生徒たちがこの出来事をどう思い出すのかを気にしている。
「水野さん」
「ん?」
「やっぱり楽しそうですね」
「楽しいよ」
即答だった。
「だって高校生の頃に、自分たちで半年調べたものを、大人が本気で調べに来てくれるんだぞ」
桂一は椅子の背にもたれた。
「俺が高校生なら、絶対嬉しい」
栞は少し笑った。
たぶん。
そういう感覚を忘れていないから、この人は人と話すのが上手いのだ。
大人。
行政。
高校生。
相談者。
相手によって言葉は変える。
でも。
相手を下に置くことは、あまりしない。
「じゃあ、準備しますか」
「うん」
「何から?」
「まず暑さ対策」
「時計じゃなくて?」
「K市の夏を舐めたら駄目だろ」
「そこは真面目なんですね」
「そこはって何だよ」
桂一が笑う。
数日後。
二人でK市へ向かうことになった。




