第二幕『月影に夜風の匂い』第十八場(第二幕・完)
オペラ座近くの地下室にあるバーで、気風のいい姉御肌(?)のバーテンダーに作ってもらったカクテルをセデュはちびちび飲んでいる。
あんまり…というか、全然お酒が強くなくて、普段は下戸のセデュだけど、今夜は友人たちの労いに応えてなおかつ高揚する気分を鎮めるために、おつきあいしてくれてるみたいだ。
一方のボクはトランペット奏者と飲み比べして相手を酔い潰し、ホルン奏者と飲み比べして相手を酔い潰し、オーボエ奏者と飲み比べして相手を酔い潰した。三勝ゼロ敗だ、いえーい。
連れだって訪れたバーで、最初のうちは皆で乾杯なんかして和やかに今夜の成功を祝いあっていたんだけど、そもそもセデュはそんなに飲めないし酒を注がれそうになってもきっぱり断るしで、ボクが代わりに血気盛んな(?)男性陣の相手をしてあげたのだ。セデュには感謝してほしい。これも内助の功というやつだ。
「セデュう、なに飲んでんのオ? ボクはねえ、テキーラとお、マティーニとお、コニャックとお…」
「そのくらいにしておけ、呂律がまわっていないぞ…」
「らいょーぶだってえ。んで、ナニコレ?」
「ナップ・フラッペよ、ルーちゃん」
セデュのかわりに筋骨隆々のバーテンダーが応えてひとつウインクする。
「ふーん。ひとくちちょーだい」
「な、…」
くいっとグラスを持ちあげ、鮮やかなレモンイエローのそれを煽る。濃厚な甘みが舌に載り、喉に流れ落ちていく。ぅん、セデュの好きそうな味、だなア。
「ごちそうさまでした♡ きみのキスみたいに甘いお酒、だねえ」
「………」
半分以上一息に飲み干されたセデュはなんだか頬を染めて口をパクパクしてる。お上品なセデュは友達と飲食物をシェアしたりとか経験なさそうだもんな。ビックリさせちゃったかな。まあボクも友達は少ないので、そこはおんなじなんだけど。
「あらあら、もうお腹一杯よお。ルーちゃん、いちゃつくなら家でお願い!」
「そうだそうだ! 見せつけ反対! 乳繰り合いは家でやれー!」
酔い潰れていたトランペット奏者がテーブルに突っ伏していた顔を上げて拳を突き上げ、それに賛同する男性陣が野次をとばす。飲み始めて2時間弱、みんな相当出来上がっている感じだ。
同席していた女性陣はとっくに帰ったか、カウンターとか個別のテーブルで男の子と話し込んでる子がちらほらいるだけ。そのほかの男性陣は酔い潰れてるかダーツで遊んでるか管を巻いてるかのどれかで、主に男性陣からのブーイングに近い囃し立てにセデュは呆れたように立ち上がった。
「明日も公演だ。遅刻するなよ」
「へいへーい。おやすみぃ~」
「ううっ、セデュイールよかったなア。お幸せに…」
「いや結婚するわけじゃねえんだから~」
男性陣は相変わらずセデュを揶揄って笑いあっている。当のセデュは、バーの背の高いスツールから立ち上がるボクの手をさりげなく取って、ジャケットを肩に着せ掛けた。
「ええ? いらないよぉ暑いもん」
「今何時だと思ってる。そんな恰好で外には出せん」
「べつにいーのにぃ」
「タクシー呼ぶ? セデュイールちゃん」
バーテンダーの気遣う声に一瞬セデュが考える間があって、ボクは代わりに答えていた。
「だいじょーぶ。酔い醒ましがてら、あるいてかえるよ。ねーセデュ?」
「…そうするか」
「うん!」
「じゃあ、ここで失礼する。今日はありがとう。おやすみ」
「ばいばーい」
三々五々、挨拶の声が返るなかをボクらは手を繋いだまま歩いて、ドアを開ける。無機質なコンクリートの壁に沿った階段を上がって、地上に出る。外には星がちかちか輝く深夜だ。車通りも人の姿もなく、ひっそりしている。
「タラララ、ルル…」
ボクはいい気分で歩いた。お酒で高揚してたってのもあるし、セデュの成功が喜ばしいってのもあるし、セデュの指揮が聴かせてくれたオケの一体感が、ピアノを始めた頃みたいに、ワクワクさせてくれたってのもあるし。
桟敷席で息を詰めながら聴いたフレーズを鼻歌でなぞりながらボクは歩く。ふらつく足元からハイヒールを抜きとり、両手に抱えて裸足で石畳の道を行く。
星と、ぽつぽつ点った街灯がボクらの行く手を照らしだす。セデュの指揮者姿、格好良かったな。様になってた。ハジメテとは思えないくらい。…
「ねーセデュ、」
「うん」
「好き! えへへ…」
くるりと振り返ると、ボクの少し後ろを歩いていたセデュの、濡れたような瞳に星が映って瞬いていた。
「わ、あ、きれい…」
「…おまえは、」
「ん?」
「おれの標だよ。いつも行く先を照らしてくれる…」
なんだか泣きそうな顔でそう言って、セデュは少し苦しそうに笑った。
愛するってことがどんなことなのか、ボクはわかってないって、姉さんは言う。それはその通りかもしれない。ボクはしょせんまだ子供で、未熟で、なんなら音楽一色で他の人生経験も碌にしてない天才美少女ピアニスト兼作曲家だ。
ボクが今感じている、突き上げるような胸の痛みも、どうしてか泣き出したくなるような感情も、恋愛のエキスパートからしたら、おままごとみたいなものなんだろう。
恋愛のまねごと? 恋してる人の模倣? ほんとの感情じゃないのかもしれないし、もしかしたらそんな自分に酔ってるだけかも。
だけど、それでも、ぼくはきみが好きだっておもう。
誰にバカにされても、貶されても、ぼくのこの、ぴかぴかで、生のままの感情は、ぼく自身のものだっておもう。誰かに強制されたり、従わされたわけじゃない。ぼくの心から、うまれたものだって。
ぼくはハイヒールを落として、きみに手を伸ばす。
きみはすぐに掴んでくれる。指先を絡めて、ぎゅうと握りしめ、そういう形のものだったみたいに、体温を重ねる。
ぼくはきみのもので、きみはぼくのもの。そう確信できることが、こんなにもうれしい。
ぼくは身体をぶつけるみたいにしてセデュに飛びついて、首っ玉に齧りつく。ふたりの影が重なって、長く伸びる。
静かな街灯と、音のない星の光だけが、ぼくらをたしかに、見守っていた。




