第四幕『突然、嵐のごとく』第五場
地下へと続く暗い階段を降り始めると数段後ろをルーがついてくる。ルーの背後で扉が閉まり、乏しい灯りのみが足元を照らす中を降りていく。やがてまた扉が現れる。地階にあるのは非合法の店だ。扉を開くと紫煙が燻る。饐えたにおいを打ち消すように炊かれた香炉の、人を惑わせるような誘惑的な香りが充満している。
ガラス玉を繋ぎ合わせたカーテンを避けて、赤ビロードの貼られたソファにルーを掛けさせ、カウンターの呼び鈴を鳴らす。
奥の部屋から現れたのはヒンドゥー教徒じみたヴェールで口元を覆ったマダムだ。歩くたびに金属製の腕輪が擦れる音がしゃらしゃらと鳴る。
一間しかない狭い受付でカウンターに肘を載せ、マダムと軽い挨拶を交わし、
「電話で話したろ、彼女が僕の婚約者」
とルーを顎で示す。
「まあまあ、ずいぶん可愛らしいお嬢さんだこと。マルセルには勿体ないわねえ」
ルーは肯定も否定もせずソファの上で畏まっている。いつもの彼女みたいな、はねっかえりの調子も影を潜めている。緊張しているのだろうか、可愛い娘だ。
「今日はマダムの、特製のアレを分けてもらいたいと思ってね。1本いくら?」
「あらあ。アンタには必要ないでしょう? いつでも元気溌剌なくせに」
「俺が使うんじゃないよ。ソノ気のない相手をソノ気にさせたいのさ。たとえばつれない彼女とか」
「あんまり悪用するんじゃないわよ。市場には出回ってないモノだから、…」
弁えたようにルーに流し目を送り、マダムはカウンター脇の深紅のカーテンを開けて、隣室へ案内する。
俺はルーを促しぽつりとランプがひとつ灯っただけの隣室に向かった。ランプの傍に置かれた香炉から溢れる紫煙が甘いにおいを放っている。受付にいた時よりもにおいが濃い。マトモな頭のやつでもよろめかせてしまうようなにおいだ。いわんや、誘惑に慣れない未経験の少女であるルーにとっては、脳髄を痺れさせるような刺激となることだろう。
怯えたようなルーの指先がぎゅっと俺の裾を摘まむ。無意識かもしれないが、傍にいる男の保護欲をそそる、天性のあざとさを感じさせる。
「怖くないよ、大丈夫。マダムはソノ道のエキスパートなんだ。君の望みのものが、ここでなら手に入る…」
耳元で囁くと、涙の膜が張ったような碧の瞳が縋るように見上げてくる。あどけない唇が所在なさげに開かれ、また閉じられる。
まだ未開拓の、新鮮な果実のような肢体が、怯えて縮こまっている。
俺はごくりと唾を飲みこむ。処女に手を出すつもりはなかったが、…これは、据え膳というものではないだろうか。
そもそも、ルーはあの男に抱かれたがっていたのに、願いが叶えられないことが不満で、ここまでついてきたのだった。あの男が望むものを与えないなら、…俺が代わりに与えてやるのが、婚約者のつとめってものじゃないか?
ホルマリン漬けの幼虫やら何かの貝殻の入った瓶を取り除け、マダムが手のひらサイズの小瓶を持って戻る。大人の小指ほどの大きさの紫の瓶には液体が揺れている。向かい合うように配置された紫ビロードのソファに掛けて、俺はそれを受け取った。ルーは俺の隣で息を詰め、テーブルの上に出された小瓶を見つめている。
「エジプトの秘薬よ。クレオパトラも試したと言われてる秘密の調合法でね、…一口のめばあら不思議、天にも昇るような気分になって、理性もなくしてぶっ飛んじゃうわよ」
「まず効き目を試したいな。空いてる部屋はある?」
「どこも空室よ。まだ開店前だからねえ。特別よ、あんたのために開けたんだから」
「ありがとう、マダム。…行こう、お姫様」
勝手知ったる店内をルーを促し先導する。一度受付に出てから、また別のカーテンの向こうの扉を開くと暗い廊下が伸びている。船室のような丸窓のある扉が並んでいて、掠れた部屋番号が書かれているのはホテルのようだ。
鍵のかからないその扉を通り過ぎ、突き当りの部屋の扉を開ける。部屋の中は狭く中央にどでかいベッド、その隣に椅子が一脚あるきりだ。椅子の上にはガラスの水差しが載っている。シーツは張り替えられていないのか、草臥れて皺が寄っている。
ベッドカバーを捲っていちおうの確認をして、そこに掛ける。安普請のベッドは猫のような声をあげて軋む。数えきれないくらいの男たちによって痛めつけられてきたゆえの、断末魔の悲鳴のようだ。
「こっちにおいで。効き目を試すんだろう? 僕の前で飲んでくれるって言ったよね」
ベッドの上から手招きする。ルーは扉の前で棒立ちになったまま唇を噛んでいる。一瞬だけ逡巡がその瞳を横切り、決意を固めたように彼女はこちらに歩いてきた。
この店の異様な空気に飲まれて、彼女は今正常な判断力も思考力も失っているのだ。俺にとっては好都合だ。くるりと瓶の蓋を回し開け、淡い桃色をした中身の液体を揺らしてみる。これに本当に媚薬の効果があるのかどうかは知らない。この店に入った時から、客を一種の催眠状態に陥らせ、酩酊させて豪遊させ、ガッポリ儲けるのがマダムの手管だ。
…こいつには、覚醒剤みたいなものが入っているのかもしれない。俺は試したことがないから、わからないけど。
「僕がついてるから、大丈夫だよ。ほら、お飲み、同じものを彼にも飲ませるんだ、君も飲まなけりゃ、フェアじゃないだろ? …」
差し出した小瓶を素直にルーは受け取り、真剣な顔で一瞥してから、一息にそれを煽った。
ドン、と空き瓶をシーツに叩きつけるように置き、はあっと息を吐く。
思い切りがいい。初めて部屋に連れ込んだ日、スピリタスを所望された時から知っていたけど、清楚なみために反して、結構豪快なところのある娘だ。
じっと見つめる目線の先でルーは胸を抑えてはあはあと息を荒げていたが、やがてその手からぽろりと、小瓶が落ちる。
ガラスの小瓶はぱりんと床に落ちて砕け、破片が四方に飛び散る。
「危ない。動かないで、…」
ルーを抱きこむようにしながら破片を脚で避けていると、手に掛かる重みが増していくのに気づく。
ルーは息を荒げたまま、横になりたそうにしている。望むとおりに転がしてやると、ルーは顔を覆って、シーツの上にぐったりと倒れた。
「君には刺激が強かったかな。…大丈夫?」
笑い交じりに言ってやる。シーツの上に転がった無垢な肢体は今ほの赤く染まって、滲み出た汗が熟れた果実のような芳香を放っている。顔を覆った手指をどかすと、潤んだ瞳が俺を迎える。息は荒く、発熱しているかのように茫洋とした表情は、…まさに据え膳としか言いようがない。
処女に執着されるのは御免被りたいのだが、…こんなにも迂闊で、愚かで、無防備な彼女を、うかうかと帰すのはあまりにも、…男として、情けなくはならないか?
などと、考える前に手が動いていた。俺は背中に手を回し、彼女のワンピースのファスナーを下ろす。すっきりとした鎖骨の下、純白のブラジャーが、小ぶりな胸を覆っていて、華奢な彼女の身体の裡の、柔らかな部分が俺を誘惑する。背に手を回してブラジャーを外してやると小ぶりな胸がこぼれおち、淡いピンク色の乳首が真っ白な大理石の彫像のような肌に人間味を加える。ルーはぼんやりしたままで、抵抗しない。俺に許すつもりなのだ、きっとこの子も、そのつもりで来たのだ。いい加減へたれなアイツに痺れを切らして、手っ取り早く快楽を知りたいと思ってついてきたのだ。あの時から彼女はセックスがしたがっていた。好奇心旺盛な彼女のことだ、自分が知らない快楽があることが、我慢できなかったんだろう。
触れる肌は熱を帯び、柔らかく、掌に吸い付くようで、張りがあって、手の跡が沁みついてしまうくらいに、色が白くて、…
骨ばった彼女の身体のうちの柔らかな部分、胸と、臀部をそれぞれ撫でまわしながら丸みを帯びた形のいい尻から下着を剥ぎ取る。胸の間に顔を埋めキスを落とすとびくびくと身体が跳ねる。感じているのだ。初めてでも、きちんと感じられるのだ。媚薬のせいかもしれないが、ルーの秘められていた才能を感じて、俺は嬉しくなる。
疼くような感覚に駆り立てられるまま、ルーの膝を開くように足を差し込み、濡れた股の間に指を差しこもうとして、…
「マルセルぅ、来てたのォ? もお、言ってよォ、アタシずーっと待ってたんだからア」
バタンと開かれた扉と共に掛けられた無遠慮な声に、俺はぴたりと動きを止めた。




