第二章 「映らない時計」
夏になると、市影譚へ届く相談は少し増える。
理由は分からない。
肝試しへ行く人が増えるからかもしれないし、長い休みに入って、普段なら気にしないものを気にする時間ができるからかもしれない。
単純に、暑くて眠れない夜が増えるからという可能性もある。
栞はエアコンの効いた事務所で、朝から届いていた問い合わせを順番に確認していた。
古いトンネルで声を聞いた。
夜中に家の二階を誰かが歩く。
山道で、同じカーブを何度も通った気がする。
写真に知らない人が写っていた。
そういった相談を読みながら、必要な情報を抜き出していく。
いつから。
どこで。
何回。
怪我人はいるか。
土地や建物の管理者には相談したか。
写真や動画はあるか。
三年前、桂一から最初に渡された業務一覧に書いてあった仕事だ。
今では、ほとんど考えなくても手が動く。
「これは……」
一通のメールで、栞の手が止まった。
件名は、
【真昼の心霊写真について】
だった。
心霊写真。
その言葉自体は珍しくない。
市影譚にも、それなりの数が届く。
ただ。
「真昼?」
小さく呟いた。
心霊写真と聞いて思い浮かぶのは、夜の墓地や廃墟、山道、古い建物。
少なくとも、明るい駅前ではない。
メールを開く。
差出人は埼玉県K市に住む二十代の女性だった。
友人と駅前で待ち合わせをした際、何気なく撮った写真がおかしいという。
添付された画像を開いた。
明るい。
驚くほど普通の写真だった。
青い空。
駅前広場。
行き交う人。
強い日差しを反射する舗装。
その中央付近に、大きな表示塔が立っている。
時刻。
日付。
気温。
いくつかの情報を表示するもので、地元では単に「駅前の時計」と呼ばれているらしい。
栞は写真を拡大した。
「……あれ?」
時計の表示がおかしい。
正確には、数字の一部が消えている。
時刻らしき表示の途中が抜けていた。
日付も、一部だけ読めない。
ところが、メールには、
【撮影したときは普通に表示されていました】
と書かれている。
撮影後に写真を確認すると、数字が欠けていた。
気になってもう一度撮った。
今度は、さっきとは違う部分が消えた。
動画も撮った。
動画では数字が途中で欠けたり、また戻ったりするように見えたという。
「故障?」
「何が?」
少し離れた机から声がした。
桂一がパソコンから顔を上げる。
「K市から来た相談です。駅前の時計が、写真だと変に映るって」
「時計?」
「これです」
栞はメールを転送した。
数秒後。
「ふうん」
「反応薄いですね」
「まだ一件だからね」
「動画もありますよ」
「見てる」
桂一は画面を見たまま答えた。
栞ももう一度写真を見る。
単純な故障なら、肉眼でも何かおかしく見えるはずだ。
けれど、相談者はそうではないと言っている。
もっとも、人の記憶は曖昧だ。
撮影するとき、本当に時計の数字まで見ていたのかは分からない。
「表示機とカメラの相性とかですかね」
「あるかもね」
「じゃあ、普通?」
「まだ分からない」
桂一の返事を聞きながら、栞は何となく受信箱の検索欄へ手を伸ばした。
K市。
駅。
時計。
いくつか言葉を変えながら検索する。
「やっぱり」
今度は桂一も顔を上げた。
「どうした?」
「思い出しました。これ、前から何度か連絡をもらってますね」
どこかで見たことのある時計だと思った。
そういうことか。
数日前。
その前。
さらに二週間ほど前。
件名も違う。
書き方も違う。
差出人も違う。
けれど、内容はよく似ていた。
【駅前の時計が写真に映らない】
【スマホで撮影すると数字が消える】
【K駅前で変な動画が撮れた】
「結構来てます」
「同じ人?」
「アドレスは違います」
「文章は?」
「似てないですね」
「写真見せて」
栞は順番に開いていった。
撮影した機種も違う。
角度も違う。
時間帯も違う。
それでも、どの写真でも時計の表示がどこか欠けている。
完全に消えてしまうわけではない。
数字の上半分だけ。
一桁だけ。
時刻は見えるのに、気温だけが欠けているもの。
写真によって、消えている場所も違っていた。
「昼間ばっかりですね」
「ほんとだ」
桂一がスマートフォンへ手を伸ばした。
何をするのかと思えば、もうK市役所を検索している。
「電話するんですか?」
「うん」
「もう?」
「さわりだけな。聞いた方が早いだろ」
そのまま表示された番号へ電話をかける。
相変わらず、こういうときは動くのが早い。
栞はその横で、さらに古い問い合わせを探していった。
その途中。
一通だけ、少し毛色の違うメールが見つかった。
「あ」
送信者名を見る。
県立K西高校写真部。
栞はメールを開いた。
文章は丁寧だった。
駅前の時計について、以前から部内で話題になっていたこと。
撮影すると表示が欠けることがあること。
最初はカメラの故障だと思ったこと。
ところが複数の部員のカメラやスマートフォンでも、似た現象が起きたこと。
そして。
その現象を、半年ほど記録していること。
「半年?」
メールには、簡単な一覧表まで添付されていた。
撮影日。
時刻。
天候。
使用した機材。
写真か動画か。
表示が欠けたか。
欠けなかったか。
かなり細かい。
電話を終えた桂一が、栞の横へ来た。
「また改めて連絡してみるけど、まだメディアの取材は来てないみたいだね」
「ちょっとこれ見てください」
「へえ、これはすごいね」
桂一はすぐに目を輝かせた。
「半年くらい記録してるみたいです」
「半年?」
「はい」
「学生さんだよね」
桂一が一覧を上から追っていく。
「半年も追ってくれたなら、こっちも適当な答えは返せないな」
夏だけではない。
春の記録もある。
晴れ。
曇り。
午前。
午後。
使っている機材も一台ではない。
ただ面白がって何枚か写真を撮った、という量ではなかった。
栞も表を追っていくうちに、一つ気になることに気づいた。
「暑い日の方が多くないですか?」
「うん」
桂一も同じところを見ていたらしい。
画面を少し戻す。
「やっぱり、季節か。気温が関係してそうだけど、まだ断言はできないね」
早くも何か仮説を思いついたようだ。
けれど、それを答えにはしない。
桂一は写真と一覧表を何度か行き来した。
「面白いね」
来る。
栞には分かった。
この人がそう言ったときは、だいたい次が決まっている。
「行ってみようか」
「やっぱり」
「何が?」
「言うと思いました」
「せっかく半年分のデータもあるんだから、俺たちも見て協力した方がいいだろ」
「埼玉ですよ?」
「うん」
「遠いですよ」
「知ってる」
桂一はもう、自分のパソコンへ戻っていた。
「まず、市に改めて電話する」
「市に?」
「うん。面白い記事になりそうだし、そうなれば人が集まるかもしれないからね」
「そっか。駅前だし、人が集まったら大変ですよね」
「それもある」
桂一が、心底楽しそうに笑った。
こういう子どもみたいな表情をすることは、意外と珍しい。
「俺の好きな展開になりそうだ」
「好きな展開?」
「大人の力を、学生たちに見せてやろうよ」
「なんか楽しそうですね」
「楽しいさ」
桂一はもう一度、写真部から届いた一覧を見た。
「真面目に半年も追いかけた写真部が、一躍学校で時の人になる」
口元がまた緩む。
「そんな学生生活、なかなかないだろ」
どうやら。
時計そのものより、そちらまで含めて楽しみ始めているらしい。
栞は少し呆れながらも、もう一度写真部のメールを開いた。
半年。
自分たちだけで考え。
撮り。
記録し。
それでも分からなかったもの。
その続きを、今度は市影譚が引き受ける。
真昼の駅前で。
肉眼では普通に見える時計が。
なぜか、カメラにはうまく映らない。
この時点では。
それだけの話だった。




