第四幕『突然、嵐のごとく』第三場
午前中いっぱい、新譜の書き起こしに費やしたせいで結局ボクらの仲は進展せず、いつの間にかシャワーを浴びて買出しにも行っていたセデュの用意してくれた昼食を食べて、彼を送り出す時間になってしまった。
何してんだって感じだけど、きっちり仕事したボクは満足しきっていて、アレンジされたボクの新譜を見たセデュも感極まっていたから、まあこれでヨシってことにしておこう。結局ボクらはこんなふうに、音楽を介したつながりがあってこその仲だから。これこそが、他の誰も代わりにならない、セデュとボクとの絆だから。
千秋楽を明日に控え、オペラ座でのセデュの修行も佳境に入った。
「しっかりね」
とボクが言うと、セデュはきっと唇を引き結んで頷く。いつものぱりっと糊のきいた白いシャツに黒いスラックスを履いたセデュはボクの手を一度だけ握って、リハに出かけて行った。
残されたボクは五線譜を引っ張り出し、デパートの宣伝ソングに着手する。先ほどの新譜で思いついたアイデアもちょっと混ぜて、わかりやすくて明るい曲にする。年齢層が幅広くて高級志向というよりファミリー向けって話だったから、耳なじみがいいキャッチーな音の並びにして、…
机に向かって何時間くらい経った頃だろうか、呼び鈴が甲高い音を響かせて、ボクは我に返る。
まず疑ったのは、姉さんかな? ってことだ。朝家を出てからもう数時間経ってるけど。追ってきたにしては遅いから、昼飯食べてから出直したみたいな感じだけど。
ほかにこの家に来るのは、セデュのお友達か、ご家族とか? ボクはじつはセデュのご両親には会ったことがない。妹さんにも。コンクールにはセデュはたいてい執事みたいな人と一緒に来ていて、ボクがプロデビューしてからはセデュはいつもひとりでコンサートに通っていたから。
お父さんは仕事が忙しそうでお母さんはそんなお父さんにつきっきり、ってことらしくて、うちとは違って放任主義なんだなアって羨ましく思っていたんだけど。
もしご両親だったらキチンと挨拶しなくちゃな。ボクはセデュの花嫁さんになる予定だし。セデュもボクを娶るつもりでいるし。ボクの家族は大反対って感じだから、せめて、セデュのご両親には祝福されたい。べつに誰に祝福されなくても一緒になるつもりだけど、セデュのご家族と喧嘩したいわけじゃないし。どうせなら友好的な関係でいたい。
気合を入れるためにセデュを送り出してから、パジャマからお気に入りのワンピースに着替えていたボクは改めて身形を見直し、皺のひとつもない(たぶんセデュがアイロンをあててくれたようだ)ことに満足して扉に向かった。
鍵を回して扉を開く。なるべく感じのいい笑顔を作って、お客様を迎える。胸張ってボクこそがセデュの恋人ですよって顔を作って、でも謙虚さは忘れずに、あんまり馴れ馴れしくしすぎないように――
「ヤア、久しぶり。お姫様」
バタンと扉を閉める。何事もなかったかのように鍵をかけ、寝室に戻ろうと思ったのだけど――案外怪力らしい彼に扉をこじ開けられてしまった。
「なにしにきたの。君そろそろハリウッドに発つ頃合いじゃなかった?」
「ご挨拶だねえ。君のご家族に朝早く呼び出されて迎えに行ったのに君はおらず、ご両親からは平謝りに謝られたよ。君はもうちょっとご両親を気遣ってあげるべきなんじゃないかな?」
「余計なお世話だよ」
「無駄足になるのも癪だからご家族と昼食を共にして、その帰りにこちらに伺ったって訳さ。荷物はまとめてある? ハリウッドには明日発つ予定だから、一緒に僕のアパルトマンに行こうか」
「行・か・な・い。いい加減しつこいぞ。もうあきらめろよ」
「生憎、抵抗されると逆に燃えるタチでねえ。それにほら、君って僕の子供? 身ごもってるんだろ? お父さんから聞いたよ」
ドアを抑えてそれ以上の侵入を拒むボクをにやにや笑いで見つめて、マルセルが宣う。
…こいつ。ボクとは一度も寝てないくせに、父さんの言葉を肯定しやがったのか!? なんつー図々しさだ! そもそも嘘吐いたボクの自業自得ではあるけど!!
「君の子じゃない! セデュとの子供だもん! だいたい君、ボクのこと抱かなかっただろ!?」
「えーだってそれにしては、計算があわなくない? そもそも君たち肉体関係あるの?」
「……。計算?」
「ほらやっぱり。浅はかだねえ。そういう愚かなところも可愛いよ♡」
「ドサクサ紛れにバカって言いやがったな! このやろう!」
「あのへたれ男はまだ君に手を出せてないんだ。そうだろう? そうだろうとも。それで苦し紛れにあんな嘘吐いたんだろ」
「セデュはへたれじゃないもん! 少なくとも君よりよっぽどいい男だぞ! ボクがいやがることはしないし、ヤダって言ったらやめてくれるし!」
「怖くて拒否っちゃったんだ。それでまだ処女なんだ。そおかア、かわいいとこあるねえ」
「~~~~~ッ!」
なんだこれ。誘導尋問かよ。マルセルの巧みな(?)手管で、ウッカリ自白を引き出された。…もうボクはひとこともしゃべんないぞ。マルセルにこれ以上弱みを握られてたまるか!
ぶすくれるボクを他所に、扉をこじ開けて脚をつっかい棒にしたマルセルは肩をはみ出させるようにして部屋に侵入し、玄関先でボクをにやにや眺め下ろす。ボクに睨まれても、屁でもないってな風だ。むかつく。
「あんなへたれのどこがいいんだい君は。晴れて両想いになったってのに手を拱ているなんてさ。我慢比べでもしてるみたいだ。君の恋人はマゾヒストなの?」
「………」
「否定しないのかい。ふうん。あの美貌でマゾヒストかア…ちょっとそそるねえ」
「……セデュを狙うなよ。君は見境ないのかい」
「僕は美しい人が好きだから。一番は君だけど、彼のことは二番目にしてもいいかなってさ。ほら、君もその方が嬉しいんじゃない? 3人でしてみたくない?」
「なにを」
「……。君にはまだこの手の話は早かったかア。処女の相手は僕には荷が重いから、初心っぽい彼に任せるつもりだったんだけどなア。初心すぎてまだ未貫通とか。いやあ唐変木にも程があるねエ」
「君はほんとにボクが好きなの!? 全然そうおもえないんだけど!?」
むしろボクらを揶揄って遊んでるようにしか見えない。マルセルの不誠実そうな青い目を睨み上げて僕は毛を逆立てる。一方彼は顔色一つ変えず、腕を組んで扉に寄りかかる。余裕綽々ってな感じで、ぷんぷんしてるボクを宥める気も毛頭なさそうだ。
…そもそもなんでこいつは、ボクに拘るんだろう。ボクの処女を奪う気もなくてあっさりセデュに譲り渡したと思ったら、まだ婚約中でいて、ボクが20になったら結婚する気だとか、…さっぱり意味が分かんない。好きな人とはずーっと一緒にいたいもんじゃないの? これがセデュだったら、ボクが他の男のものになったと知ったら…泣いてボクに縋るかも。あの雨の告白の夜みたいに。…えっへっへ、あれは可愛かったなア…。
「まさかとは思うけど、君の恋人ってインポテンツなのかい? まあそれなら説明もつくか、健康上の理由じゃしたくてもできないってことも…」
「いん…? 何?」
「性交の時にうまく勃起できない体質、っていうか、病気? の人のこと。勃起はわかる? セックスってどうやるか君知ってる?」
「ばかにすんなよそれくらい知ってるよ!! …、え、セデュってその、イン、なんとかなの?」
「インポテンツね。知らないけど、そうとでも考えなきゃ説明つかなくない? 彼も君のことはずっと好きだったんだろう?」
「………」
「一回は拒否したみたいだけど、他の時に誘ったりはしなかったの? 君だってあんなに、セックスに興味津々だったじゃない」
「……誘ったことは、なんかいもあるけど…」
「あるんだ」
「……応えてくれたことは、いちども…」
「ふうん」
「………」
病気? 体質? セデュがもしほんとに、その、インなんとかだったら、ボクは一生セックスできないってコト!? どうしよう、予想外だ、こんな展開。いやいやいや、そんなわけないだろ、ないよな? だって一回は、ボクを押し倒して、首筋にキスとかして、おっぱい直に揉んで来たりしてたもんな!? あの時ってもう、やる気満々だったもんな!? ボクが拒否ったせいで途中でやめちゃったけど。…あのとき、セデュのちんちんってどうなってただろう。全然おぼえてないぞ。…もし、勃起してなかったとしたら、どうしよう。そういう体質だったら、…いや体質を責めるのはよくない。よくないことだけど。どうしようもないことだけど!!
「…それって、なおらないの? …」
「そうだねえ、医者にきちんと罹って、治療すれば治るんじゃない? 薬物投与とか…あとはまあ…媚薬とか?」
「………それってどこで手に入るの?」
思いつめたボクの眼差しにちょいと真剣な顔になったマルセルは、ボクを覗き込んでくる。それで、ボクの覚悟の程をたしかめるように、尋ねる。
「知りたい? …教えてあげてもいいけど、条件があるなア」
「…どんな、」
「手に入れたら、君にも飲んでほしいんだ、僕の前で、…できる?」
ボクはゴクリと唾を飲みこむ。なんだかアングラな世界に、脚を踏み入れかけてる気がする。大手事務所に庇護されてきたボクにとっては、まったく預かり知らない世界だ。
セデュがほんとにインなんとかなのかどうか、確かめてみなけりゃ対処もなにもないんだけど、明日にはマルセルはハリウッドに行ってしまう。そうなってしまったら後の祭りだ。ボクはセデュを置いてマルセルを追いかけたくなんてないし。そんなことしたらどんな誤解されるかわかんないし!
ボクはこくりと頷く。処女相手は荷が重いとかなんとか言っていたマルセルを侮る気持ちもちょっとあった。
ボクが処女である限り、こいつに手出しされないなら、べつに目の前で媚薬飲んだってどうってことない、はずだ。うん。
「君だけなら、いいよ。他の人がいないところなら、…」
「…商談成立だ。オーケー、案内するよ。準備はいいかい? お姫様」
マルセルは絵本の中の王子様みたいに手を差し伸べてウインクする。甘ったるい美貌が冴えまくってる。なんだか胸やけがしてきて、ボクは脇を向いてため息を吐いた。




