第一幕『雨が止むまでこの恋を』第四場
眩いシャンデリアが照らすホールはがやがやと人の声が多重奏を奏でている。グラスの触れる音、衣擦れの音、華やかな笑い声、ダンスを踊る靴音、…
暖炉のマントルピースの上に載った黄金の装飾のある時計が10時を指している。パーティーは今や最高潮だ。お偉方の賛辞のお次は瀟洒な雰囲気の紳士連からダンスに誘われ、ボクは通算5人と踊ってへとへとだった。
もともとピアノの前に座って練習ばっかりしてきたボクは体力がないのだ。学校で運動する必要ができたときも、指を庇って見学ばかりだったし…既にコンクールで優勝していたボクに強く物申す教師も生徒もおらず、学校では若干腫物のように扱われていたのだった…。うーん、あんまり思い出したくない過去だ。この話はここまでにしよう。
壁際の椅子に頽れたボクは天上を見上げる。聖母マリアと天使たちが昇天する天井画が、黄金の豪奢な枠に縁どられて描かれている。過剰なバロック形式の室内装飾も、トレヴィ広場に相応しい雰囲気だ。
縦長のガラス窓は吹き付ける雨で濡れている。会場に来るまでは乾いていた石畳が、今は通り雨によって小さな川をいくつも作り出している。ぽろぽろと雨がガラスを叩く音に耳をすまして、ボクは目を閉じる。ふわりと甘い上品な香水のにおいが近づいて、セデュが近くに来たことを感じる。
「顔が赤いぞ。酔いが回ったか」
瞼を開くと案の定、すっきりした黒の燕尾服を纏ったセデュがいて、グラスに入った水をボクに差し出していた。
「ありがとー。ちょっと踊り疲れたってだけだから、だいじょーぶだよ」
グラスを受け取ってボクはそれを一息に煽る。喉を通り過ぎる水が、熱くなった身体の中心を冷やしていく。
「ねえ、今度はシャンパン持ってきてよ。まだのみたりないなー」
「その辺にしておけ。もう8杯は飲んでいたろう」
「何杯飲んだかなんておぼえてないよー。…君見てたの? 最初から?」
「……」
セデュは気まずそうに黙り込んで目を逸らす。窓を叩く雨が強くなった気がする。
「風が出てきたな。夏の嵐か」
「ビュウビュウ、かたかた、良い音だねえ。…そうだ」
ボクはふと思いついて立ち上がる。挨拶はもうすませたし、ダンスも踊ったし、酒も飲んで料理も食べた。あと、あと足りないのは、そう、…音楽だ!
広間ではお上品な管弦楽団がワルツを奏でている。ボクは広間を横切って出口を目指す。ヴァイオリンの甘い音色に背を向けて、歓声や拍手に背を向けて。後ろからついてくる足音はセデュのものだ。ボクの唐突な行動に戸惑いながら、保護者として、ボクの芸術を愛するファンのひとりとして、ボクを守るためについてくる。忠実なワンコみたいにね。
ガタンと扉を開くとびしゃびしゃ雨が吹き込む。ボクは目を細めてシャワーのようなそれを浴びて、外に駆けだした。
「ルー!」
白い裾を絡げて走るボクをセデュが追う。川になった石畳に車通りはない。人も歩いていない。ハイヒールを脱ぎ捨てて裸足になってボクは足を冷たい水に浸し、それを蹴り飛ばす。飛沫が鮮烈な音を立てて飛び散り、ボクのドレスを濡らす。
うきうきと走っていたらトレヴィの泉にまで来ていた。オケアノスもケレースもサルースも、みんな水浸しで洗われた白大理石が夜に浮き上がって見える。アクアマリンの水面にぴちゃぴちゃ雨が滴り、その可憐な音色がボクを誘う。
縁に足をかけて一息に飛び降りれば、一際激しい水音が雨の合間に咆哮する。
水に濡れながらボクは踊っていた。吹き付ける雨と風の激しいシンフォニーにうっとりとなって、指揮棒のように腕を振る。遅れて水に飛び込む音がして、追いついたセデュに腕を引かれる。
雨の中で抱き寄せられて、ボクは近くに、戸惑いに揺れる黄金色の瞳を見た。
「ルー、なにを…」
「聞こえない? 大理石を打つ雨の音。雨樋を走る水、水面に打ち付ける音、音、音…」
「……」
「石畳を滑る水、屋根から滴る水、すべてが音楽だ。自然が生み出した、壮大なシンフォニーだよ! 素晴らしいじゃないか、ボクらはいま、音楽に抱かれてるんだ!」
ひとりでは抱えきれない嬉しさをぶつけるように笑うと、セデュがくしゃりと頬を歪める。なぜか泣きそうな顔になった彼はまた強くボクを抱き寄せて、ボクらは泉のまんなかで、冷たく濡れた肌を重ねた。




