第二幕『月影に夜風の匂い』第十一場
受話器を取り上げ、事務所に掛ける。受付の女の子に名乗ってマチウの所在を確認すると、間もなく彼が電話口に出た。
『マドモアゼル・リーヴェ! 心配しましたよう、ご実家を出られたと伺って、所在もわからず…』
「ごめんごめん。ちょっと父さんと喧嘩しちゃってさ」
『本当に、ご無事でようございました。万一のことも考えておりましたので…』
「万一って?」
『…ご両親に反対され絶望したムッシュ・レヴォネと共に無理心中とか』
「ないない! あるわけないってそんなこと! だいたい今、6×年だぜ!? このフリーセックスの時代に! 結婚するのに親の許可なんて要らないって!」
心配性なマネージャーくんの杞憂を笑い飛ばすボクに、マチウはいまいち納得してないような声色だ。
『ムッシュ・レヴォネは、そういう…思い詰めそうなタイプに見えましたが…』
「大丈夫大丈夫。今もボクの下着を買いに行ってくれてるよ!」
『…下着ですか』
「うん」
『今どちらに?』
「セデュの家。番地はわかんない。電話番号はねー」
『ちょ、ちょっとお待ちください、メモの準備を致します』
電話口で慌てたような声が言って、ごそごそ音がしてから促す声に、ボクはつらつら、暗記している番号を並べた。
セデュと付き合う前、数えきれないくらいの、いろんな男の人とデートする度、かけてきた番号だ。あの時の心境はもう思い出せないけど、ボクは好奇心と同時に多分恐怖心みたいなものも感じていて、だから、幼馴染のセデュに守ってもらいたかったんだとおもう。
13歳のボクにプロポーズしてくれた、頼りがいのある、6歳年上のお兄さんに。
「――それで、今日掛けたのは、マルセルの連絡先を調べてもらいたくて」
ようやっと本題に入れたボクの耳に、マチウの素っ頓狂な声が叫ぶ。
『ご存じなかったんですか!?』
「ウン。教えてもらった気がするんだけど、忘れちゃって。わかるかなあ? 緊急事態なんだ。彼はまだハリウッドには発っていないはずだから――」
『お調べして、折り返します。ちなみに緊急事態とはどのような?』
「ボクとマルセルが婚約したことになってるって父さんが言うんだ。ボクは承諾した覚えなんて一度もないのにね! それで喧嘩になって、飛び出して来ちゃったってワケ」
『成程…お父上もご心配だったのでしょう。マドモアゼル・リーヴェはその…しばらく遊び歩いておられましたからね』
「だからって勝手にボクの進退を決めるのはおーぼーだろ! ボクは全然納得できない!」
電話口からため息のような音がして、ボクのこの怒りをわかってくれたのかそうじゃないのか、マチウは
『またご連絡します』
と言って電話を切った。
買出しに行ったセデュが帰って来たのはだいぶ経ってからだ。両手に重そうな荷物を抱えた彼は真っ赤な顔でボクにピンクの紙袋を差し出した。
「はやく着替えろ。下着もきちんと身に着けなさい」
「わーどんなのどんなの? うわ、また白レースだよ…どんだけ白好きなのさ…」
「ここで開けるんじゃない!!」
セデュが見繕ってくれた下着は白レースの大きめカップのやつ(サイズじゃなくて、面積が)と、飾りのない白地に紫のリボンがちょこんとついてるシンプルなやつの2種類だ。両方きちんとブラとパンツがセットになってる。
あんまりエッチじゃなくてそれは残念だけど、まあ最初はこんなもんか、とボクは鷹揚に受け入れる。
「じゃあ着替えてあげるね。ちょっと待っててー」
「ここで着替えるな!!!」
玄関先でがばりとブルーグレーのパジャマを脱ごうとするボクの手を荷物を放り出したセデュは止めて、ずりずり寝室に引き摺って行った。
ここでエッチな展開になるのも大歓迎なんだけど、セデュはボクを寝室に閉じ込めて自分はさっさとキッチンに向かってしまった。
ぷりぷり怒りながら、買ってきた食材を冷蔵庫に詰めているみたいだ。パタンパタンと扉を開閉する音がしている。
下着を身に着けてからシーツの引っぺがされた寝台に腰かけ、パジャマを脱ぎ捨てる。レースの方の下着を手に取り背中に手を回す。姿見に映してみると、やっぱり若干少女趣味の、お姫様みたいな下着姿だ。
セデュにはボクがこんなふうに見えてるのかな、と思って、ボクはまたくふくふ笑った。
お昼ごはんはチーズたっぷりの海老グラタンをバゲットと白ワインで頂いた。白ワインはサラダの材料のホワイトアスパラガスとかチーズとかと一緒にマルシェで買って来たものらしいけど、すっきりしていてなかなか美味い。セデュは下戸だから、こいつはボクのために買ってきてくれたものだ。なのでありがたく一瓶飲み干すことにする。グラタンをちょいちょい撫でながらグラスばかり傾けるボクをセデュはじっとりとした半眼で見て、
「今日の分の酒はそれでおわりだぞ」
とか言っていた。
きっちり洗い物まで済ませてジャケットを羽織り、出ていくセデュを玄関先まで見送る。
「帰ってきている時間はないから、夕食は外で食べてくれ。金を渡しておく」
「メルシィ。でもひとりでごはんはいやだなーどうせなら一緒にたべたいよ」
財布をごそごそやって100フラン紙幣を取り出すセデュにおねだりする。財布を忘れ、なんならカードもパスポートも忘れたことをセデュにはまだ伝えていなかったんだけど、なけなしのお給料からボクを養ってくれる気でいるのだろうか。ボクのほうが収入は多いのに。なんて健気なヤツなんだろう…。
「何時ごろ待ち合わせる? オペラ座まで行くよー」
「…じゃあ、抜けられそうになったら連絡する。Salut.」
「Salut.」
バタンと扉が閉まって、セデュの靴音が遠ざかる。ボクはひとつ伸びをしてから寝室に戻る。ちなみに服装はまだセデュのパジャマだ。出かけるときにはセデュの買ってくれたレース付き白ブラウスに着替えようっと。それまではこのままでいいかな。買出しに行くときついでにコインランドリーに行くからと、シーツや枕カバーを入れたランドリーバッグは持って行かれてしまって、――そいつはもう帰って来たのだけど、パジャマの方はずーっとボクが着てるせいで洗濯の機会を逸してしまったのだ。
…さすがに二日使うとにおうかな。うちってどのくらいの周期でパジャマの洗濯してたんだろ。さっぱりわからない。ボクは家事は一切ノータッチなのだ。
すんすんとパジャマを嗅いでみる。ボクの体臭は薄い方だと思うからそんなににおわない、かな? 自分のにおいってよくわかんねえな。まあいっか。セデュはもういないし、時間までハダカで作曲でもしちゃおうかな。
シルクのパジャマの上を脱ぎ捨てたちょうどそのとき、客間に置いてある電話が鳴った。




