第一幕『雨が止むまでこの恋を』第二場
セデュとボクとの付き合いは長い。ボクが5歳の頃、初めて出たピアノコンクールで競い合ったのを皮切りに、毎年のように顔を合わせてトロフィーを賭けて争った。毎年ボクの勝ちだったけどね。
セデュにプロポーズされたのは、ボクが13の時だ。セデュは19の大学生だった。コンクールの舞台袖、ボクの演奏が終わった直後に待ち構えていたセデュは真剣な顔でボクに結婚を申し込み、毎年顔を合わせるたびに短い言葉を交わし合うだけの仲だったものだから、ボクは大層驚いて…彼の顔をまじまじと見て、真偽の程を、たしかめたのだ。
「…ほんきでいってる?」
「勿論。冗談でこんなことを言いはしない」
「ボクまだ、13歳で…コレージュの学生、なんだけど…」
「知っている」
「君はあれかな? コドモが好きなのかな? ナボコフみたいな?」
セデュはひどく不本意そうに眉を顰めてから首を横に振り、「そういうわけでは」とかなんとかもごもご言葉を濁してから、
「当然、そういうことは…お前が成人するまで待つつもりでいる」
などと言ってのけたのだ。
「成人って…あと8年あるけど。その間ずーっと待つっていうの?」
「ああ」
「いくらなんでも…性急すぎないかい? 大体、8年もあったら君の気持ちだって変わるでしょ…」
「変わらない。おまえ以上に愛すことのできる人間など、おれの人生には出会えない」
「……」
「これからもずっと」
「……」
言いたいことはいろいろあった。君はボクのこと何も知らないじゃないかとか。せいぜい年に数回、コンクールで顔を合わせるだけで人となりも何も知らない相手に将来を捧げるなんて、軽率すぎるとか。8年もただ待つための約束を交わして、君にどんな益があるのか、とか。
「婚約、したとして、君にとってのメリットって何? ボクに何を期待しているのか知らないけど、たぶん、ボクはそいつには応えられないと思う…」
「応える必要なぞない。お前はただそのままでいてくれればいい」
「そのまま?」
「お前の魂の美しさをおれは知っている。この耳で幾度も聴いたとも。お前の生み出す音色の、奇跡のようなその響きを」
「……」
結局のところ、セデュは僕の演奏に見も世もないくらい惚れ込んで、そうしてボクの人間性までボクの演奏に見合うくらい素晴らしいものにちがいないと思い込んだのだ。思い込みが激しいにも程がある。せめて親しく言葉を交わすようになって、ちょいとお付き合いとかしてみてから決断してほしかったぞ。芸術家ってのは作品と人間性とに乖離があるもんなんだって、君が知らなかったのは残念だ。
「…いーよ。婚約してあげても」
そうしてボクは、ちょっとした悪戯心から、そう返事したのだ。セデュの勘違いを訂正するのは、これからゆっくりやっていけばいい。だってまだボクらには、あと8年もの歳月があるんだから、って、気持ちで。
「本当に?」
自分で言い出したことなのに信じられない、みたいな顔でセデュは問う。
6歳も年上のお兄さんなのに、なんかコドモみたいだなアと思いながらボクは頷く。
ぱあっと花が咲くようなセデュの笑顔がなんだか眩しくて、ボクは目をしぱしぱさせながら「ただし、」と条件をつきつけた。
セデュが一生かかっても、多分乗り越えられないであろう、条件を。
「一度でも君がボクに勝てたら、ボクは君の花嫁さんになってあげる。それまではダメだよ。どう? やる気ある?」
「……」
セデュは一転、思いつめたような顔で黙り込み、ボクをじっと見下ろして――
「わかった」
と、確かに言ったのだ。
「お前を手に入れるためなら、どんな困難も乗り越えてみせる…」
「その意気その意気! まあ君がボクに勝てる日なんて万に一つもこないだろうけどね!」
それまでも、必死にボクに追いつこうと藻掻いていたセデュはその日からは死に物狂いで挑んでくるようになった。ボクはそいつが嬉しくて――なにしろ同世代はみんなボクの足元にも及ばないし、アマチュアの大会に出るような子たちは大抵どんぐりの背比べで、ボクはほとほと退屈していたから――唯一、ボクのライバルと呼べるような立ち位置にいるセデュがより一層真剣にボクの相手をしてくれるのが、ピアノに人生を賭けることに決めていたボクにとっては、これ以上ないくらいの喜びだったのだ。
風の噂で、セデュは大学を退学して音楽学校に入りなおしたとか聞いたのもその頃だ。本気で、真剣に、ボクに挑んだセデュは、…だけど結局、天才であるボクを打ち負かすことはできなくて――そうして今に至る。
セデュは今は師匠に付いて、指揮者の勉強をしている。その合間に、世界的ピアニストへと成長したボクの公演に毎回顔を出しているというわけなのだ。ボクの一番のファンとして、幼馴染として、保護者として、…かつての、求婚者として。




