第三幕『狼と天使のワルツ』第一場
縺れ合うように、月と星と街灯に濡らされた夜道を歩き、アパルトマンに到着する。
ボクに全体重をかけ寄りかかられたセデュはびくともしない体幹の強さで黙然と鍵を回し、扉を開ける。
ころんとハイヒールを転がして裸足のボクはそのままぺたぺた廊下を進み、客間のソファにぐたりと頽れた。
酔いが回って来たのか、ふわふわと気分が高揚して、足元がおぼつかない。
今夜通算1杯しか飲んでいなかったセデュはボクを客間に残して荷物を置いて、洗面所の方へ行ったみたい。じゃあじゃあと水を流す音がしている。シ♭の水音だ。
今日はいい日だったな、セデュの初舞台が聴けて、セデュの仲間たちと楽しく飲んで、…
レ♯の足音がして、セデュが帰ってくる。
彼はボクの面前に跪くと、濡らしてきたらしい布巾で、ボクの足を拭い始めた。
足の甲、指の間、爪、足の裏と順繰りに丁寧な布巾がボクの足の汚れを落とし、神経質に撫でさする。
くすぐったさにボクの身体が跳ねてくすくす笑いが零れても、我関せずって感じだ。
熱心にセデュは片足を拭い、もう一方の足も綺麗にしていった。
汚れた布巾を畳みながら息を吐くセデュを見上げ、ボクは手を伸ばす。せっかく綺麗にしてもらった足をまた汚す気にはならなかったのだ。セデュもボクも、酔っていたせいかもしれない。
何も言わずともボクの意図をすぐに汲んで、セデュはボクの膝裏に手を回して抱き上げる。ボクの肩から落ちる彼のジャケットもそのままにして、よろつくことなく寝室まで抱っこで運んで、そっと、毎日洗濯している清潔なシーツに下ろす。
襟ぐりの空いたドレスでごろりと横になるボクをじっと見つめて、顔が近づいて、額にちゅっとキスをひとつ。
「おやすみ、ルー…」
そのまま離れてしまおうとするセデュのシャツをボクは掴む。潤んだ瞳で見上げると、セデュはちょっと困ったように静止する。
戸惑うような視線が揺れている。迷っているみたいだ。
ボクたちに身体の関係はまだない。ボクがまだ18のコドモだからって、セデュはその気にならないみたいなことを言っていた。本気かどうかはわからないけど。
13のボクにプロポーズした変態のくせして、異様にお堅い前時代的な道徳観念のもちぬしであるセデュは、ボクが成人するまで待つつもりなのだそうだ。
…でもボクは決めていた。どうしても今日関係を持つのだ。きみのことが好きだってことは今夜でじゅうぶん実感できたし、躊躇いはない。
なにより、こうするのが一番手っ取り早いのだ。ボクたちが離れないでいるために。
「セデュ、おねがいがあるの」
「…なんだ?」
優しい声が聞く。シーツに座りなおしたセデュが、お兄さんの顔…というか、父親みたいな顔でボクを促す。ボクは唾をごくりと飲み込んで、覚悟を決めて、
その一言を言った。
「子供、つくろ!」
カチカチと秒針の音が鳴っている。ボクの面前に座したセデュは、ぽかんと口を開けたまま、フリーズしてる。顔の前でチラチラ手を振っても、無反応だ。
名案だと思ったんだけど、ちょっと先走りすぎちゃったかな。セデュにはちょっと刺激が強かった? …いや君24だろう? 女の子の経験だってそれなりにあるはずだろう?
「びっくりさせたならゴメン。でもさ、こうするのが一番いいと思うんだ。既成事実を作っちゃえば、父さんもボクらを引き離したりはしないだろうし」
「………なにか、あったのか」
「昼間、姉さんが来てさ。…父さんたちが不承知だって、改めて伝えてくれたの。それで…」
「…それで、子供?」
「うん。孫はカワイイものだって言うだろ、父さんたちも、折れてくれるんじゃないかなーって。君のことは信じてるけど、さすがに1年半で成果を出すのは、大変すぎるとおもうし。天才美少女のボクだって、コンクール初優勝からプロデビューまで、10年かかってるし、…」
「………」
セデュは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。ボクの提案を吟味してくれてるのかな。もうひとおしって感じだ。あと、セデュが引っかかってるのは、ボクが未成年ってことくらい? それなら、なんとかして、彼を納得させる手段が、ないわけじゃないぞ。
「ボクが未成年ってことで君がセーブしてるなら、そんなの必要ないよ! ボク、もうとっくに経験済みだからね!」
にこりと笑って言ってやる。嘘も方便ってやつだ。これでセデュの懸念は払拭されただろう。どーだ、これで思う存分、ボクを抱けるだろう!
…まえにマルセルとそうなりかけた時、処女だって告白したらアイツはめんどくさそーというか、荷が重い…みたいな顔してたもんな。男の人にとって、セックスの相手は経験豊富な方が嬉しいんだろ、たぶん。ボクは何もわからないコドモじゃあないぞ。ちゃあんと、駆け引き? とか、考えてるんだからな!
「………」
セデュは黙り込んだまま俯く。薄暗い寝室には、開いたままの扉から、洗面所の灯りだけが差し込んでいる。俯いたセデュの顔は陰になってしまってよく見えない。沈黙の時間だけが流れる。
…おかしいな。もうちょっとこう、喜び? とか、なんかそういう感情の発露はないのか? これで心置きなくボクと愛し合えるっていうのに。ボクがこれだけお膳立てしてやったっていうのに。…やっぱりボクがコドモだからその気にならないっていうのかコイツ…!? なんかむかついてきたぞ!?
「なんとか言えよ。なんでだまってるんだよ…」
「…すまない、驚いて…いや、悪かった。当然だ、おまえが…あんな写真まで撮られて、…いや、いいんだ、それはもう、おまえの自由だ、おれに口を出す権利などないことだ…」
なんか独り言みたいなことをブツブツ言ってる。じっとボクが顔を覗き込んでも目線が合わない。
でもボクだって引けない。なにしろこっちは切羽詰まってるんだ。身内の恥を晒すようでセデュには伝えられなかったけど、なりふり構わずセデュを訴えるようなことまでしかねないんだぞ、ボクの家族は。なんとか止めなきゃいけない。もしそんなことになったらセデュの将来はどうなる! ボクとセデュの関係だって、今まで通りじゃ絶対にいられなくなっちゃう!
ボクはだらりと垂れさがったままのセデュの手を取る。びくりと震えるけど振り放されはしない。ボクはセデュの長い指と指を絡めて、引き寄せて、…ドレスの上から、心臓の位置に、手を置いた。
「…ねえ、セデュ、しよ? いっぱい抱いて。赤ちゃんつくろうよ、ボクときみとの…」
「………」
セデュの吐く息が震えているのをボクは感じる。緊張してるのかな。おかしいな、ボクより6歳も年上の、お兄さんなのに。…
「ね、セデュ、いや? ボクのこと、抱きたくならない?」
ドレスの隙間から、セデュの掌を肌に触れさせようとして、しのびこませようとして、
乳首に触れるか触れないかぐらいのタイミングで、ばっと、振り解かれた。
「…娼婦のような、真似はよせ、…」
掠れた声で批難されて、ボクもむっとする。
「女の子の方から誘ってるんだぞ。恥かかせるなよ朴念仁」
「朴念仁でもなんでもいい。子どもを作るだと? 簡単に言うな。身重の身体で、仕事を続けられると思うのか。海外公演などとても無理だ。産んだ後だって、安静にしていなければお前の身体が、」
「産んだ後のことなんか今から心配してどうすんだよ、なんとかなるって」
「利用するために子供を作るのか、そんなことでは生まれてくる子が不憫だろう。第一、そんな、細い腰で、華奢な身体で、出産に耐えられるものか…」
「なんの心配をしてるんだよー、そもそも、まだ一回もできてないのにさ!」
「とにかくおれは反対だ、せめて成人するまでは、…」
「あと3年も待てっていうのかよ! きみはぼくが好きなんじゃないの!?」
「好きだよ。好きだから、大切にしたいんだ」
「きみが後生大事に守ってくれたところで、ボクはもうとっくに処女じゃないんですけど!? バカバカしいと思わない!?」
ぎゅっとシーツを握りしめるセデュの掌に血管が浮いているのが、闇に慣れた目にぼんやり見える。
拳の形になったその掌が、震えているのも。
「それでもだ。今のおまえを、おれは抱けない」
「………」
ダメなのか。こんなに頑張っても応えてくれないのか。もう、なんなんだろ、セデュにとってのレンアイって…聖母とか天使とかを崇めてるみたいな感じなのかな!? 肉欲は不要みたいな!? …それって結局レンアイなのか!? なんか違うんじゃあないか!?
「………いーよ。そっちがその気なら、無理にしてくれって言わないよ。ボクだってきみをレイプしたいわけじゃないし」
「……それは助かる」
「……。セデュはぼくとはなればなれになってもいいんだ」
「そんな訳はない、」
「だってそうだろ。無理矢理引き剥がされそうになってるってのに、起死回生の策だってのに、」
「そんなことをしなくても、おれはお前の両親を納得させてみせるよ。必ず」
…楽天家なのはどっちだよ。
あーもう、やめだやめ。この作戦はもう使えない。そうなったら…あとはもう、最後の手段しかない。できればこの手は、使いたくなかったけど…もう仕方ない。セデュの去ってしまった寝室でアクセサリーを外し、ドレスのままシーツに包まりながらボクは決意をかためていた。




