第一幕『雨が止むまでこの恋を』第三場
翌日はローマに移動してコンサートだ。早朝にマネージャーに叩き起こされ車に乗せられて約1時間半、ウトウトしているうちに街に入る。
15歳でプロデビューしたボクは大手芸能事務所に所属し以来毎年のようにこうして海外公演を行っている。天才美少女ピアニストとして。それで最近は作曲の仕事なんかも入ってくるようになった。順風満帆ってやつだ。なんの憂いも悩みもない。事務所の女社長はやり手の人で、しんどい仕事とかきつい仕事とかは回してこないしボクを守ってくれている。朝が苦手な夜型人間のボクにとってはこの早朝の移動が一番キツイってなくらいのものだ。数年前までボクの巡業に付き添っていた父さんも、社長を信頼して最近では病気の治療に専念している。
恵まれてんなアって思う。たとえ実力があっても実際成功を掴める人間なんてのは一握りで、頂点を極められる人間なんてもっと少ないっていうのに。
――まあボクは天才だからこうなることは自然の摂理なんだけどもね!
ローマ公演も大入満員の観衆からの大歓声を受けて魅惑的な美女から花束を渡され、ボクは満面の笑顔で手を振る。立ち上がってブラヴォーと叫ぶ人の隣に感無量ってな表情で拍手するセデュがいて、ボクは彼に向けても手を振った。
劇場の中には嵐の海みたいな激しい拍手の波が打ち寄せて弾けて、耳の奥にわんわん響く。ボクはこの瞬間がとても好きだ。世界中から祝福されてるみたいに感じる。
楽屋に戻って化粧直ししている間に今回の公演のプロデューサーだとか、次に訪問する予定の劇場支配人なんかが来訪して、それにいちいち慇懃な挨拶を交わして、プロデューサーから今夜のパーティーへの出席を乞われる。
劇場が跳ねたその流れで指揮者や奏者、有力な資産家なんかも呼んで盛大なパーティーを執り行うらしい。ボクは勿論了承する。こういう付き合いも仕事のうちだ。今夜は特に他に予定もなかったし、ナンパもされていないしね。
パーティー会場はプロデューサーの自宅とのことで、スタンぺリア通り沿いのトレヴィ広場の近くだそうだ。
ボクは深緑のシンプルなドレスから胸元のざっくり開いた白のロングドレスに着替えて、血色の悪い青白い頬に白粉を叩く。ピアニーの口紅を薄い唇に塗ればボクのメイクは完成だ。
手ぶらで楽屋を出ると廊下でマネージャーのマチウと話し込んでいたらしいセデュが顔を上げた。
「ヤア、来てくれてありがとう。昨日ぶりだね!」
「…素晴らしい演奏だった。今夜は興奮して寝られそうにないな」
「昨夜よりよかった?」
「昨夜は別の意味で寝られなかったが」
「えーなになに? もしかしてやらしー話? 詳しく聴かせてほしいなア」
「お前への怒りで腹の裡が煮えくり返っていたから」
「アッハ、そうかい! そいつはご愁傷様! でも安心してくれたまえ、今夜はパーティーに誘われていてね! お偉方もたくさん来るみたいだから、ナンパ男とランデヴーなんてことにはならないだろ、多分!」
「お前はまたそういう…」
眉間に皺を寄せたセデュのお小言が始まりそうなタイミングで、黒縁眼鏡にオールバックのマチウが割って入る。
「今夜のパーティーにはムッシュ・レヴォネも招待されているのですよ。マドモワゼル・リーヴェ…いま共に会場に向かおうかと話していたところで…」
「へえ? そうなの? さすが将来有望の指揮者の卵はちがうねえ」
「茶化すな。車を回してくるから、君らは会場の前で待っていてくれ」
最後の言葉はマチウに向けて、セデュはくるりと踵を返す。ピンと伸びた背筋にすらりとした長身、均整の取れた身体つきに黒の燕尾服を纏ったセデュに、行き交う乙女たちがうっとりと熱視線を送っている。セデュ本人は、気づいているのかいないのか、まったく応じる素振りもなさそうだけど。
「ムッシュ・レヴォネのお母上はイタリアの名家の出だそうですね。お父上の仕事について今はアメリカに行かれているらしいですが」
「ふーんそうなんだ。国際色ゆたかだねえ」
「こんなことを聞いては失礼かもしれませんが、仕事の一環ですのでお答え頂きたいのですが」
「うん」
「おふたりの仲は、どのあたりまで進展されているので…?」
「ん?」
小柄なマチウ(女の子であるボクとそう身長が変わらない)を振り返ると彼は焦ったように視線を落とす。セデュと同い年のマチウは既に既婚者で、結婚生活は3年にもなるらしい。とてもそんな積極性のなさそうな、気の弱い男だけど仕事はキチンとしてくれるし時間は守るし深酒はしないし、ボクと違って真面目ないいヤツだ。
ボクの担当マネージャーはこいつで実は3人目で、ボクのいい加減さとかだらしなさとかに嫌気が差して辞めてく子が多いなかでもう1年くらいボクのために(会社のために? あるいは給料のために)働いてくれている。
なので、ボクとしても彼に嘘を吐くのはしのびない。結構ありのままを曝け出してるので、今更隠し立てするのも妙な感じだし。
「君が考えてるようなことはないよ。あいつはボクの音楽を愛してる。ボク自身についてはまあ、さっき見た通りさ」
「といいますと…」
「昔はプロポーズされたこともあったけどね。いい加減目が醒めたんだろ。ボクみたいな女にわざわざ手を出さなくても、あいつは女には困らないだろうしね!」
けらけら笑って伝えても、マチウは釈然としないみたいな顔でボクを見てくる。なんだよう、嘘は言っていないぞ。全部、ありのままの、現実だぞ。
「それよりほら、早くいこ! セデュがきっと待ちくたびれてるよ!」
「はあ…」
表情を曇らせたままのマチウの背を押してボクは廊下を足早に駆ける。パーティーは好きだ。みんな陽気で、明るくて、うまい酒や料理がたくさん出てきて、みんなボクを褒めてくれる。演奏じゃなくてボクのみためを褒められがちなのは、ちょっとむず痒くていただけないけど…まあボクは高級な楽器みたいなもんなんだって自分で思えば、それらの賛辞も受け流せる。高級な楽器はみためだって一流でなくちゃいけないからね。
劇場の正面扉を潜ると通りの向こうにセデュの車がある。ぴかぴかの見慣れたポルシェだ。運転席の彼が軽く手を挙げる。…




